3章

第25話


 氷月さんが可愛くなっていくにつれて教室内の勢力図も連動して塗り替えられていった。僕の度重なる説得により男子とも日常会話だけはしてくれるようになった。これまで我がクラスで猛威を振るっていたカースト最上位の高円寺こうえんじさん一味に集まっていた人だかりがまるごと氷月さんに移って、あたかも流行が過ぎた映画のように、高円寺さんたちはクラスメイトに取り残されてしまった。


 掃除の時間であった。7限目が終わるとそのまま掃除の時間になる。僕の受け持ちは2年教室。高円寺さん一味と来栖、あとは男子が数名いるが例によって名前は覚えていない。


 僕が毛先の短くなった箒でだらだらと掃きながら、どうやったら最短効率で教室を掃き終えることができるだろうかと考えているとき。こんな会話が耳に入った。


「最近さ~~氷月のやつ調子に乗ってない?」


「分かる分かる。前まで機械みたいだったのに急に色目を使いだしたよね」


「正直うざいっていうか、目障りっていうか? あんだけコケにしといていまさら取り入ろうなんて都合良すぎじゃね?」


「舐めきってる態度が腹立つよね、いっぺんしめとく?」


 かつて脚光を浴びた者の堕落した姿とはかくも哀れである。耳につく声で教室中に聞こえるように喋り、高円寺は注目を集めたいのだろうけど、彼女に向けられるのは鬱陶しそうな無言だけ。鶴の一声でさえあった高円寺の存在は一転してクラスの厄介者であった。


 高円寺さん一味の詳細な構成員は知らないが、高円寺光希みつきを筆頭に小鳥遊たかなしまどかと小日向こひゅうがゆりねの3人でいる姿をよく見かける。特に高円寺と小鳥遊は古くからの付き合いらしく、イエスマンのごとく高円寺について回る小鳥遊の姿がよく見られる。


 高円寺光希はいわゆるギャルである。ネイルもメイクもなんでもござれ。肩にかかる金髪はゆるくカールしており、それを保つためなら授業中だろうとヘアアイロンを使いだす剛の者である。教師にも平然と盾突く彼女に怯える男子は数多く、いまとなっては氷月さんよりも女王然とした麗しさがある。


 小鳥遊まどかはいわゆる小心者で、高円寺光希の側から離れようとしない。高円寺光希の付き人である事が彼女のアイデンティティである。傍若無人な高円寺のワガママにもっとも振り回されている彼女だが、それをこなして認められる事に生きる意味を見出しているがごとく中身が無い。見た目は派手なのだが、それも付き合いで無理にやっているだけという感じだ。


 小日向ゆりねは、よく分からない。前述の2人とは仲が良いらしいが、彼女は彼女のネットワークがあるらしくつかず離れずの距離を保っているようにも見える。あるいは、目の前の事に夢中なだけかもしれない。さっきまで3人で談笑していたかと思えば目を離した隙にいなくなる。それを咎めると「えへへ」と笑いながらすんなり話に戻ってくる。少し長い薄灰色のボブカットと手のひらまで包む大き目のカーディガンも相まってか、小動物のような可愛さを醸し出す不思議ちゃんだ。


 今も小日向は高円寺と小鳥遊から離れて1人で窓を拭いている。背が小さい彼女は自分の机を窓際に運んで背伸びをして一生懸命だ。


 僕が「パンツ見えているぞ」と注意すると、


「本当? やべーやべー」と言いながら机から飛び降りる。飛び降りたせいでスカートがフワリと膨れ上がり、太ももがギリギリまであらわになっても、気にしていないようだ。「あんがとー。やえちんは律儀だねぇ」


「別に、普通だろ」


「普通の男子はまずコッソリ覗いて背徳感を味わってから注意するもんだろー? そこへ行くとやえちんは目に入ったから注意しただけって感じじゃん。ゆり、そういう視線には敏感だからすぐに分かるんだ」


 えっへんと鳩のように胸を張る。真っ黒のフリル付きパンツをガッツリ見てしまったのだけど、それは良いのだろうか?


「ていうか別に見せパンだから恥ずかしくないんだけどね、それを見てむらむらしてる男子は哀れで可愛いよね」


 対策も心構えも彼女の方が一枚上手だった。


「僕は君の事がよく分からん。何者なんだいったい」


「ゆりはゆりだよ。何者か知りたいなら……一線を越えた仲になっちゃう?」


「馬鹿な事を言うな……」


 小日向がスカートの端をつまんでピラッとめくって見せる。見せパンというものが見えるか見えないか、ギリギリのところまでめくられるが、同級生の貧弱な太ももなんぞを見たって嬉しくもない。箒の柄で頭を叩くと、小日向はくひひと笑った。


「やっぱりやえちんはガードが堅いねぇ」


「興味が無いだけだ。小日向、馬鹿なことしてないで掃除をしろよ」


 掃除の時間はだいたい15分。ここで無駄話をして掃き終わらなかったら来栖に怒られてしまう。怒ると面倒臭いのだ。「しっしっ」と箒でつついて追い払うと、小日向は「ゆりはゴミじゃないよう」とぴょんぴょん避ける。


「むぅ、氷月凜だけが特別ってことか」


「は? いまなんて言った?」


「邪魔するつもりはないよ。応援するつもりも、ない、けど! 危ない!」


「どういう意味だ!」


 僕は小日向を捕まえて言葉の真意を問おうとしたけれど、一瞬早く小日向が跳ねて高円寺たちのところへ戻っていく。「ばいば~い!」


「おぉい! ……たく、なんなんだアイツは」


 ……しかし、やはり氷月さんのあの様子で人に知られないというのは無理があるようだ。あまり表立って仲良くしない方が無難ではある。が、氷月さんがどれだけ我慢できるかも考えなければならない。それに、僕が堂々としていれば……。


 考える事が多すぎる。


 それにしても、小日向ゆりねは、どうして気づいたのだろう?

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