空っぽのあたしを満たすのは


「大げさだな」


 俺は照れ隠しに、笑いながら言う。

 けれど、志帆は首を横に振った。


「大げさじゃないんです。あたしはアイドルという仮面がなかったら、中身は空っぽの女の子ですから」


「そんなことないよ。もし志帆が空っぽなら、俺はどうなるのさ?」


 志帆はこんなに性格が良くて、可愛くて、勉強だってできて、アイドルとしてみんなから愛されている。

 その志帆が空っぽだというなら、俺の立場がない。


 けれど、志帆はくすりと笑った。


「兄さんがあたしにないものを持っていることを、知っていますから」


 まるで昔から俺のことを知っているみたいな言い方が、俺は気になった。

 ただ、雰囲気的にそのことを問いただすのはためらわれた。


 代わりに言う。


「俺にできるのなんて、料理ぐらいだよ」


「そんなことないですよ。他にも……兄さんは大切なものを持っています。でも、料理も楽しみなんですけどね」


 志帆はぺろりと舌を出して可愛らしく言う。

 少なくとも、俺は志帆に料理を作ることができる。それは俺が兄として志帆にしてあげられることだ。


 俺は志帆の喜ぶ顔が見たい。

 そう思うようになっていた。


 志帆はゲームコントローラをソファの上に置く。そして、しばらくためらってから、俺の手の上に自分の小さな手を重ねた。


 その手のひんやとした感触に俺は一気に体温が上がるのを感じた。

 志帆はふふっと笑うが、その頬はほんのりと赤くなっている。


「し、志帆……?」


「兄さんの手、温かいです。アイドルを辞めたあたしは空っぽで、だから兄さんが空っぽのあたしを満たしてください」


 志帆は甘い声でそうささやく。このままだと、俺は志帆を妹でもアイドルでもなく……一人の異性として見てしまいそうだった。


 それでも俺は志帆の願いに応えてあげたくて――。

 志帆の手をそっと握り返した。その繊細な指先が壊れてしまいそうな気がして、ほんのわずかにしか力は込めなかったけれど。


「に、兄さん……」


 志帆は予想外だったのか、かあっと顔を赤くする。

 そのまま俺たちはしばらく手をつないだまま、黙っていた。


 その時間は心地よくて……。

 最初のうちはドキドキしていたけれど、やがて穏やかな気持ちになってくる。


 ところが突然、志帆がこちらにもたれかかってきたので、俺は仰天した。

 赤い綺麗な髪がふわりと俺の肩にかかる。女の子特有の甘い匂いにくらりとする。


 さ、さすがにこれはまずい。二人きりで密着なんて……!

 そう言おうと思ったが、志帆がすやすやと寝息を立てていることに俺は気づいた。


「……テレビゲームはまた今度かな」


 転校初日で疲れているのだろう。いや、もしかしてこれまでずっと大変だったからかもしれない。

 こんなふうに志帆が安心して寄りかかれる場所に、俺はなりたい。

 

 すぅすぅと規則正しく志帆が寝息を立てる。触れ合う肩と重ねた手。


 こんなに無防備でいいのかな、と思う。

 それぐらい志帆は俺を信頼してくれているらしい。


 志帆はやっぱり俺と昔会ったことがあるのかもしれない。

 信頼の理由が俺の覚えていない過去にあるのなら、俺はそれを知りたいけれど。いつか志帆が話してくれるだろう。


 さて、次に志帆が目を覚ますときは――。

 楽しいお料理タイムになっている。


 でも、俺も眠くなってきた。昨日からいろんなことが立て続けに起きすぎた。

 ダメだ。このままだと俺まで寝てしまう……。

 

「おやすみ、志帆……」


 そう言って俺は立ち上がるつもりが――いつのまにか意識を奪われていた。


【あとがき】

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