第21話


「仲直りしてたんなら言えよーーーーーー!」


 昼休みもそろそろ終わろうかというところで、ようやく僕たちは食事にした。


 一ノ瀬高校は四角形がいくつも組み合わせたような形になっている。1階と2階は全ての辺に教室があるのだが、3階だけは左の辺に教室が存在せず、バルコニーのようになっている。


 廊下から続くドアはスライドドアになっている。誰でも常時入れるようになっているかわりに大きいフェンスで囲われているため景観はあまり良くない。


 僕達は輪になって弁当を食べていた。来栖はあぐらをかいて、氷月さんは正座を崩したような座り方。僕は正座であった。


「お前が勘違いして突っ走ったからだろうが」


「でもでもでも、たしかに変な雰囲気だったんだもん! 絶対何かあると思ったからいてもたってもいられなかったんだもん!」


「米粒を飛ばしながらしゃべるな! はしたない!」


「もぐもぐもぐもぐごっくん! お前は悪魔だ! 私の心を弄んだんだ!」


 来栖は太ももをパチンと叩いて憤った。彼女には先週の土曜日に街で遭遇した際に仲直りしたと伝えてある。嘘は言っていないがすべてが真実ではない。氷月さんが僕と遭遇したことをほのめかしていたからそれにすり合わせた形である。


 先ほどから「裏切者!」「薄情者!」「人をはずかしめて楽しむ悪魔!」などなど僕へのヘイトが止まらない。氷月さんは楽しそうにほほ笑んで見ているだけだし、かくいう僕も、これで来栖の気が収まるならそれでいいかと思い始めている。


「もういいよ! けんジィの事なんて信じない! 誰も信じない!」


「私も信じてくれないの?」


「凛はべつだよぉ~~~全部信じてるから哀しまないで~~~」


「ありがと~~」


 女子2人が抱き合う。なんだろう、目の前で青春をしないでほしい。


「まあでも、凜と仲直りしたならそれでいいや。すっきりした」


「そいつぁようござんした」


「けんジィは一生許さないからね。夜通しカラオケ大会か夜通しホラー映画鑑賞会ね」


「カラオケは奢りか?」


「もちろん」


「げぇ……」


 来栖の歌声は筆舌に尽くしがたい味わいがある。あえて表現するなら、毎日を全力で過ごしている女子高生の元気をすべて詰め込んだような歌声だ。それを夜通し聞くとなれば僕は遺書を書いておかねばならないだろう。少なくとも良い耳鼻咽喉科を探しておく必要がある。「カラオケだけは勘弁……」


「誰が下手くそよ!」


「そうは言ってない!」


 僕はそう弁解した。しかし、もっとも大切な事は氷月さんと僕が付き合っている事がバレないことである。僕らの関係がバレなければなんだっていい。これはあくまでも僕と氷月さんの関係が正常である事を示す会食なのだ。


 氷月さんの様子に変わったところはない。和やかな顔で楽しんでいるようである。ならば僕が次に考えるべき事は、一刻も早くこの時間を終わらせることだろう。


「仲が良いんだね、2人とも」


 氷月さんはにこやかに言った。


「「良くない!」」


「ふふ、息ぴったり」


 ひとしきり口元に手を当てて笑うと、今度は嘆息交じりにこう漏らす


「私にも八重山みたいな幼馴染がいたら、もっと明るくなれたのかな」


 氷月さんの過去に何があったのか僕も来栖も知らない。しかし、今の氷月さんの雰囲気には「私は蚊帳の外だ」と自覚しているような寂しさが見て取れる。


 来栖のような母性と気遣いの塊に、そんな寂しそうな顔を見せたら、彼女のはた迷惑な女子力が遺憾なく発揮される事は疑いようもないであろう。


 来栖は「そんなことないよ」と言って氷月さんの手を取った。


「木実?」


「人が変わるのに早いも遅いもないよ。変わりたいって思った時が変わるチャンスなんだよ。凛は明るくなれるよ。もっと可愛くなれるよ! だから、そんな哀しそうな顔しないで、ね?」


「私、可愛くなれる?」


「なれるよ。私が保障する。もちろんけんジィもそう思ってるよ」


「おい勝手な事を言うな」


「なによ。けんジィだって凛の可愛さがこんなもんじゃないって思ってるんでしょ。表情が柔らかくなればどうとか言ってたじゃん」


「この間のか……よく覚えてたな」


「だって……」と来栖はもごもごと呟いた。「小さい頃、私にも言ってくれたじゃん」


「あん? なんか言ったか?」


「とにかく! けんジィには凛を可愛くする責任があります! これはもう義務なのです!」


「…………はぁ………」


 おかしな事にはなったけれど、とにかくこれは、氷月さんと公然と親睦を深めるための良い機会を得たと考えて良いだろう。


「なんだ、つまりは、その、男子と話す練習に付き合ってやれと言いたいわけか」


 僕は氷月さんを一瞥する。火がついたように顔を赤くした彼女と目が合う。こんな表情をする事がなくなれば、友達だと言って誤魔化す事も可能であろう。


 今はどう見ても恋する女の子だ。彼女の気持ちを尊重したい気持ちはある。が、2人の将来を天秤にかけたとき、恋よりも将来の方が重いのである。


「その、氷月さんって呼び方もどうなのかなぁ。凛さえ良ければだけど、名前呼びの方が良くない?」


「来栖、余計なことを言うな」


「名前……で、呼ぶの?」


「ほら見ろ、すごく期待してる顔をしてるじゃないか。どーするんだこれ」


「呼んであげなよ」


 来栖は事もなげに言う。「でも、優しくね、優しく。凛は男の子に慣れてないんだから。いま、すっごく緊張してるんだから」


「そう、みたいだな」


 来栖が男慣れしていないと捉えたのは幸いである。熱に濡れた瞳を恋のためと理解されたらすべてが台無しになるところだった。僕はそれをまずは安堵し、一呼吸おいてから氷月さんと向き合う。


「………………」


「………………」


 沈黙が2人を包んだ。


 名前を呼ぶ。凛、と、それだけでいいのである。


 たった2音を口にすれば、この時間は幕を下ろす。


 それだけなのに、僕はにわかに心臓が跳ねるのを感じた。


 氷月さんの緊張が移ったのだろうか。耳の奥からグルグルと音が鳴っているような圧迫感がある。心臓が鼓動を速める。


「………えっと」


 名前を呼ぶだけなんだ。なのに、なんでこんなに緊張するんだろう?


 体の奥から何かが沸き上がってくるような、息が詰まりそうなのにどこか心地いい感覚。


「………………」


 氷月さんは期待に満ち満ちた目で僕を見つめている。いまにも感情がこぼれ落ちそうだ。


 来栖が小さく「頑張れっ」と囁いた。


 僕はついに意を決して口を開いた。


「…………凛」


「……………」


「凛。……これで、いいか?」


 劇的な反応があった。


 氷月さん……ではない。凛はワッと顔を覆うと、バタバタと駆け出して階段を降りて行った。恥ずかしいのか、苦しいのか、人に顔を見られたくないのであろう。


 来栖は僕の背中をどんと叩いて「やるじゃん」と言った。


「呼んでみるとあっけないもんだな」


「でも、一歩前進だよ。けんジィにとっては小さな一歩でも凜にとっては大きな一歩なんだ」


 来栖は僕達の関係を疑ってはいないようである。上手く隠し通せたという安堵感とともに、何か、抑えがたい欲が沸き上がるのを僕は感じていた。


 この感覚は何なんだろう。


 首をひねってみたけど、分からなかった。

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