第30話


「もし、大切な友達と同じ人を好きになったとしたら、けんジィならどうする?」


 来栖は意を決したように言った。


 ここ最近悩んでいたのは、まさしくその事だったらしい。


 小日向ゆりねから余計な事を吹き込まれたか、積もり積もった疑惑が噴出したのかは分からないけれど、いずれにしても窮地きゅうちに立たされたことには変わりがない。


 僕はゴクリと生唾を飲んだ。


 避けて通ることはできないと思っていたけれどこんなに早く訪れるとは思っていなかった。3人で過ごすことはとてもリスキーで、いつかつつかれることになるだろうと予期していたものの、まだ先の事だろうと楽観視していたことは否めない。


 友達と同じ人を好きになったらどうする?


 それはとても遠まわしだけれど、来栖が氷月さんと同じ人を好きになったという事であり、氷月さんの好きな人というのが、すなわち……僕。


 そういう、とても遠まわしで、清純で、穢れのない、美しい告白の一種であろうと僕は推察する。


 なんと答えるべきか……僕は、唐突に降って湧いた責任が重石おもしのように全身にのしかかるのを感じた。息が苦しくなった。


 なんと答えよう?


 なんと答える事ができよう?


 僕が優先するべきは氷月さんとの関係である。が、それを思うたびに来栖と過ごした年月が重くのしかかってくるのである。


「同じ人を好きになったらどうするか……また難しい事を聞くな」


「だって、けんジィならどうするか気になるんだもん。年上好きなら大人びた考えが聞けるのかなって、そう思うのは甘えすぎ?」


「年上好きというのは、暗に自分が子供だと認める事でもあるんだぞ。神崎が大人に見えるか? 僕達はお姉さんの醸し出す大人びたフェロモンに酔いしれたいだけの幼児に過ぎんのだ」


「そうは見えないけどね……私、けんジィにはけっこう甘えてるよ。とっても大人に見える」


「…………そんなことは、ない」


「あるよ。頼りがいがあって、いつも自分をしっかり持っててすごいと思う。私は、いつも自分に自信が無くて……踏み出す事をためらってしまう。今回だってそう。友達はね、その人と話しているとすごく楽しそうなんだ。それなのにすごく緊張してるんだ。でも、その緊張も楽しさも、ぜんぶその人がくれるんだ。私もそうだから、友達の気持ちが痛いほどわかる。痛いほど分かるから……友達にあげたい。友達に幸せになって欲しい。……でも、たぶん、2人がくっついたら、私はとっても辛いの……」


「……………」


 来栖はぽつりぽつりと語りだして、ちょっと言葉を区切ってコーヒーに手を伸ばした。僕はその間、黙りこくっていた。今の来栖は心の内を打ち明けたいようだから、口を挟むのが気の毒に思えた。


 ちゅうちゅうとお行儀よく両手で持ったコップのストローを口に咥えて来栖はコーヒーを啜った。梅の花のような唇をすぼめて、チュウリップのように柔らかい頬をへこませて一口分吸うと、ぷぁっ、と口から話して、俯きがちに髪をいじりながら話し出した。


「辛いのはいやだなぁ……でも、告白するのは、なんだか友達を裏切るような気がしてもっといやだ。それで、告白をして断られるのが一番いやだ。……周りにはいろんな道があるのにそれぜんぶが崖に繋がっているみたいな、進むのも辛いけど、立ち止まっているのも辛い……どこで道を間違えたのかなぁ……戻りたいなぁ、ってくらい、もう、どうしようもないところまで来てんだよね。そんな幼馴染をどう救ってくれるんだい? ねぇ………」


「どう救ってくれるか……ねぇ………」


「そうそう、王手飛車角。まあ、チェックメイト的な? これがバックギャモンならダンスの連続で手も足も出ない感じ。自分自身にね。ぜんぶあたしが邪魔してるの。あと一歩踏み出せばいいのに踏み出せない。だから気持ちが伝わらない。そもそも伝えるべきなのかなぁ……いっそのこと粉々にしてくれればいいのに。ねぇ」


 来栖はちらと僕の目の上に瞳を重ねた。


 もう全部分かってるんでしょと言いたげな瞳に僕はすっかり面喰めんくらってしまった。相談というていで思いのたけを吐露する彼女の決意を考えると、息苦しいような、そんなになるまで気づけなかった自分が恥ずかしくなってくる。


 だけど、僕の答えは決まっていて、それは来栖を傷つける事になる答えで、来栖は自分が傷つく事を分かり切っていて、この店を出るころには笑顔が消えている事は、お互いがイヤというほど分かっている事だった。


