第28話


 来栖の様子に変わったところは無かった。


 いつも通りの笑顔。いつも通りの軽口。いつも通りの日常。ただ……


「けんジィ、次、音楽室一緒に行こ」


「けんジィ、ご飯食べよ」


「けんジィ、一緒に勉強しよ」


 なんだか、少しワガママになったようである。


 氷月さんも来栖の変化には敏感だった。僕達3人が表立って仲良くすることはあまりないけれど、休み時間や朝のホームルーム前などは自然と集まる事が増えてきた。そんな短い時間でも来栖はまず真っ先に氷月さんの所に行くのが常だったのが、小日向とのやり取り以降は僕の所に変わった。


「木実、最近なんだか可愛くなった気がする」


「そうか? たしかに主体性が強くなったような気はするけど」


「分かってないなぁ。あの木実の目……あれは完全に狩人の目だったね。確実に八重山の事を狩るつもりだよ」


 電話口から聞こえてくるのは氷月さんの楽しそうな声。電話がしたいですと面と向かって言われたのが2日前。それから初めてかかってきたのが今日であった。


 氷月さんはお風呂上りらしい。なんだか声音までホカホカしているようなリラックスした声だった。


「狩るつもりって……そんなに怖い目をしてたか?」


「怖くないよ。可愛いよ。可愛い女の子の目だよ!」


「よく分からん。というか、付き合って初めての電話の内容がこんなのでいいのか? もう1時間も来栖の話だが?」


 僕はチラッと時計を見て言った。今の時刻は午後10時。かかってきたのが9時。いまからかけるよ。かけていいよね。と連絡が来たのが8時40分ごろ。


 緊張してるから。と氷月さんがあまりにもかけてこないのでこちらからかけたらワンコールで切られた。「まだ心の準備ができていない!」ということらしい。


 そんなすったもんだを経てようやく実現したというのに、他に話す事は無いのだろうか?


「だって、だって……緊張して何も話せなくなりそうで、会いたくなっちゃいそうなんだもん………」


「緊張してるのか?」


「してるよぉ! こんなの初めてだもん!」


 鋭い声が耳をつんざいた。キーンと耳鳴りがした。


「八重山ともっと話したいし、ギュってしたいし、いい子いい子ってして欲しいし、声を聞いたら会いたくなって……寂しくなるし……」


「……………」


「自分でもこんな気持ちになったのは初めて。何を話してるのかも分かんないくらいドキドキしてる。会いたいよ……」


 氷月さんが甘い吐息を漏らした。その女性らしい情緒を帯びた吐息に僕はドキッとした。


「別に……明日も会えるだろう?」


「いま会いたいのっ! でも、私は隣町だから、すぐには会えない……」


「凛……」


「やめて、名前で呼ばないで。もっと寂しくなるからやめて」


 こんな甘い声を聞いたのは初めてだった。


 面と向かっていないからこそなのだと思う。緊張するなんて言いながらも氷月さんは次から次へと話題を振ってくる。時にはまともな返事を帰す前に次の話題に移ることもあった。


 舞い上がっているのか、テンパっているのか、そのどちらともなのか、僕にはどれとも判別しがたいけれど、とにかく嬉しい事だと思っている。


     ☆☆☆


「……………」


「……………」


「……………木実の様子は、やっぱり気になる」


 氷月さんは意を決したように言った。彼女はTシャツの胸元をギュッと握って、不安そうな顔をしていた。


「凛?」


「小日向さんと話してから、やっぱり変だよ。2人きりのときに何か言われたのかな。大丈夫なのかな………私には八重山に、助けてって言っているようにも見えるんだ」


 来栖の話では小日向ゆりねは何でも知っているという事だった。もし彼女が来栖の好きな人(つまり僕の事だ)を知っていて、それを刺激するような事を言っていたり、ほのめかしたりしていたなら、あの不安げな様子は納得がいく。


 ただの勘だけれど……来栖はその事で苦しんでいるように氷月さんは思う。


(そう思うのはただの希望的観測なのかな……でも、木実は自分の気持ちに積極的になれずにいて、怖がっているみたいに見える。八重山ならなんとかできるかもしれない……でも……)


 ここまで考えて、氷月さんは胸がチクッとした。


(ああ……いやだな。友達が苦しんでいるのに、私は、八重山を独り占めしたいって思っている。好きな人が別々だったなら、力になってあげたい……でも……いやだ。八重山が話すのは、いやだ。こんな事を思ってる自分がきらいだ……………)


「凛、どうしたの?」


「あ、ううん……なんでもない……」


「そう、ならいいけど……来栖の様子か。そんなに気になるなら僕から話してみるよ。小日向が何か言ったかもしれないというのは、ありうる話だ。ああも危険だ危険だと言われたら心配しないわけにはいかないな……明日はテスト1日目だから午後はまるまる空いてるだろうから、そこで話を聞いてみるよ」


「……………」


「…………凛?」


「………お願い」


「うん、任せて」


 そうして、気づけば時刻は11時を回ろうとしていた。もう寝ないと怒られてしまう。


 氷月さんは、努めて平気なふうを装って「もう遅いし寝ましょうか。明日、赤点なんてとらないでよ?」とからかって、通話を終える。


 氷月さんはプツッと通話終了ボタンを押すとため息をついた。


 とっても嫌だったけれど、胸はモヤモヤするけれど……どこかサッパリしたような心境だった。


 友達を裏切らなかった。


 それだけは誇っていいはずだ。


「ああ、でもでもでも、これで八重山が木実の可愛さに気づいたらどうしよう? 別れようって言われたら!? ああ、やだやだやだやだやだ! そんなのやだぁ!」


 氷月さんは頭を抱えて、ぶんぶんと振った。

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