第5話 スイス5日目 ツェルマットへ

トラベル小説


 9時にホテルをチェックアウト。3泊でおよそ10万円。最低3泊以上という制約がある。リゾートホテルなのだ。駅側の部屋では価値は少ないが、アイガー側それも角部屋ということで、最高の部屋だった。

 部屋から見えた景色の中をドライヴする。小さな小学校があり、子どもたちの元気な声が聞こえた。そろそろ年度末で夏休みが近い時期だ。

 今日は初体験の日だ。高速道路を下りるとその施設が目に入った。ゲートで5000円ほどを支払い、列に並ぶ。動きだすまでに時間があると思って、近くのトイレに行ったら、列は動きだしていた。何台かの後続車に抜かれてしまった。車列にもどり、誘導にしたがって前進する。まるでフェリーに乗る感覚だ。だが、ここはスイス。海はない。トンネルを抜けるために貨物列車に乗るのだ。カートレインである。50台ほどのクルマが貨物列車に吸い込まれていく。後続にはバスまで乗車している。バスは車幅ぎりぎり。ベンツCクラスだと脇に人が一人歩くぐらいの余裕がある。停めるとスタッフがパーキングブレーキの確認にきた。1台でもパーキングブレーキをしていないと大変なことになる。

 トンネルに入るまでは快適だった。窓を開けて外の空気を入れると気持ちいい。ところが、トンネルに入ると急にコールタールの臭いがたちこめてきた。思わず窓をしめた。しばらくすると工事をしていた。先ほどの臭いはここが原因だったのだ。

 20分ほど暗闇の中を走り、トンネルを抜けた。山の向こう側はやや霧がかかっていた。30分ほどで、山を越えるのはすごい時間の節約だ。前回は3時間かけて峠越えをした。道は気持ちよかったが、6分の1の時間で来られるのはコスパ以上だと思う。

 昼前にはツェルマットの手前の駅テッシュに着いた。ツェルマットには自動車で入れないので、このテッシュでクルマを置かなければならない。ホテルもテッシュでとった。ホテルにチェックインするには早すぎるので、駅に隣接している巨大な駐車場にクルマを入れた。今日は、思い出のクラインマッターホルンまでロープウェイで登る予定だ。

 寒さ対策の用意を入れたリュックをしょって、電車に乗る。30分に1本ほどの間隔で電車は出ている。バカンス前なので、車内はがら空きだ。

 15分ほどでツェルマットに着いた。前回は3月に来たので、雪景色だった。今回は夏の初め。山に雪はあるが、ふもとは一番いい季節だ。ただ風が強い。案内所で日本語のパンフをもらった。それを見ると、ロープウェイ乗り場までシャトルバスがでているらしい。歩いてもいけない距離ではないが、無料だというので乗ることにした。座る席がほとんどないバスだ。まあ、リュックをしょったハイカーだらけだからその方が無難かもしれない。バスは村内を走る周回バスみたいで、だいぶ遠回りをしてロープウェイ乗り場に着いた。

 ロープウェイ乗り場に「CLOSE」の看板があった。しかし、ロープウェイは動いているし、チケット売り場に人もいる。この看板の意味は後でわかることになる。

 まずは「フーリー」までのチケットを買う。100人乗りのゴンドラがほぼ満員だ。そのお客のほとんどが、フーリーで降りた。ここからハイキングコースがいくつもある。残った客はアジア系の10人ほどだ。トロッケナーステッグ行きに乗り換える。ゴンドラに乗っても、なかなか出発しない。するとスタッフが、台車に大きな木箱を乗せて入ってきた。上の駅になにかを運ぶのだろうかと思ったが、動き始めてわかった。乗車人数が足りないのでおもりを乗せたのだ。100人定員のところに10人ぐらいしか乗っていないので、軽すぎて風の影響を受けるからである。

