第13話


 氷月さんとの秘密の交際がスタートしてから1日目。その午前中が終わった所だというのに、事件がありすぎだ。


 正直、理解が追い付かない。


 氷月さんに脅されて関係を隠しながら付き合うとか、氷月さんのイタズラを関係がバレないようにかいくぐりながら学校生活を送るとか、そういう漫画や小説は読むからなんとなく対処法も分かるのだけれど、気を抜いたら秘密を口外してしまう学年一の美少女のリードを引っ張り続けるなんて事は前代未聞だ。


 人の弱みは握るくせに自分の事はあっさり口外してしまう。


 氷の女王とはなんだったのか?


 4限の終わりを告げるチャイムを聞きながら、僕は机に覆いかぶさるようにしてぐったりと目を閉じた。


「こんなんでやっていけるのか……今後」


 机に頬をつけると木特有の冷たさが感じられる。


 先が思いやられる。


 氷月さんは独占欲が強くてワガママで強引な性格である事が先日のやり取りで判明した。さらには人をおとしいれる事を躊躇ちゅうちょしない冷徹さも兼ね備えた、まさしく氷の女王と呼ぶにふさわしい性格。


 だが、それだけならまだよかったのだ。


「本人も面倒くさい自覚があるんだろうなぁ。怒りっぽいのも、卑屈になるのも、僕を縛り付けるような真似をするのも、ぜんぶその自覚からくる自信の無さが原因なのだろう。多分、本心では安心したいと思っているだけなんだろうけど甘え方が分からないから、ついついキツイ言葉や冷たい行動をとってしまう。冷静なうちは秘密を守れるんだろうが、ひとたびテンパると……厄介だなぁ」


 不安の裏返しが今朝の一件を引き起こしたと考えれば、僕は氷月さんと交友を深める必要がある。


 彼女を安心させる事で今後の言動が安定するなら躊躇する理由はない。しかし、だからこそ僕は苦悶するのである。


 氷の女王は孤高の存在。彼女に話しかける事すら分不相応な行いなのだ。表立って交友を深めれば多くの反感を買い、必ず裏を疑われる。どうやって仲良くなったのかを勘ぐられたら出会い系を使った事がバレる危険性があるし、氷月さんが上手く誤魔化してくれるとは思えない。


 あくまで秘密裡ひみつりに仲良くなる必要がある。そして、秘密裡に仲良くなるしかない事を氷月さんに納得してもらう必要があるだろう。


 万が一、彼女の方から話しかけてくる事があったら、それは秘密の露見を意味するであろう。


「どうする? どうしたら僕は彼女を救えるんだ?」


「なにループものの主人公みたいな事言ってんのさ」


 目を開けると、目の前に来栖の顔があった。スカートを膝の間に折りたたんでしゃがみこんで机に両手をついていた。


「約束の宿題見てよ」


「約束だったか?」


「約束だったよ。私がそういうことにしたんだから」


 来栖はそう言って英語のノートを渡してきた。女の子らしい丁寧な筆跡で英文がつづられている。僕は体を起こすと氷月さんを一瞥して「いいよね?」の視線を送る。氷月さんはしぶしぶ頷いた。来栖の宿題の件は仕方のない事だと納得してもらった。


「けんジィに頼ってばっかじゃよくないなと思って、ちゃ~んと書いてきました。変なとこがあったら教えて。直すから」


「完成してるなら、僕が見る必要ないんじゃないか?」


「いや、間違ってたら恥ずかしいじゃん」


「それはそう……か?」


 むしろ間違いを指摘してもらうための宿題だと思うのだが、まあ、いいか。


 来栖の作文に目を通す。ザッと見た感じ間違いはなさそうだけれど……スーサイドとかインセインとかいう物騒な単語が羅列されているのはどうかと思う。大学入試や期末試験で同じことをやらないように願うばかりだ。


「内容はどうかと思うが……間違いはなさそうだ」


「そっかぁ。じゃあ今度けんジィにも見せてあげるね」


「なんでそうなる……。ほれ、返すぞ」


 と、そのときだ。「私にも見せてよ」という声がしてノートがひょいと取り上げられた。


 誰かと目を向けると、氷月凜だった。


 不干渉を約束したばかりだというのに何をしているんだこの人は!


