第37話
今日は1人で帰るという氷月さんを見送って、僕は教室に戻った。
そこには来栖がぽつねんと座っていて、僕の姿を認めると、万事承知しているというふうに頷いた。
「もしかして、見てたか?」と僕が尋ねると「もしかしなくても」と答えた。
「来栖にばかり大変なことを押し付けて申し訳ないが、君の方からも働きかけてくれないか? 僕にできることはもう全部やったよ」
「あれ見たあとで言うのはずるいなぁ。私が凛大好きなの知ってるじゃん?」
「悪気はないんだ。ただ、自分に正直だっただけなんだよ」
「知ってる。あんなに泣いてさ。もっと堂々としてくれないと私も話しかけづらいんだよね」
来栖は体を大きくそらして後ろの席に後頭部をくっつけた。僕は真っ逆さまになった来栖の視界に映るように彼女の後ろの席に座る。
「……傷を抉るような真似ばっかりしてすまないな」
「一番傷ついてる人が何言ってんの」
「………………」
「凛って不思議な人ね。普通にしてれば大人っぽいのに中身は幼稚園児かそこら。目が離せないというか、危なっかしいというか、だからこっちも、ついつい目線が変わってしまうのかな。凛がけんジィのこと好きなのは、なんとなく分かってたよ。あからさまだもん。ゆりねに言われて、あ、やっぱり。って感じではあったけどさ」
来栖は言葉を宙に放り投げるように呟いた。
「任せて。明日には元通りになるように、何もしないから」
「何もしないのか」
「何もしないさ。けんジィが言った通り、集めるべきピースは全部そろってるよ。あとは凜自身が考えるべき事だ。こればっかりはね」
「僕の口調を真似するなよ」
「へへっ、似てた?」
僕は答えるかわりにため息をついて、手に持っていた紙コップを、体を起こそうとした来栖の額に乗せた。「おわっと、危ない!」
「再試に合格したら何か奢ると言ったからな」
「危うく制服がカフェインまみれになるところだったんですけど……」と、来栖はコップを慎重に下ろしてから体を起こして僕を睨んだ。
その顔を見ていると、不思議な事に、自然と笑みがこぼれてきた。
「悪い悪い。………こんな会話はしたことがなかったな」
「けんジィの方から私にちょっかいをかけることもね。楽しい?」
「……さぁな、どうだか」
楽しいかと聞かれると少し楽しかった。氷月さんの行動がこんなところまで影響を及ぼすのかと思うと、人の心とは分からないものである。しかし、長年の付き合いゆえのどこか縛られているような感じから解き放たれたといういべきか、ようやくありのまま付き合えるようになったこと。それは感謝するべきだろう。
「ありがとうな」
すると来栖は急に吹き出した。
「なぁに? 急に……ていうか誰に?」
「いや、なんだろう……世界のすべてに?」
僕はなんだか清々しい気分だった。新鮮な気持ちとでもいうのか。来栖と交わす一言一言が楽しい。新しい友達ができた気分だ。それを直接伝えるのは恥ずかしいからぼかしたのだけど………
しかし来栖は、なにがおかしいのだろうか。彼女はアッハッハと腹の底から大笑いすると目に涙をためて苦しがった。
「そんなにおかしいか。ひどい奴だ」
「ごめんごめん……なんだろう、私もおんなじ気持ちだよ。いま、全部が楽しい」
「うん、楽しいな」
「ありがとうっ」
「……ありがとう」
「へへっ」
☆☆☆
その日の夜。氷月さんは悶々としていた。自分の成長を感じろとか、いまの幸せを感じていろとか、そんなことを言われたって良心は痛む。ただ頭ごなしに言われたって反感は募るばかりで、しかも今日の彼女は来栖を避けてばかりいたから、明日は余計に話しづらくなるだろうと思われる。
負い目というか引け目というか……どうしたって友達の大切なものを奪ってしまった罪悪感は消えない。
お風呂上がりの体はほかほかする。でも、明日のことを思うとみぞおちのあたりが凍えるような気分になる。
「凛ちゃ〜〜〜〜ん、スイカ切ったわよ〜〜〜〜」と、おばさんの声がする。
ベッドに寝転がりながら、氷月さんは、もし自分が来栖の立場だったらどうだろうと想像してみた。
「凛ちゃ〜〜〜〜〜〜ん!」
「は〜〜〜〜い、あとで行きます!」と返事をしておいて枕に顔を突っ込んだ。行きたくなかった。
(もし木実の立場に立ったら、やっぱり、八重山をとられたって思うかもしれない。でも八重山は自分が選択したって言ってた。それって、私に気を遣ってのことなのかな。私が考えすぎないようにしてくれた? 八重山の場合、それが本当にありうるからわからない……でも、もし立場が逆で、木実と八重山が付き合ったとしたら、たぶん、最後には受け入れると思う。木実が八重山のこと大好きなのは知ってるから。私は、平気。でも、それを木実に求めるのは話が別だよね。だって、私が八重山のことを好きだって木実には伝えていないから。木実からしたら、裏切られた感じだよね……伝えておくべきだったのかな。いや、伝えていたら、友達にはなれなかったと思う)
氷月さんは枕をギュッと抱きしめると、はぁ、とため息をついた。
「どうしたらいいんだろう。これは私の気持ちの問題……でも、嫌だなぁ。裏切者って、友達じゃないって言われたら……立ち直れない気がする」
「ひづ姉さん! スイカいらないのーーー?」
「あとで食べるってばー! リビングに置いといてー!」
わざわざ持ってきたらしい従妹を追い払う。と、スマホが振動してメッセージの受信を告げた。
「あ、八重山!」と、氷月さんはパッと顔をほころばせてスマホを手に取る。が、そこには『夜通しカラオケor夜通しホラー映画鑑賞会。選んで』と書いてあり、送信者は『このみ』とあった。
氷月さんは思わずスマホを取り落として、涙をこぼした。
「え、うそ、え……!? え、なんで……え!?」
震える指で、『いいの?』と打った文字を消し、『ありがとう!』と打った文字を消し、『カラオケ!』と書いて送った。
たったそれだけなのに、胸が軽くなった気がした。
『駅前集合』
『はいっ』
『私、音痴だから覚悟してね』
『思いっきり叫びたい気分だしちょうどいい!』
氷月さんは続けて『ありがとう。メッセージ送りたいけどずっと悩んでたんだ』と送ろうとしたが、送信ボタンに手をかけてから野暮だと気づいて消そうとした。
どうして来栖が簡素なメッセージで済ませたのか。どうして今からなのか。それを考えると、これ以上の言葉は必要ないと思ったのだろう。
来栖は来栖で連絡はしないと言っていたのになんだかんだ連絡を取っているし、素直じゃない奴だ。
氷月さんは1人でも立ち直れたかもしれない。少なくとも僕はそう信じていたのだが、来栖の行動は僕の気持ちを差し引いてもグッジョブである。
信じて待つのも友情ならば、悩める友に手を差し伸べるのも友情であろう。
氷月さんはここに友情を感じた。来栖が差し伸べた手を取った。これ以上の言葉が必要だろうか?
「やばい……これが友達…………」
もう言葉は必要ないのである。
しかし、氷月さんの頬を伝った涙がスマホに落ちて、送信ボタンを押してしまったのだった。
「ああーーーーーーーー!」
途中まで消していたメッセージはとても不格好で、今すぐ取り消したいと氷月さんは焦ったけれど、来栖から『泣くなよ』というスタンプが返ってきたので、
「……ま、いっか」
そう呟いてスマホをしまった。
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