第43話


 それからの氷月さんは別れる事が怖くなくなったように僕を呼びだした。


 夫婦関係というものは常に主導権を握ったもの勝ちであるが、恋愛においてもそれは変わらない事を僕は学んだ。


 氷月さんは途端に強くなった。


「ねえ、凜」


「なぁに? 八重山」


 今日は服を買いに行くのだという。捨てられるのが辛いとか言っていたのはあの日だけで、むしろいまは「自分が選ぶ立場にあるのだ」と言わんばかりに堂々としている。


 僕はショッピングモールの中をキョロキョロ見回しながら言った。


「人が、見てるからさ……」


 腕を絡めるのはやめて欲しいと思った。


「知り合いがいたら困るって? 別にいいじゃない。見せつけてやれば」


「なんでそんなふうになってしまったんだ……」


「今日は服を買いに来たんだからね。八重山にはもっとかっこよくなってもらわなくちゃ」


「これでも努力はしてるんだけど……」


「もっと。もっとかっこよくなって」


「はぁ……この前までそんなこと言ってなかったのに……」


「この前はこの前。今は違うもの」


 だったらもっとかっこいい男子と付き合えばいいと思った。僕のような朴念仁ぼくねんじんを捕まえてかっこよくなれなどと………


 僕が「なぜ」と訊ねると氷月さんは「だって私の彼氏だもん」と言った。


 ショッピングモールの服売り場の数は異常だと思う。見渡す限り服、服、服、たまに楽器屋、本屋、そして服。あとアクセサリーショップ。氷月さんは店から店へと飛び回って、ほとんど似たような服を見比べては「これも違うな」と呟いた。


「何が違うのだ。もうさっきから同じようなシャツばかり見ているじゃないか」


「色が違うでしょ? それに生地と形。全然違うよ」


 いま氷月さんが見ているのはネイビーの七分丈と黒の七分丈。どちらも上着なのだけど、ボタンの厚みが穴に対して大きすぎる。前を止めるためのボタンではなく装飾のために付いているとしか思えない。「こんなのがオシャレなのか?」と訊ねると「知らない」と一蹴された。知らんのかい。


 僕は半ば馬鹿らしくなって氷月さんから離れた。


「男子の服なんてほとんど一緒だろー? だったら別にいま着てるやつでもいいじゃないか」


「なんで? それってだいぶ前に着てたヤツだよね」


「あぁ、うん。あの因縁の日にね」


 因縁の日とは、氷月さんと付き合うことになったあの日である。


「そんなマネキン買いみたいな服、私イヤよ。もっと垢抜けた服を着ても良いと思う」


「遠まわしにダサいって言うな、おい」


「あ、ほら、このシャツ! これを中に着るだけでずいぶん変わるわ」


 それは白地のシャツだった。胸を横断するように太いラインが一本入っており、複数の青色が抽象的に混ざったような、それ単体では何がオシャレなのかも分からないシャツ。


 氷月さんはネイビーのシャツと一緒に僕に渡すと着替えてみろと言わんばかりに試着室へと連行した。


 着て、試着室を出る。すると氷月さんは顔を輝かせて「かっこいい!」とはしゃぎ始めた。


「やればできるじゃん! そうだよそうそう! そういうのがいい!」


「……こういうのがいいの?」


「うんうんうんうん! ……はっ、えっと、うん、ちょっとはかっこよくなったね」


「………はぁ?」


「じゃあ買ってくるから脱いで」


「え?」


「私が連れてきたんだから私が買うわよ。いいから脱いで」


 氷月さんは僕を試着室へ追い込むとピシャッとカーテンを閉めた。


 なんだか恥ずかしさを隠すようにも見えるけれど、僕の服を買うつもりだったのは本当らしい。


 シャツと上着を渡すと氷月さんはレジへと駆けて行った。完全に立場が逆転してしまったかと思ったけれど、去り際の横顔が赤かったことをかんがみるに、イニシアチブを取り返す機会は意外とあるのかもしれない。


 今の関係は僕の望むお姉さんとの恋に近いものではある。が、実際に経験してみると、相手に引っ張られるのは僕の性に合わない事がわかった。やはり理想は理想であるべきだ。もし氷月さんがこれを意識してやっているのなら、その意図は汲むけれど、僕達の等身大の恋ではないように思う。