 動きだすと、風の影響で右に左にゆれる。モンテローザ(4,634m)は見えるが、マッターホルンは姿を見せなかった。

 トロッケナーステッグ(2,939m)着。外に出ると立っていられないぐらいの強風。風速20mを越えているとのこと。クラインマッターホルンまでのロープウェイは運行していなかった。30数年前、スキーで来た時に、このクラインマッターホルンのグレッシャー・パラダイス駅(3,883m)で妻と娘はとんでもない恐怖を味わっている。私と友人がスキーで滑るのを見送った後、扉を通り過ぎて外でゴンドラを待とうとしたら寒くてたまらず、中にもどろうとしたら扉があかず、しばらくふきっさらしの外で待つことになってしまったとのこと。5分ほどで、スキーからもどってきた人がいて、中から開けてくれて助かったと言っていた。その時の気温ー24℃。あのままずっといたら凍死していたかもしれないと真顔で言っていた。

 実は、この時このロープウェイの下のスキー場で私は吹雪にあっている。友人と3人で立ち止まって吹雪が通り過ぎるのを待つしかなかった。友人が

「耳たぶ真っ白だよ」

と言うので、耳をさわるとカチンコチンに固くなっている。まるでつららのごとくで、耳たぶが折れそうな感じだ。帽子を深めにかぶって、できるかぎり早く宿にもどった覚えがある。友人がもっていた塗り薬をぬって、一晩過ぎると耳たぶは元の倍の大きさになっていた。妻からは

「福耳になってよかったね」

と言われたが、夜の間、熱をもった耳を冷やすのに大変だった。これ以後は耳たぶも帽子で隠すようにしている。

 というような思い出がある地なので、もう一度訪れて見たかったのだが・・あきらめざるを得なかった。

 フーリーまでもどり、近くにカフェがありそうなので、館内エレベーターに乗り、そこに行こうとしたら、昼時が過ぎてのCLOSEだった。それでまたエレベーターに乗ってロープウェイ乗り場にもどろうとしたら、できなかった。驚いたことに、上に行くボタンがないのである。下り専用なのだ。ロープウェイで来たお客は降りる客が多く、ここから乗る客はごく少数。登りの客を乗せたら、上で混雑するのは目に見えている。合理的な考えであるが・・・日本の常識とは違う。

 フーリーの駅の周りをハイキングすることになった。思わぬ登りのハイキングに足を痛めている妻はぼやきながら歩いている。だんだん無口になる。これが一番こわい。甘い物でなだめなければ・・

 ということで、ふもとの乗り場まで降りてから、カフェのテラス席に座り、アップルパイとコーヒーを注文した。本来ならばマッターホルンが見える店なのだが、今は厚い雲の中。それでもアップルパイが出てきたら妻の機嫌は直っていた。

 その後、ツェルマットの街の中をゆっくり歩く。お土産屋や本屋に入ると妻はなかなか出てこない。ここでも買い物欲が旺盛である。本屋で気に入った絵はがきが売っていたので購入した。明日は絵はがきのマッターホルンが見られることを願って。

 夕刻、テッシュまでもどり、クルマでホテルをさがす。でも、予約票に書かれた番地にそのホテルはなかった。そこで、観光案内所で聞くことにした。すると、観光案内所のスタッフは笑顔で隣の建物を指さした。駅前の一等地にそのホテルはあった。どうやら移転して駅前にやってきたようだ。ホテルの予約サイトにはその情報がいっていないようだ。大手の予約サイトなのだが、時にそういうことがある。気をつけなければならない。

 レストラン付きの3つ星のホテルで、我々は朝・夕食込みの部屋を予約しておいた。スイスのレストランは全般に高いし、観光客が多く待ち時間も多い。それよりは泊まっているホテルのレストランの方が気楽だ。3階の建物で、4階は屋根裏部屋だ。我々の部屋は3階の山側。晴れていれば、山並みが見える。マッターホルンは見えないが、クラインマッターホルンが見える。なかなかの景色だ。

 その日の夕食はパスタだった。クリームソースがのった量が多いパスタでお腹いっぱいになった。ビールは、それなりの味だった。

 いい疲れがあり、すんなりと眠ることができた。

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