第38話


 さて、翌日。氷月さんと来栖はそろって登校してきた。あのあとカラオケがどんな盛り上がりをみせたのかは2人のみが知る事であるし、そもそも僕は2人のやり取りすら知らない。


「おはよう」と声をかけると2人はクマだらけの目元をあげて、「おあよう」とほとんど濁点がついたようなしゃがれ声である。


「………………」


「………なに」と氷月さんが怒ったように言う。


 いや、怒っていないのかもしれないけれど、明らかに寝不足の顔としゃがれ声がそう思わせるのだ。


「何かあったか?」


「のど、痛い。部活どーしよ」


「知らんが」


「けんジィ、のど飴」


「ない」


 僕はため息をついて授業の準備を始めた。そこへ2人して詰め寄ってきて「じゃあ温かい飲み物」と言った。


 そのゾンビのような声の恐ろしいこと恐ろしいこと。いったい何をしたらこんなモンスターが誕生するのだろうか?


「おごるのは構わないけど、その顔はどうにかしてくれ」


 すると2人は顔を見合わせて、にへら、と笑った。


     ☆☆☆


 部活へと赴く来栖の後姿を見送って、僕と氷月さんは一緒に帰ることにした。


 とはいえやはり表立って仲良くすることは憚られるので、校門を出るタイミングをずらすことでカムフラージュを図るのである。


 僕が時間を潰すべく教室で小説を流し読みしていると、ふと、今日の2人の様子が思い出された。雨降って地固まるというべきか、2人は今回の騒動を経てさらに親睦を深めたようである。


「あの2人が仲良くなれたのならそれでいいか……何があったのかは知らないけれど、しかし、いつも連れ立って歩くのはいささか仲が良すぎるのではないか……?」


「やっぱり、やえちんもそう思うー?」


「でた、小日向」


「おいおい、そんなお化けみたいな扱いすんなよ。それなりに傷つくだろー?」


「それなりには傷つくんだな」


 いつの間にか小日向ゆりねが目の前にいた。


 僕は小説を目の高さにあげて視線を切って目を合わせないようにする。今回の騒動の元凶は彼女だ。また何か余計な事をしないとも限らないし、話をさっさと切り上げるのがいいだろう。


 すると、小日向はぽつりぽつりと独り言のように話し始めた。


「……別にそこまでかき乱すつもりはなかったんだよ」


「何が」


「まさかこのみんがあんなに取り乱すとは思わなかった。いつもやえちんの話になると笑って流すこのみんがさ。揺さぶるつもりなんてなかったんだよ」


「………………」


「だって、やえちんって結構人気なんだよ? 彼氏にするなら誰って訊いたらほぼ間違いなく名前があがるんだよ。このみんだって何回もそういう場にいて、何回も笑って流してたのに。氷月凜ってそんなに特別なの?」


「………………」


 小説から目をあげて小日向の顔をちらりと覗くと、彼女は唇をクローバーのように真ん中に寄せて不貞腐れたような表情をしていた。なんだろう。友達とふざけていたら教室の硝子がらすを割ってしまった子供のように見える。


「言われたくない言葉というのは他人には分からないものだ。小日向はそれをわざとやるという評判だったが?」


「やえちんまでそういう事言う……違うよ。ゆりはそんなつもりじゃないんだ。いつもいつも……みんなの心が弱すぎるんだよ。ゆりは傷つけるつもりなんてないの。本当なんだよ。なのに、おもしろそうって思ったことを言ったらみんな怒ったり悲しんだりするんだ。なんで?」


「………きみは、人の心が分からないのか?」


「それもさんざん言われたよ。陰で。聞き飽きちゃった」


「…………同情はしないぞ」


「……それでいいよ。別に、可哀相なんて思って欲しくないし」


 小日向はうなだれて静かに首を振った。


「……それでも友達を作る理由は?」


「そんなの楽しく生きたいからに決まってるじゃん。私みたいなのが一人ぼっちって、この世で一番みじめじゃん? 楽しく生きたいだけなのに、なんで悲しい思いをしなきゃいけないわけ? だから、一人でも多くの友達を作っておくの。もしどこかに嫌われても別のところに入れるようにね」


