第47話
「どうしてあんなことをしちゃったんだろう……」
ちゃぷんと湯舟に浸かりながら来栖は呟いた。
「このみちゃ~ん、お湯加減はどう~? あつくな~い?」
「あ、は~い! ちょうどいいです!」
それに、どうしてこうなってしまったんだろう? と来栖は頭を抱えた。
それは1時間前のこと。
僕の部屋を飛び出した来栖は頭を冷やすためにリビングへと立ち寄った。
「おばさん、今日はもう帰ります」
「……うん、……うん、分かった」
「あの、おばさん?」
母は誰かと電話しているようだった。来栖がそっと近づくと母はそれに気づいて電話口を押さえて「あ、このみちゃん! 泊まって良いって!」と耳打ちした。
「へっ? いや、あの、私は……」
「大丈夫大丈夫」と母は来栖の言葉を遮るようにウィンクし、電話に戻った。
「あの、大丈夫じゃなくて……あの………」
「明日はバレー部はあるの? あるなら送っていくけど……ない? じゃあ朝は起こさなくても良いのね。おっけー。うん。服は後で持ってくるのね。お菓子? いいよいいよ、気をつかわなくても。昔は兼人もお世話になったんだし」
「あの、あのぉ………」
「うん、うん……大丈夫よ。兼人が変な気を起こさないようにしっかり見張っとくから! それはないって? あっはは! 確かにねー」
「あのぉ……おばさぁん………」
私が変な気を起こしてしまうんです。と、言うに言えない来栖はとても困った。
「うんうん、明日の夕方には送ってくから」
「あぅ……」
このままではまた同じことを繰り返してしまう。また3人で遊びたいなら自分は新しい恋をするべきだと、頭では分かっていた。なのに踏み出せない。むしろ甘えてしまう自分を苦々しく思っていた。
でもいまのままだとその恋さえもうまくいかない事も分かっていた。新しい恋とは名ばかりの、八重山兼人の面影を他人に重ねるだけの自傷行為になってしまう。……悲しいだけだ。
結局、母同士のやり取りだけでお泊りが決定してしまった。
(いっそのこと、初めてを奪ってくれた方が踏ん切りがつくんだけどなぁ……)
湯船に体を沈める。
「どうしてあんなことをしちゃったんだろう。私のバカ私のバカ私のバカ……あんなの嫌われるに決まってるじゃん……けんジィを困らせてどうすんだよぉ……。前はバレなかったけど………はぁ、変態って思われたかな………」
暖かいお湯が全身を包み込んで、ずきずきする心を癒してくれるようだ。
フラれてから気づいた八重山兼人の良い所がいくつもある。恋は盲目とはよく言ったもので、恋をしているうちは見えなかったいろんなところ。いや、理想を押し付けて見逃していた所がたくさんある事に気が付いた。
かっこいいかっこいいとばかり思っていたけど、よくよく見ると可愛い顔をしている。ポンコツな所もあるし、優柔不断だなぁと思うところがたくさん見つかった。それを可愛いと思ってしまうのだからもうどうしようもないと思う。
(まずいなぁ……最後に泊まった時に、あんなことをしてしまってからは避けてたんだけど、今の自分を抑えられる気がしない……。いや、我慢だ。我慢我慢我慢。けんジィはもう凜の彼氏なんだ。だめだめだめだめ……今度こそ嫌われる…………)
☆☆☆
僕は部屋で天井を見上げてぼんやりしていた。
「なぜ、凜と付き合ってからの方が来栖が魅力的に見えるのか……? 気づいていなかっただけなのか、お互いに何か呪縛のようなモノから解き放たれたのか。……いや、僕の比較対象が増えたからだろうな。凛と来栖の2人と過ごすようになって経験値が増えたから、今まで当たり前だと思っていたものの解像度が上がったんだろう」
以前はずっと不思議に思っていたことが今ではすんなり受け入れられる。
来栖がなぜ人望があるのか。来栖を好きな人が多いのはなぜなのか。いまならよく分かる。
「最後に泊まった時は……ああ、中学生の時か」
おそらくクラスのほとんどの人間が知らない事だろうけれど、来栖は天真爛漫に見えて、実はむっつりスケベなのだ。
最後にお泊りしたのは忘れもしない中学1年生の時。あのときも冬だった。
今日と同様に宿題をするという名目で遅くまで家に居たからそのまま泊まる事になったのだった。