「ふぅん、来栖さんってこういう映画が好きなんだ?」


 氷月さんはずうずうしくもさっきまで僕が伏せていた所に腰を掛けると作文を読み始める。


「あれ、氷月さん!? なんで!?」と、来栖が驚くのも無視して「これ、怖い映画なの?」とのんきな事を言っている。


「おい、何が目的だ」


「敵情視察……かな。来栖さんの好みについて知りたくてね。読んでも良いでしょう?」


「あ、うん……いいけど」


 氷月凜が横やりを入れてきた。穏やかな顔つきをしており声色もいつも通りだった。それがむしろ一線を越えて感情がなくなったようにも見えて怖かった。


 何が目的なのだろう?


「いぬなきとんねる……? かな。面白そう」


「そう、一昨年の映画。……興味ある?」


「ある」


「本当!? あのねあのね、これホラー映画の巨匠って言われてる監督が撮った最新作でね、ファンの間では最高傑作って言われてるんだけど、シリーズ物だから前作を見ないと分かんないかもしれなくて、えっと、でも良かったら私、シリーズ全部持ってるから興味があるなら一緒に……」


「うん、見よ?」


「やったぁ! じゃあ今日にでも――――」


「今日は無理かなぁ、予定があって」


「しゅん……」


 来栖がしゅんとした。


 僕はもう一度「何が目的だ」と訊いた。


「だから、敵情視察だって。どうやったら八重山と長く付き合えるのか。唯一の幼馴染である来栖さんを研究すればなにか分か―――――」


「あーーーー思い出した! そういえば氷月さん! 先生が何か用を頼みたいと言っていたぞ! たぶん次の授業で使うんだろう! 早く行った方がいい!」


「はっ? え? なに?」


「もう昼休みが終わってしまうぞ早く行こう!」


 僕は氷月さんの手を取ると一目散に教室を逃げ出した。


 体育館脇にある水飲み場まで連れ出すと辺りに人気ひとけのない事を確認して手を離す。さっきまで繋いでいた右手を左手で触りながら、氷月さんは顔を赤くして言った。


「急になに、ドキドキした」


「君は阿呆か! 秘密がバレたらダメだって言っただろう!? よりにもよって来栖の前で付き合うとか言うんじゃない! バレたらどうするんだ!」


「バレちゃだめなの?」


 氷月さんは首をかしげた。


「何言ってるんだダメに決まってるだろ! 僕らの関係がバレるという事は出会い系がバレるという事で、僕達2人の汚点が明るみに出るってことなんだぞ!?」


「へぇー」


「へーって……氷月さんだって分かってたことだろう」僕はため息をついて、先日の写真の事などを例に出した。「ほら、昨日のデートの時だって、関係は隠すという事で合意したじゃないか。ご丁寧に証拠写真まで撮ってさ」


「ああ、あれ、あれね?」


「そうそれ、僕を脅すために撮った写真だ」


 氷月さんはポンと柏手を打ってスマホを取り出した。


「あれね、付き合った証拠の写真。ほら、良く撮れてるでしょ」


「良く撮れてるとかの問題じゃなくてさ………え、待ち受けにしてる?」


「うん、このために撮った」


「…………………」


 僕は閉口した。


「あれ、まさか、本当にバレたらまずいの?」


 どうやら、彼女は根本的に理解していないようだ。


「あのね……」と、かくかくしかじか、理由を説明する。


「えーーー!? あ! 本当だ! バレたらまずい!」


「気づいていなかったの?」


「うん。なんか口から出まかせに脅したら八重山が言う事聞いてくれるから楽だなって思ってた」


 どうりで秘密を守ろうとしないわけだ。僕はため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る