第32話


「慰めるわけでもなく、断るだけでもなく、私を選んでくれるわけでもなく、こうやって喉に刺さった魚の骨をとってくれる、優しい所が嫌い。嫌いになりきれなくて嫌い」


「優しい……か? 自分のしてることに自分で泣きそうだぞ、僕は」


「なんでよぉ~~。そういう変に素直な所も嫌いだな」


「こんな捻くれ者を捕まえてよく言うよ……」


 僕がため息をつくと、「なんでよ」と言って来栖はさらに嫌いな所を語りだした。


「私のワガママに散々文句言うけど、最後はあっさり受け入れてくれるところも嫌いだし、誤魔化さずに真正面から向き合ってくれるところも嫌い。仏頂面のくせに笑うと可愛い所も嫌い。ぜんぜん趣味が合わないのに興味をもって調べてくれるところも嫌い、私が話し過ぎるとイヤそうな顔はしても話し終わるのをゆっくり待ってくれるところが嫌い。嫌い嫌い嫌い……嫌いな所だらけだ………」


「………………」


「ねえ……………私の嫌いな所は…………? もう、ないの……?」


「……ごめん。好きって言葉に変えてもいいか? それか、安心するって言葉に変えても? それならまだ言えるけど」


「ダメ」


「なぜ」


「だって……いま好きって言われるの……つらい…………」


「………………」


 さっきフッたばかりなのだから、好きな所を言われても辛いのは、それはそうだ。配慮が足りなかった。しかし謝るのもまた違うと思ったので、謝らなかった。


 来栖はぽつりと「覚えてる?」と言った。


「あの日さ、けんジィが凛に、容姿以上の美しさを持たない人に興味が無いって言ったとき、私、少し悲しかった」


「………………」


「私だけじゃないんだって……みんなに言うんだって……嫉妬じゃないけど……心がもやっとしたんだ。けんジィは覚えてないかもしれないけど、私にも言ってくれたんだよ? 昔……」


「そんな素敵な言い回しではなかった気がするけどなぁ……」


「言ったもん! 言ったからもっと明るくなろうって……頑張ったんだもん……」


「………………」


 それは、なんのおりだったか、初雪の降った日だったか。たまたま来栖と下校する事になって2人で歩いていたときだったと思う。


「あの頃の私ってさ、ほら、暗かったし、だんまりだったし、表情も無かったし、可愛げだってなかったし、けんジィの事を信用しきれてなかったんだ。そればっかりか、けんジィから逃げてばかりで、正直、からかわれてる方が、あ、日常だって思えたんだよ。それなのに、お母さんたら、迎えに行けないから友達と2人で帰りなさいって言うんだよ」


 ……ああ、そうだった。


「それでね、仕方なく、帰ろ? って言ったらさ、けんジィったらすっごくはしゃいでた。……ふふ、思い出しただけでも笑っちゃう」


「なんだよ。それなら誘う時の来栖の方がよっぽど緊張してたぞ」


「だって男の子に自分から話しかけたことなかったんだも~ん」


「………………」


「雪が降ってさ………曇りの日だったのにさ……私の頭に雪が乗っかって……それをけんジィが払って……」


 そうだった。あの日、初雪が降った日の事。


     ☆☆☆


 粉雪が舞う住宅街を2人で歩いていた。僕が先を行き、少し後から俯いた来栖がとぼとぼとついてきていた。僕はときおり後ろを振り返り、そこに来栖がいる事を確かめながら歩いていた。


「寒くない?」


「……………」


 来栖は、男子といるとやっぱり怖いのだろう。足元を見つめたままふるふると首を振った。


「……ふぅ、ならいいけど」


 僕はため息をついた。……と、俯いている来栖の後頭部に雪が積もっていた。僕はそれを払おうかどうか迷ったけれど、首筋に入ったら冷たいだろうと思って嫌がられる事を覚悟で払ってやった。


「――――――――ッ!」


 来栖はやっぱりビックリした。


 けれど、逃げようとはしなかった。


 すべて払い終わるころには、目の前に立っていても逃げられないくらいにはなっていた。


「肩にまで積もってる……やっぱり寒かったんだろ?」


「……………うん」


「顔が真っ赤だ……。頬つめた………氷を触ってるみたいだ……」


「……あ、これは……ちがう………」


「ちがう?」


 両手で頬を触ってみると、本当に生きているのかと心配になるくらい冷たかった。そのくせ鼻が真っ赤だし目元も潤んでいるようだった。これで風邪を引いていたら怒られるのは僕の方。


「我慢は良くない。辛いならすぐに言ってよ。コンビニくらいなら寄り道したって怒られないと思うし……」


「………うん」


 近くに小学生でも入れる建物があったかなぁと歩き出そうとしたとき、頬から手を離してくるりと振り向いた僕の背に、来栖が急に抱き着いてきた。突然の事に驚いた。


「わっ……どうしたの?」


「………………」


「ランドセル雪まみれなんだけど……とりあえず離そう?」


 来栖は首を振った。


「温かい所に行こう? このままだと風邪引くよ」


 来栖はまたも首を振った。


「じゃあどうしたらいいのさ。何をして欲しいのか口で伝えてくれないと分からないよ」


 僕がそう言うと、来栖はようやく口を開いた。「頬……もっかい」


「はい?」


「顔冷たい……歩けない…………から、もっかい」


「………………」


 ジッと見つめる来栖の目には不安そうな様子も怯えている様子も無かった。猫に甘えられた人間が抵抗できない理由が分かった気がした。「しょうがないなぁ、ほら」


「………ん」


「温かい?」


「うん………」


 来栖は僕の手に自分の手を重ねて、安心したように目を閉じた。


 ……そうだ。このとき、僕が言ったんだ。


 瞳を閉じた来栖のその顔があまりにも可愛かったから。僕はついつい口にしたのだ。


「その顔、可愛い」


「へっ………?」


「あ、いや、その顔………いつも暗い表情だから分からなかったけど、笑うと可愛いなって、思って」


「…………………」


「そんなに可愛いのにもったいないよ。笑えばもっと可愛いのにさ」


「…………………」


 僕のこの言葉は、最初は口をついて出ただけなのだけど、後半は取り繕うように付け加えたものだ。口をついて出た言葉の体裁を整えるというか、後始末をつけるというか……小学3年生の僕は恋のテクニックなぞ微塵も理解していなかった。いまにして思えば、これが来栖の運命を変えてしまったのだろう。


 来栖は頬を熱いくらいに真っ赤にして「……やだ」と呟いた。


「はぁ!?」


     ☆☆☆


 来栖は思い出をぽつぽつと語りながら、その実、心の傷を抉っているだけのようにも見えた。


 その声は徐々に涙に濡れていき、ついには聞き取れないくらいになった。


「それで……それでさ………そのときのけんジィの………言葉……に……」


「………………」


「うぅ、うあぁ………やだ、だめ………泣きたくないのに………泣かないって決めてたのに………」


 来栖はぐずぐずと鼻を袖で拭いながら、顔をもみくちゃにこすり回して涙を隠そうとする。


 僕は無言を貫いた。褒められてしかるべきだと思う。


「好き……好きだよ………あの日からずっと、大好きだったんだよ……」


「……………」


「ううぅぅぅ、うわああぁぁぁぁ……………」


 来栖は泣き崩れた。


 その肩を撫でるくらいは、許して欲しいと思う。


 

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