「……これはあくまで僕の持論なのだけど」


「ん、聞きたい」


「僕が年上好きである理由というのが、つまり、僕の嫌いな所も受け止めてくれるからなんだ。コンプレックスとか、弱い所とか、そんなものを受け止めて、それも含めて好きでいてくれるからなんだ。相手の事を信じられるからなんだ」


「…………ふむ、私と一緒だ」


「だから僕は、僕ならきっと、たとえ断られたとしても、告白をすると思う」


「するんだ……意外」


「するさ。断られようと断られまいと、それが相手の選んだ答え。僕は相手を信頼しているからそれを受け入れるだけ。まぁ、来栖には難しい話だと思うけどね」


 すると来栖はムッとしたように口を尖らせた。


「まぁ、待てよ。僕が君には難しいという理由は明確なんだ。……なぁ、来栖はいま友情と恋の間で苦しんでいるんだろう。告白をすることが相手への裏切りだと考えているんだろう? それくらい色々な事を考えている君に、全責任を相手に押し付けるような所業は難しいだろうと言うのだ。つまり、友情と恋の選択を相手に委ねるような事は出来ない、と、僕は考える」


「………私の苦しみをけんジィ……じゃないや、好きな人に押し付けるのは、たしかにできないけど、でも、私はその人と付き合いたい。その人と付き合いたいし友情も失いたくない。そんなワガママなやつなんだよ。友達を悲しませたくもないし、友達からその人を奪いたくないんだよ……いっそのこと、決めて欲しいよ……」


「来栖…………」


「泣いてないよ……泣いてなんかない…………泣いてないから!」


 来栖は突然立ち上がると、脇目もふらずに店から走り去ってしまった。


 様々な矛盾が彼女の脳内で爆発してしまったものと思われる。


 面倒見が良くてどんな人にも優しい彼女だからこそとても繊細で、傷つきやすいのだ。彼女の泣き顔は散々考えて、傷ついて、もうこれ以上傷つきたくない、哀しみの涙に見えた。


「……はぁ、苦しい……」


 僕は追いかけなかった。


 今の来栖が他人を寄せ付けない状態であるということ。それから、氷月さんを選ぶと心に決めている以上、彼女を追いかける事が優しさに見せかけたナイフでしかない事を痛いほどに分かっているから。


 硬い椅子にグッタリとうなだれて、僕はガシガシと頭を掻く。だけど、胸のもやもやはスッキリしなかった。


「………そうか、来栖は僕に好意を抱いていたのか。もっと早く気づいていれば異なる未来もあったのかもしれないなぁ………」


 でも、これで良いのだ。これが正しい選択。


 これがあるべき姿。


 僕はそう言い聞かせた。


 グイとコーヒーを飲み干して、僕は席を立つ。


 2人分の代金を払って、氷月さんの席に向かう。と、しかし、彼女は怒っていた。


「なんで追いかけないのよ」


「君は……来栖の気持ちも考えてやれ。いま追いかける事は来栖に勘違いをさせる事になるんだぞ。その勘違いがどれほど傷つけるのか、いくら恋愛経験がない僕だって理解しているんだ」


「そう……見損なったわ。八重山がそんなに酷いヤツだとは思ってなかった」


「おいおいおいおい…………、君はどれほど…………」


「今すぐ木実を追いかけて。じゃなきゃ、私、八重山とは別れるから」


「凛…………本気か?」


「…………………」


 返事はない。しかし、彼女の目は本気だった。


 この人はどれだけ夢見がちなんだ………。


「どんな結果になっても僕を恨むなよ」


「ハッピーエンド以外受け付けない」


「君というやつは………」


 来栖、安心しろ。君以上にワガママなヤツがここにいるぞ。友情と恋の選択を押し付けられるくらい可愛いものだ。


 この人は、僕に友情と恋を両立させろと言うのだ。


「分かったよ。どうにか、凜と来栖の友情は壊さないようにする。しかし、付き合い続ける以上は君にも傷を飲み込んでもらうぞ」


 氷月さんはぷいっと窓の方に顔をそむけた。


 それも僕次第という事らしい。


 いつまで経っても子供っぽくて、付き合い続けるほどにワガママになって、出会い系アプリで知り合ったばかりの頃の大人っぽさはどこへやら。


 氷月さんはぜんぜん僕の好みじゃない。


 しかし、そんな彼女に振り回されるのも悪くないと、僕は思うのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る