目覚めたら大人気アイドルがいる

 夕食の後、その日は何事もなく一日が終わった。寝床については、今はいない姉さんの部屋を志帆に提供している。

 寝床も部屋のクローゼットも片付いているから、「綺麗ですね!」と志帆は喜んでくれた。


 さて、次の日は金曜日。普通に学校もある。


 なので、俺と志帆は午前七時半にダイニングに集まろうと言っていた。朝食を作ってあげる約束だし。


 その少し前、俺は七時すぎにはリビングに向かった。ラフだが最低限の清潔感のある部屋着を選んだ。

 なにせ、アイドル、羽城志帆に会うのだから。


 窓の外からは朝日が差し込んでいる。


 このタワマンは渋谷駅から徒歩七分という最高の立地だ。その最上階だから窓の外の景色も良い。

 さらに言えば、窓から見える渋谷の高層ビルの多くは帝都急行電鉄、つまり親の会社の持ち物でもあった。


 窓際に立つ俺の後ろから「おはようございます、兄さん」と澄んだ声がする。

 振り向くと志帆がいた。パジャマ姿……ではなく、清楚な白いワンピース姿だ。


 いかにもアイドルという雰囲気で、俺は心拍数が上がるのを感じた。


 着替えてきたのだと思う。さすがにパジャマで俺に会うほど無防備でもなければ、俺を信用しているわけでもないということだろう。


 それでも志帆は親しげで好意的な雰囲気だった。

 ふふっと彼女は笑う。


「目覚めると大人気アイドルがいるという生活はいかがですか?」


「控えめに言っても最高だね」


 俺が軽口を叩くと、志帆は「もうっ」とつぶやき顔を赤くする。


「兄さんって、意外と皮肉屋なんですね」


「皮肉のつもりはないけどね。本心だよ」


「それでしたら、喜んでいただけるのは何よりです」


 志帆はくすくすと笑った。

 そして、彼女は窓辺に歩み寄る。


 志帆は外の風景を眺め、真紅の瞳を輝かせる。


「素敵な眺めですね。東京の都会の象徴・渋谷が一望できるなんて」


「喜んでくれるなら何よりだよ」


「はい。ありがとうございます」


「いや、まあ、親の金のおかげだけどね」


 俺自身は何もしていないので、礼を言われるようなことは何もない。


 ただ、余計な物言いだったかもしれない。俺は後悔した。こんなことを義妹の志帆に言っても、何も良いことはない。

 けれど、志帆は気にした風でもなかった。


「それはそうかもしれませんけれど、今、ここにあたしが住むことを許してくれているのは、兄さんでしょう?」


「俺は志帆に何かを許したりする権利なんてないよ。俺の父と君の母上が結婚したなら、ここは君の家だ」


 そう言うと、志帆はふわりと微笑んだ。


「兄さんは優しいですね」


「べつに……」


 俺は自分の顔が赤くなるのを感じ、目をそらす。

 実際、俺は優しくもなんともない。優しく出来るような力もない。


 志帆は大人気アイドルグループ、「エトワール・サンドリヨン」のセンターだ。一方、俺は何者でもない、ただの男子高校生。


 小牧家の御曹司、といっても、それは俺がたまたま名家に生まれただけにすぎない。志帆のように自分の力で勝ち取ったものじゃない。

 だから、葉月にだって振られるんだ。


 黙った俺を志帆が上目遣いに見る。


「あの……本当に朝食をご一緒しても良いんですか?」


「え?」


「厚かましいかなって思ったんです。いきなり押しかけて、一緒に住んで、その上、料理まで作っていただくなんて……やっぱり迷惑じゃないかなって」


 不安そうに志帆は言う。

 俺は慌てて首を横に振った。


「まさか! そんなわけないよ」


「でも……」


「俺はさ、まともな家族もいなくて、最近はいつも一人で料理を作っていて……寂しかったんだ。だからさ、志帆が一緒に食べてくれるのは嬉しいんだよ」


 俺はそう言った後に、少し恥ずかしくなった。こんなふうに本音を話すのは慣れていない。

 俺は照れ隠しにもう一言加える。


「それに、昨日のトンテキも志帆はあんなに美味しそうに食べてくれたし」


「だって、本当に美味しかったですから」


 志帆は小声で言う。昨日、ガツガツとトンテキを食べて、俺の分をおかわりまでしたことが、今になって恥ずかしくなってきたのかもしれない。


 そうだ。

 俺も志帆にしてあげられることが、少なくとも二つある。

 

 志帆に料理を作ってあげること。そして、この家を志帆にとって心地よい空間にすること。

 

 俺はそうしたいと思った。


 俺は優しく志帆に尋ねる。


「志帆はどうしたい?」


 俺の問いに志帆は赤い髪の毛先を指でいじる。そして柔らかく微笑み、俺をまっすぐに見つめた。


「兄さんの朝ごはん、食べたいです」


 少しだけ甘えるような声で、志帆はそう言った。



【あとがき】


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