第23話
「ねぇさぁ、八重山だけは違うと信じていたんだよ」
「そう言われてもな、成り行きでこうなったなら仕方ないだろう」
「だからってくっつく必要があるかーーーーー!」
氷月さんが叫んだ。そこは狭い狭い理科準備室である。ただでさえ狭い室内のほとんどが実験用の器具やホルマリン漬けの小動物、頭蓋骨、貝殻なんかが雑多に収められた棚で埋め尽くされている。
もっとも簡潔に説明すれば、僕と氷月さんは閉じ込められてしまったのだった。
ことは4時限目の終わりに起こった。
☆☆☆
4時限目は化学であった。燃焼の実験の授業である。授業が終わり、実験で使った備品を片付け、次のクラスが使う物品を氷月さんが準備していた。たくさんのフラスコやビーカーを1人で運ぶのは大変だろうと手伝っていると、準備を頼んだことを忘れてしまった教師が準備室に鍵をかけてしまったのだ。
「こんなことがリアルで起こるなんて……なんて怠慢! 許せないわ!」
「怒っても仕方ないだろー? しかしまぁ、なんでこんなに散らかってるんだ?
僕は論文やレポートでごった返す机をかき分けて合鍵を探していた。
ズボラな尾津のことだからどこかに鍵を放り出してはいないかと探してみるが、さすがに車の鍵とは訳が違うようでなかなか見つからない。
「なんだこれ……ハダカデバネズミの耐性実験について? うへぇ、趣味わる」
「そんなの漁ってないでこっから出る方法考えようよー。八重山ってピッキングはできないわけ?」
「できるかぁ!」
「もー、肝心なときに使えない」
氷月さんは椅子に座って頬杖をついていた。出よう出ようと言いながらも一向に鍵探しを手伝ってくれる気配はない。しかし、僕が文句を言い続けるとようやく重い腰をあげる気になったらしい。
「こんな埃だらけのところ、服が汚れちゃうでしょ? でもまぁ、八重山がそこまで言うなら………きゃあ!」
椅子から立ち上がって一歩めで何かにつまづいたのか、近くの棚を調べていた僕の背中に抱きつくと「何か踏んだぁ!」と大騒ぎである。
「おいおい、あんまり資料をぞんざいに扱うと……って、カエル!? なんで生きたカエルがこんなところに紛れ込んでるんだ!?」
「うそっ! 潰れてない!? 潰れてないよね!? 私の体重そんなに重くないもん!」
「待って待って飛んだ! わぁ! こっちにくるなーーーーー!」
阿鼻叫喚であった。何を隠そう、僕はカエルが大の苦手である。あのぶよぶよとした粘着質の体。いっさいの可愛げがない無機質な目。台所の窓にへばりついて白いお腹を膨らませて鳴くところなぞはもはやバイオ兵器である。あのおぞましい生物が近くにいるというだけで僕の正気などあっさり狂ってしまうのだ。
「無理無理無理無理! 助けて! 凛、助けて!」
「きゃっ! だ、抱き着かないでよ!」
「だって無理なものは無理なんだ! はやくっ はやくなんとかしてくれ!」
「もうっ! 耳元で騒がないで! 分かったから!」
氷月さんはシッシッと僕を追い払うとカエルを捕まえんと立ち向かう。その姿のなんと勇敢なことか。僕が女子だったら思わず惚れていただろう神々しい後ろ姿。しかし、相手はあの悪魔。いくら氷月さんでも生死が危ぶまれる凄惨な戦いが予想されるが……
「まあ見ててよ。カエルなんてぜんぜん怖くないんだから……いやーーー! 足についた! とって! とって!」
3秒で撃沈。やはりカエルに勝てる人類など存在しないのである。
「大丈夫!?」
「むりむりむりむりやだやだやだやだ!」
「こっち、こっち来て!」
「た、たすけてーーーー!」
氷月さんは右足をレの字に折り曲げてカエルを払い落とさんとぴょんぴょん跳ねている。足元にはさっきの騒動で書類が散らばっており大変危ない。
案の定足を滑らせた氷月さんが僕の方に倒れこんで来た。僕は僕で足元の小瓶を踏んづけてしまい、2人してくんずほぐれつ倒れこんでしまう。
「きゃあ~~~~!」
ドッタンバッタンと大騒ぎしているのだから誰かしらが見に来ても不思議ではない。しかし誰も見に来ないのである。なぜだ。ご都合主義か?
氷月さんは僕の腹部にまたがった体勢で、「いった~~」と頭部を押さえて首を振っていた。こんな所を見られたら誤解をされるどころではないのだから、人が来ないのは僕にとっては嬉しい事だけど、下腹部にお尻が乗っているのは、さすがにドキドキしてしまう。
「いてて……八重山、だいじょうぶ……?」
「あ、うん……」
返答ももごもごとしたものになってしまった。
肉体的接触はズルいと思う。淫らな欲が沸き上がってきたとしてもこれはノーカンだ。この欲情は認めないぞ!
「どうしたの? 顔が赤いけ……ど……」
氷月さんも今の状況を理解したのだろう。わなわなと震える口元に手をやり、目をまん丸に見開いて「あ……わぁ……」と声にならない声を漏らして固まってしまった。
全体重がお尻にかかっているせいか、下腹部が重く、暖かい。
「……き、きゃああああああああああ!」
そこへカエルが跳んでくるのだからもうしっちゃかめっちゃかであった。
☆☆☆
教室では来栖が友達とお弁当を食べながら笑い合っていた。何気なく目をやると、僕も氷月さんもいない。
「あれ、2人とも遅いなぁ。まだ準備終わっていないの?」
友達に断ってから理科室へ行くと、準備室へのドアには鍵が刺さったままになっていた。「教科書とかは理科室に残ってる……つまり、2人ともこの中?」
怪しい。前から不審な所はあったけれど、まさか2人してあんな事やこんな事をしているのではないか? 来栖の脳裏に思春期男女のあれやこれが閃光のように閃いた。
「許さない……凜にひどい事をしたら許さないからね!」
なぜ僕がひどい事をする側であるのかが理解に苦しむところではあるが、来栖はえいやっとドアを開けた。
「凛! 大丈夫!?」
「あ、こ、木実! 助けて!」
準備室の奥の方で泣きそうな顔をした氷月さんと目が合った来栖。
やはりひどい事をされていたのだ! ひどい、許せない! まず私に手を出せよ! そんな複雑な思いが交錯する中、来栖はとりあえず僕に対しての怒りをあらわにして準備室をズンズンと突き進む。
すると見えてきたのが、
「ねえ、八重山が気を失っちゃった! どうしよう!」
「……へ?」
気を失って仰向けに倒れた僕と、おろおろと慌てふためいた様子で僕を揺り起こさんとする氷月さん。そして、僕の鼻の上に鎮座しているカエルであった。
「八重山の顔にカエルが乗って、なんか女の子みたいなきゃああっていう悲鳴をあげて、そのまま白目を剥いて倒れちゃったの! ねえ、これ病気!? どうしたら治るの!?」
「あーー、えーーっと………そのカエルをどかせばいいんじゃないかな?」
「え、本当!?」
僕が目を覚ましたのは、その数分後の事である。
カエルは、大の苦手だ。
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