第20話


 ポテトをつまみながら廊下を歩いていると、トイレの方から歩いてくる氷月さんとばったり会った。来栖がパッと駆け出して抱き着く。


「凜~~~! 探したんだよ~~!」


「あわわ、木実、どうしたの?」


「けんジィがね、凜に話があるんだって」


 また勝手な事を。しかし、来栖は止めようとした僕を無視して氷月さんの口にフライドポテトを突っ込む。「はい、あ~~ん」


「ん、おいひい。………話って?」


 氷月さんはポテトを飲み込んでから怪訝な顔で僕を見る。


「この間の喧嘩の事、どうしても謝りたいんだってさ」


「この間の……喧嘩? 何か話す事があるの?」


 話の内容を想像していぶかしんでいるというよりは、来栖と僕が一緒にいたことに機嫌を損ねたのだろう。それは仕方のない事だと思う。それに、僕同様、喧嘩に心当たりがないのだろう。それも仕方のない事だと思う。


「あの、凜が怒るのも無理もないけど、話だけでも聞いてあげて欲しいの。話す事ないなんて言わないでさ」


 完全に来栖の独り相撲であった。


 氷月さんは話の内容が呑み込めずに困惑しているし、これ以上来栖が暴走しないうちに場を収めた方が良いだろう。


「……本当に何の話?」と僕と来栖を交互に見る氷月さんに向かって、僕は頭を下げた。


「この間の子供っぽいという発言に関しては僕が悪かった」


「えっ?」


「先週の事だよ。氷月さんのことを貶めるような事を言って本当にすまなかった。どうか僕を許してくれないだろうか」


「ん、え? ああ、この間のあれ……」


 氷月さんはポンと柏手を打った。


「そう。来栖がひどく気に病んでいてな。謝れ謝れとうるさいんだ」


 これだけヒントを散りばめれば理解してもらえるだろう。氷月さんは僕より頭が良いのだからきっと口裏を合わせてこの場を丸く収めてくれるはずだ。


 来栖は「余計な事を言うな!」と吠えるけれど無視。


「どうか許してくれ」


 僕は再度橋を渡した。後は氷月さんがこれを受け取ってくれれば完璧だ。


 今ここで付き合っているとバラすのは2つの意味でまずい。1つは散々述べた通り経緯に言及されたら芋づる式に僕らの過ちが明るみに出るから。もう1つは本気で僕達の事を気に病んでいるらしい来栖の顔に泥を塗ることになるからだ。


 来栖が友達思いの優しいヤツであることは僕がよく知っている。僕が謝罪し氷月さんがそれを許す。これが一番美しい流れであることは疑いがない。


 氷月さんとて来栖の思いやりを無に帰すことはしたくないだろう。彼女は「とりあえず、顔をあげて?」とすべてを理解した顔をしていた。


「許すも許さないもないけど……ねえ、八重山は私の事をどう思っているの?」


「へっ?」


「本音で答えて」


 氷月さんは至極しごく真面目な顔で言った。顔をあげると、綺麗な瞳にさらに力がこもった質量と出会う。目と目が合うと、パチッと音がしたように感じた。


 僕がどう思っているか、本音で答えろ? 何を言っているんだ?


 むろん氷月さんにとってはもっとも重要な事であった。僕の放った言葉は彼女に大きな影響を与えたが、それは僕や来栖の思う影響とは大きくかけ離れたもの。


「どう思っているかというのは……どういう?」


 僕が訊ねると、氷月さんは思い詰めたような表情をした。


「そのまんまの意味よ。私のことをどう思っているのか教えて欲しいの。好きか嫌いか。子供なのか大人なのか。八重山の言葉がずっと耳から離れないのよ。顔が良いだけとか陰で言われる事はあっても、面と向かって言われた事なんてなかった。頭にきたけど、後から嬉しさがこみ上げてきた。怒ってはいないんだけどね、今の私が八重山の目にどう映っているのか知りたいの」


 氷月さんが思い悩んでいたのはまさにあの喧嘩に原因があった。平和な昼休みの空気が一気に凍り付いたようだった。木枯らしが吹く秋の夕暮れのような、言い知れぬ緊張感が張りつめたように、僕も来栖も押し黙ってしまった。


 貝のようにジッと、むろん、無言の意味は僕と来栖では異なる。氷月さんはそれを見て取ると、神妙な面持ちで俯いて、また、上目遣いに僕を見た。


「あの……」と来栖が口を開いた。


「怒って、ないの?」


「うん」


「え、と……………」


 来栖が居心地の悪そうに黙り込む。それはそうだろう。彼女は氷月さんと僕を仲直りさせたい一心で声をかけたのだから。赤面するのは当然のように思われる。


 しかし氷月さんはニコリとほほ笑むと「ありがとう」と言った。


「私たちの事を考えてくれたんだよね。ありがとう、木実。でも、本当に怒ってないんだ。八重山も話を合わせようとしてくれてありがとう。……あはは、友達がいたことないから、こういうときなんて言ったらいいのか分かんないや。コミュ障なのかなぁ、ちゃんと話さないと気が済まなくて……友達を立てる事も、できないや」


 なんだか話が良くない方向に向かっている。


 平和なはずの昼休みが不穏に過ぎていく。


 どうしよう。僕は、困った。


 困ったが、お腹も空いていた。お弁当を食べていないのである。


 ぐうぅ、と僕のお腹が鳴るのは仕方のない事であろう。


「とりあえず……3人で飯を食おうぜ?」


 女の子たちは顔を見合わせたあと、急に噴き出して、ばかばかしくなったのかひとしきり笑った。

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