「疲れないか、それ」


「…………疲れないもん」


 小日向は言葉とは裏腹に暗い顔をした。


 僕は、そこまでして友達が欲しい気持ちが分からない。深い付き合いのできる友人が1人か2人いれば良いと思っているような陰キャだから、彼女のように心を削ってまで友達を作ろうとしたことがない。


 しかし、友達を消耗品のように扱う姿勢はいただけないと思う。


 嫌われてもいいように友達を作るなんてそんなの本末転倒ではないか。


 僕は小説をしまうと小日向の腕を掴んで自販機へと向かった。「来い」


「え、な、なに? もしかしてお説教? それともイケない事?」


「どっちも違う! いいから来るんだ」


 友達が欲しいと言いながらも友達を切り捨てるような人は素晴らしい女性とは言えない。小日向がどれだけ薄情なヤツでも、僕は年上を愛する者として悩める少女を放っておくことなどできない人間だ。彼女とて素敵なお姉さん予備軍である事に変わりはない。


 自販機のある連絡通路に辿り着くと、僕はお金を入れて目についたものを買った。


 取り出し口にコップが装填され、次いでジャージャーガラガラと、飲料水と氷が投入される。


 僕はそれを取り出すと、「ほら、飲め」と小日向に差し出した。


「ミルクティー。ゆり、これ好き」


「なら良かった。これ飲んで、来栖と凛がどれだけ傷ついたか考えとけよ」


「………………」


 小日向は両手で持った紙コップに恐る恐る口をつけた。小さな唇がコップのふちに触れてぷにっと広がる。目を閉じてミルクティーを飲む姿はとても友達を切り捨てるようなやつには見えなかった。


 いつも人を小ばかにしているような笑みも、作ったような愛想笑いもない彼女の顔を見るのは初めての事だったが、いまの小日向は可愛いと言って差し支えないいたいけな表情をしている。


「お前さ、もしかして寂しいのか?」そう僕が言うと、しかし小日向はむせたのか、「むぐっ! けほっけほっ、急に何言うんだよ!」と怒った。


「ああ、悪い。大丈夫か?」


「大丈夫じゃないよ! あーん、せっかくのミルクティーがぁ……」


「また買えばいいだろ……」


「ぶぅ……」


 たかだかミルクティー1つで大げさだと思う。小日向は目に涙をためて僕を睨むが、僕のせいではないと思う。


「なぁ、小日向……」と言いかけてポケットに入れておいたスマホがメッセージ受信を告げる。氷月さんからのメッセージであろう。待ちくたびれたという怒りの声が聞こえてきそうだ。


 言うべきことは言った。でも、小日向の成長を思えばこれだけは付け加えておこうと思う。


 僕は廊下へ続くドアへ手をかけながら小日向を振り返って「友達ってさ、作ろうと思ってできるもんじゃなくて、気づいたらなってるものなんじゃないのか?」と言った。


「………気づいたら、なってる」


「お前がどう思うかは知らんが、来栖と凛の2人は、そうやって友達になったと思うぞ」


 スマホのバイブレーションがうるさい。そろそろ行かないと本当に怒られそうだ。


「じゃ、僕はもう帰るから」


「あ、あの、やえちん!」


「ん?」


 振り返ると、真剣な表情をした小日向と目が合った。


 ミルクティーの入った紙コップを両手で抱えて俯いて、どこか面映おもはゆそうに「あの……ごめん、なさい」と言う。


「うん、それが聞きたかった。あの2人にも言っとけよー」


「うん。謝る。絶対謝るから、また……」


「また?」


 僕には小日向が悪いヤツには見えない。むしろ本当はとても繊細で、臆病で、不器用なやつなんじゃないかと思えてくる。だって、友達を切り捨てたり消耗品のように扱うやつがこんな顔をするだろうか?


 こんなに真剣になって。


「また、お話してくれる……?」


 なんて、言うだろうか?


 僕にはやっぱり、小日向が悪いヤツには見えないのだ。


「もちろん、また明日な」


「うん! ……って、嬉しくなんかないから!」


 小日向はそう言って、形の良い歯をむき出しにした。

 

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