炊飯器でカレーライス


 数十年後、か。


 俺と志帆は婚約者で、もし本当に結婚したら、ずっと志帆が隣にいることになるのだ。

 人気アイドル・羽城志帆の人生の半分が俺のものとなり、俺の人生の半分は志帆のものとなる。


 まだ、俺はそこまで覚悟を決められていない。でも、もし俺が行く道を志帆とともに歩めるなら、たちはだかる困難も乗り越えられる気がする。


 俺と志帆は一緒に歩いてマンションまで帰った。

 帰り道、志帆はとても楽しそうだった。


 志帆の笑顔を俺はこの先も守れるのだろうか? それに、志帆はアイドルに戻るのが本当の幸せなんじゃないだろうか?


 俺は考えて、途中で思考を打ち切った。

 一人で思いふけっても仕方がない。これは志帆の問題なのだから。


 今、俺にできることは一つ。

 志帆のために美味しいごはんを作ることだ。


  マンションに着くと、志帆がソファにダイブする。


「やっぱり家が一番ですね!」


「そう言ってもらえるのは俺としても嬉しいけどね」

 

「兄さんはこの家の主ですからね」


「まあ父さんがいないから、一応ね」


「結婚したら、兄さんは別の意味でもあたしの主人ですね」


 志帆は冗談っぽく言うが、顔が赤い。

 それにソファにうつ伏せで寝転がっているから、ピンク色のパンツがちらりと見えている。

 夏だから露出も多いし、スカート丈も短い。

 ほっそりとしたきれいな足が目に眩しい……。


 俺はそれを言ったものかどうしたものか迷ったが、結局志帆に教えた。

 志帆は「きゃっ」と慌ててスカートの裾を押さえ、そして俺を上目遣いに見る。


「……兄さんのえっち」


「わ、わざと見たんじゃないよ!? 見えちゃっただけだから……」


「冗談です。教えてくれてありがとうございます」


 ふふっと志帆が笑う。

 それから、場を沈黙が支配する。少し妙な雰囲気だ。


 志帆が潤んだ瞳で俺をじっと見て、「兄さん」とつぶやく。


「デート、楽しかったですね」


「そ、それは良かったよ」


「『恋雨』も面白かったですし」


 映画の内容を思い出して、俺はうろたえる。

 そういえば、あの映画のヒーロである兄が、妹を襲うのもこんなふうにソファで寝転がっていたときだった。


 ……志帆はわざとやっているんだろうか?


「そ、そろそろ夕飯の時間だから、料理を作るよ」


「……兄さんの意気地なし」


 志帆が小さくつぶやく。それは本当に恋雨のヒロイン・秋乃にそっくりで。

 俺はドキドキさせられっぱなしだった。


 このままだと本当にどうにかなってしまいそうなので、俺は台所へと逃げる。

 けれど、志帆はソファを立ち上がると、俺についてきた。


「ソファで休んでてもいいよ? 結構疲れていない?」


「それは兄さんも同じでしょう? 兄さんにだけ料理を作らせて、あたしだけ休んでいるなんてできません」


「そんなに手間のかかるものじゃないし、気を使わなくてもいいよ」


「そういえば、今日の夜ご飯はなんの予定ですか?」


「カレーだよ。定番料理」


「珍しく王道ですね。兄さんっていつも変わった料理を作ってくれるので、ちょっと意外です。でも、楽しみ……!」


「普段はそんなに変わったものばかり作っているわけじゃないよ。それに、王道も美味しくできてこそ、料理が趣味って胸を張って言えるからね」


 変わった料理を美味しく楽しむことだけではなくて、誰もが美味しく食べられる料理を作ることも、料理の大事な役目だと思う。


 もっとも、今回作るカレーはそんなに普通ではないんだけれど。


「さて、と」


 俺は炊飯器を開ける。志帆がぎょっとした顔をした。

 なぜなら、炊飯器の中に入っていたのは、白米ではなかったからだ。


「な、なんですか? それ……?」


「牛バラ肉と玉ねぎの煮込みだよ」


「コンロと鍋じゃなくて、炊飯器なんですね?」


「出かけているあいだにコンロに火をつけてたら危ないからさ。炊飯器だと安全だよ」


「あっ、そっか……」


「炊飯器はいろいろ使い道があるからね。炊き込みご飯は定番だけど、煮込みスープなんかも作れるし。さて、今回はこの半日煮込んだバラ肉と玉ねぎを使って、カレーを作ります」


 串を刺したら火も十分通っているし、あとはカレールーを入れてかき混ぜて十分ほど加熱するだけだ。

 冷凍したご飯があるから、それを解凍する。


 さくっと用意が完了したので、盛り付けて食卓に持っていく。片方の皿は志帆自身に運んでもらった。


 二人で食卓に座る。志帆がいつもどおり食前の祈りを唱える。


「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」


 志帆は胸の前で十字を切った。

 そして、わくわくした表情を浮かべた


「とっても美味しそうな匂いですね……!」


「実はこのカレーには秘密があるんだよ」


 俺はくすりと笑った。




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