第14話
氷月さんは事態をまったく理解していなかった。何ということだ。
「つまり付き合っている事がイコール私たちの秘密ってわけね?」
僕の必死の説明を氷月さんは頷きながら聞いた。真剣な眼差しは事態の重みを理解しようとしているようにも見えるし、『秘密の関係』に目を輝かせているようにも見える。
昼休みである。夏も盛りの12時は日陰にいても暑い。僕は額の汗を拭って「とにかく」と再度注意を促した。
「今後は学校でのやり取りにいっそう気を付ける必要がある。なぜなら僕達が付き合っている事は秘密だからだ」
「秘密」
「出会い系とは本来使ってはいけないもので、僕達はその禁忌を犯してしまったわけだからね」
「禁忌」
「だからお互いのためにも協力して秘密を守らなければならない」
「協力!」
氷月さんは僕の両手を取った。「つまりは素敵な関係ってことね!」
まったく危機感が感じられない。僕の話を聞いていたのだろうか?
「なんか、知能指数が下がっているようだけど?」
「えへへ……ごめん、楽しい」
氷月さんは両手をパッと離すと、後ろ手に手を組んで長い髪を揺らした。
「こういうのってさ、なんか、特別! って感じがしていいね」
「気楽だなぁ……僕らの関係は氷月さんにかかってるといっても過言ではないのだぞ」
「八重山って、私の事しっかり考えてくれてるからさ、心配してないよ」
「理解してねーーー」
「してるってば。むしろ1日目で意見を合わせられてラッキーでしょ?」
僕は頭を抱えた。しかし、氷月さんはクスクスと楽しそうに笑うと「私も頑張るからさ。一緒に秘密の恋をしようね」と、耳元で言う。
囁くような吐息が心地よかった。
僕達は廊下を歩きながら今後の事を話し合った。
「つまりは、私が我慢すればいいんでしょ? よゆーよゆー」
「まあ、そうなんだけどさ」
「分かってる。私も自覚してるんだけどさ、隠すのけっこう辛いから、我慢しっぱなしは無理だよ」
「それはそうだ。だから、学校だけは、どうにか耐えてくれ」
「うん!」
廊下には幾人かの生徒がいるが、そのほとんどは僕らに注意を払わず、自分たちの話に夢中なようである。僕は内心おどおどしながら周囲を見回しているが、会話の内容に耳をそばだてている人はいない。
「でも、朝は本当にごめんね。八重山がそこまで考えてるって知らなかったから私……」
「いいよ、それは気にしていないから。不安にさせて悪かったね」
「八重山が優しすぎて、いまも不安です」
「なんで!?」
優しくして不安に思われることがあるのだろうか? 別に氷月さんを狙っていったわけでもなければご機嫌取りでもないのだけれど……
「優しいってことは心に余裕があるってことじゃん。それって嘘つかれてるかもしれないってことじゃん」
なるほど、それはそうかもしれない。……いや、はたしてそうか?
「僕はどうしたらいいんだ……」
「いきなり核心をついた八重山が悪い。あんなの、女の子の扱いに慣れてる人しか言えないよ」
「イメージトレーニングの成果が裏目に出たか……」
そんなことをぼやきつつ歩いていると教室が見えてきた。僕はそれとなく距離をとってクラスメイトに見つからないよう曲がり角の陰に隠れる。ここでバレてしまってはすべてが台無しなのだから気を付けなければいけない。
「なんで……?」
しかし氷月さんが捨てられた子猫のような顔で僕を見る。「なんで離れてくの」
「いやいや、頑張るんだろ? 僕らの関係がバレないように頑張って隠すんだろ!?」
「そういったけど……なんか、いざその場になると寂しいっていうか……」
「大丈夫! 氷月さんなら耐えられるって!」
ここで耐えてもらわなければ今後も不安が残る。僕らの関係のためにも頑張って耐えてもらわなければいけない。「秘密の恋をするんだろ!」
「僕は時間をずらして戻るから、氷月さんは先に席に着いていてくれ!」
「…………じゃあ、少しだけ手を繋いでいい?」
「はい!?」
とてとてとて、と歩み寄ると氷月さんは僕の両手を取る。
バレるバレるバレる。教室のすぐそばでこんな事をしていては、絶対誰かに見られてしまう。
僕は逃げようとしたけれど、しかし、氷月さんはまっすぐ僕を見つめる。「お願い」
「……………」
今逃げたら彼女を裏切る事になるのだろう。それは、できない。
「八重山といたら私が分からなくなってくる。こんなに弱かったっけ」
「氷月さん氷月さん……人が来たらまずいよ……」
「うん。もう、大丈夫。ちょっと不安になっただけだから」
氷月さんはそう言って手を離そうとした。手を繋いでいた時間はそう長いものではなかった。しかし、廊下の向こうから歩いてくる女子生徒の姿が窓ごしに見えたために、僕たちは隠れざるをえなくなった。
「こっちに来て!」
「うひゃあ!」
彼女の背中を抱き寄せて曲がり角の後ろに隠れる。中庭側に面した廊下は連続水平窓になっているけど、曲がり角の所だけは窓がないので、僕達はその窓の無い曲がり角の
「危なかった。今出ていったらバレる所だった」
「やえやま、やえやま……ちかい、ちかいよ……」
「後ろからは……来てないか」
後方もしっかり目視で確認する。しかし、人影はさっきの女子生徒だけ。ジッと息をひそめているうちに女子生徒も教室へと入って行った。
「ふぅ、危ない所だった」
氷月さんを解放すると、なぜか、顔を真っ赤にして茫然としているようだった。
「なんか顔赤くない? 大丈夫?」
「だ、誰のせいだと思ってるのよ!」
「…………?」
目の前で何度か手を振ると、ハッと意識を取り戻した氷月さんが声高に吠えて後ずさる。
「良い匂いがした……良い匂いがしたっ!」
なぜか非難されているようである。
絶対女慣れしてるよーーー! と不名誉なセリフを残して氷月さんは教室とは反対方向へ逃げていった。
後を追おうかと思ったが、同じことの繰り返しになると思って、やめた。
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