 恋はナチュラルであるべきだ。


 氷月さんが優位の関係もなんだか居心地が悪いし、何か逆転する良い方法は無いかと思案しているとアクセサリーショップのネックレスが目についた。


 淡い水色が可愛らしい三日月のネックレスである。そのとき、僕の頭に妙案が閃いた。


(これをプレゼントすれば主導権を取り返すことができるに違いない! 苗字の氷月ともかかっていて丁度いいし、普通にオシャレだから喜んではくれるだろう。見ていろ氷月さん……)


 僕はネックレスをレジに持っていった。店員に頼んでプレゼント用の包装をしてもらう。すぐに開けることにはなるだろうけれど、プレゼントであると印象付けることが大切なのだ。氷月さんの元に戻ると、腕を組んで仁王立ちしていた。


「買ってきたわ! さあ着替えて! 試着室を使う許可はとってある!」


「ああ、うん。いいよ」


 どうせ渡すならこれに着替えてからの方が効果的だろうと考えて、僕はおとなしく試着室にこもった。


「わ……やっぱりかっこいい……!」


 氷月さんは口の前で両手を合わせた。普通の女の子っぽいというか、今までで一番声が楽しそうである。目を輝かせているところを見ると、やっぱりこういうのが好みらしい。これが好機とばかりに僕は包装してもらった箱を取り出した。「ありがとう。ね、これ、お礼なんだけど」


「お礼?」氷月さんは首を傾げながらも箱を受け取る。「開けてみて」と言うと素直に開け始めた。


「服に比べたら安いけど、凛にぴったりだと思うんだ」


「……ネックレス?」


「そう。着けてあげるよ」


 僕は氷月さんの手からネックレスを取ると後ろに回った。長い髪の下に手を潜らせて、ネックレスを背後から回す。氷月さんはくすぐったいのか「あぅ……んっ……」と艶かしい声をあげる。形の良いうなじにドキッとした。


 試着室の鏡の前に案内して、ネックレスを着けた姿を披露すると、


「…………」


 氷月さんは首筋に手を這わせてしばらく眺めていた。


 自分で買っておいてなんだが、とてもよく似合っていると思う。氷月さんの今日の服装はフリルつきの白いワンピースだった。半袖が夏らしい爽やかさを醸し出し、雲のようにふわふわなスカートが軽さを演出する。そこへ差し色になる水色のネックレス。いいじゃないか。


 しかし氷月さんは感想を言わない。


 僕がヤキモキしていると氷月さんは振り返って「……これを私のために?」と訊いた。


「うん。……お気に召さなかった?」


「……………」


「………えっと」


 なぜだか沈黙が僕たちを包んだ。おかしい。いつもの氷月さんならこれでニヤけるはずなのに。


「とても似合っているよ」


「…………」


「可愛いよ」


「…………」


「えっと、どう、かな?」


「さ、お昼にしましょう?」


 氷月さんはきびすを返して歩き出した。


「え!? あ、ちょっと!」


 僕は慌てて後を追った。プレゼント作戦は失敗に終わった……らしい。


 どうやら僕が優位に立つためにはもっと氷月さんを研究する必要があるようだ。


     ☆☆☆


 その日の夜の氷月さんの様子をかいつまんで記述しておく。


 僕のプレゼント作戦はむしろ有効だったらしく、氷月さんは部屋にこもってずっとふわふわしていた。


「えへへへへ、買ってもらっちゃった。可愛いだって、可愛いだってよーー!」


 ネックレスを両手で持って姿見の前でくるくる回る。


「もうニヤけるの我慢するの大変だった〜〜〜。なにあれ可愛すぎるんですけど? 私の彼氏可愛すぎない? あんな八重山が見れるならもっと頑張っちゃおう。せっかく年上っぽくなる付き合い方が分かったんだもん。これでもっと好きになってくれるよね!」


 どうやら氷月さんなりに僕のことを考えてくれていたらしい。普通に喜んでくれた方が嬉しいのだけれど、そこは彼女の意向を汲むことにする。


「今日はどうだったかな、ちゃんとお姉さんできてたかな。いつもの八重山ならどうしてたかな。明日もデートに誘っちゃおうかな。これつけて行ったら喜ぶかな」


 氷月さんはネックレスを胸元で抱きしめると「やっぱり、ちゃんと告白したいな」と囁いた。


「あの日のこと。ちゃんと説明して謝らなきゃ……」


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