「思えば、なんであのときに気づかなかったのだろう? 今になって考えれば来栖の気持ちなんて分かりやすすぎるほどだったじゃないか。僕はよほどぼんやりと生きていたんだなぁ。あれに気づかないなんて……来栖がなぜ愛想を尽かしてないのかが不思議でならない」
ベッドに背を預ける。角が背中に押されてスプリングが軋んだ。
あのときに気づいていれば良かったのだろうけど、まあ、当時は当時で余裕が無かったのだから責めないで欲しい。
まさか来栖があんなことをするなんて、思ってもみなかったのだ。
(いや、もうあの時から何年も経ってるし凛と付き合っているという事もある。さすがに来栖も手を出したりはしないと思うけど……)
昼間の事も、あれはシチュエーションゆえの過ちだ。大人も子供もお姉さんも、時と場所と雰囲気が揃えばおかしくなってしまうものである。
僕達はこれから徹夜で宿題を進めなければならない。さすがにあの時みたいな事をされる余裕もないし、寝床を分ければ大丈夫だろう。
僕はこれからの戦いに備えて目を腕で覆って、休もうと思った。
長い夜になるのだ。
☆☆☆
ここからは来栖の一人称視点でお送りしよう。
お風呂から上がって体を拭く。男子の、好きな人の家で裸になっている。ただお風呂に入っただけなのに、不思議と緊張してしまう。
「……もう、大丈夫。ていうか宿題しなきゃまずいしね。うん、大丈夫」
体を拭いて、服を着て………って、お母さん、よりにもよって猫耳のパジャマを持ってきたの……? 私、これだけは見られたくなかったなぁ……。
最後に泊まったのはもう4年前になるんだ。変わってないなぁ、ここ。
おそろいのシャンプーも、まだあった………えへへ。
お風呂場を出ると、けんジィのお母さんに呼ばれた。ご飯ができたからけんジィを連れてこいって。今日のメニューは、なんと私の好物らしい。
私は「は~い!」と返事をして、けんジィの部屋に向かう。
あの時の失敗はもう繰り返さない。昼間は盛大にやらかしかけたけどもう大丈夫だ。
「けんジィ~~~~? ご飯できたって~~~」
と、しかし、問題が発生した。
部屋に足を踏み入れた瞬間、私の心臓がドキンと跳ねる。
「ね………寝てる……だって?」
そう。けんジィは無防備にも寝ていたのだ。
吹っ切れたい吹っ切れたいと思っていた私に、今のけんジィはカモがネギをしょって来たようなものだった。
「……今しかない」
あの時みたいに全部吐き出せばスッキリするはずだ。
だからこの思いを、けんジィを困らせる想いを、吐きだそう。
ぜんぶ、ぜんぶ、寝ているなら、気づかれないだろうから……
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………」
私はそう呟きながら、けんジィの唇に、キスをした。
あのときの過ちを、もう一度繰り返してしまった。
これで最後だと決めたから、一番長いキスをした。
あのときは長い髪を押さえたけど、今はもうない。けど、触ったら起きちゃうかもしれないからそばに跪いて首だけ伸ばしてキスをする。口移しをするみたいにそぉっと、そぉっと………。
………これが私の恋だった。とても背徳的で、罪悪感だらけで、友達を裏切って、とてもドキドキした。
(……ああ、ごめんなさい。凛。けんジィ。私は悪い子です。友達の彼氏にキスをしちゃう変態です。こんなことでドキドキしちゃうんです。……でも、これで終わりなんです。終わりだから、許して欲しいんです…………)
私の気持ちを全部移すみたいに、唇を
あとで私が良かったなんて言われても、もう知らないんだから!
☆☆☆
「けんジィ、おい、けんジィったら!」
「……ん、なに?」
「ご飯できたってよー」
「あ、そう……」
僕は目を開けた。
「私、先に行ってるから!」
パタパタと駆けて行く来栖を見送って、僕はぼんやりと起き上がる。
「まいったなぁ……」
手の甲にぽつねんと残った一滴の水。
僕はしばらく見つめてから、ティッシュで拭き取った。
「……なんで今になって、魅力的に見えるんだか……」
なぜ痕跡を残してしまうんだ。
涙を残されたら、拭かなければいけないじゃないか。
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