アイドルを辞める?
そうか。これは一度きりのことではないのか。
俺は少し、いや、かなり嬉しくなった。
なにせ葉月に「女っぽい」と言われて、振られた直後でもある。羽城さんの温かい言葉が胸にしみた。
これはもう、羽城さんのために是が非でも美味しい料理を作らなければ!
ちょうど良い感じに二枚の豚肉は焼けた。さて、あとはウスターソースをにんにくとともに煮込んで出来上がり。
最後に千切りキャベツを作って皿に乗せ、そこに厚切り豚肉のソテーとソースを盛り付けて完成だ。
「これは……すごく、すっごく美味しそうですね!」
羽城さんが「わあっ」と顔を輝かせる。
俺はふふっと笑う。
「ということで完成しました。
「四日市? とんてき?」
「三重県四日市市の名物料理なんだけどね。広い意味ではいわゆる『なごやめし』にも含まれるかな」
「このいい匂いは……にんにくですね!」
「そうそう。にんにくを効かせた黒めの濃いソースが特徴で……えっと」
よく考えたら、女子ににんにくたっぷりのステーキとかどうなのだろう?
女の子はガツガツとステーキを食べたりしないイメージがなんとなくある。サラダとか食べている印象。にんにくも女性は苦手なのでは?
大人気アイドルの羽城志帆ならなおさら。
ところが、俺がそう言うと、羽城さんは一瞬きょとんとして、くすくすと笑いだした。
「言ったじゃないですか。あたしは苦手な食べ物なんて無いって」
「でも……」
「それに、女の子がお肉をガツガツ食べないなんて、偏見ですよ。女子だって美味しいお肉をたくさん食べたいです」
「そういうものかな?」
「少なくとも、あたしはそうです。それに、にんにくも大好きです。匂いは困っちゃいますけど、対策はできますし」
にこにことしながら羽城さんは言う。その言葉に嘘はなさそうだ。
待ちきれないという様子で、羽城さんは目をきらきらと輝かせる。
「冷めちゃう前に食べましょう……!」
「う、うん。そうだね」
俺と羽城さんはそれぞれトンテキ、豚汁、ご飯を食卓へと運ぶ。
そして、向かい合わせに座った。六人がけのテーブルだから、二人でも広すぎる。けど、一人よりは寂しくない。
「いただきます」
俺が言うと、羽城さんは何か小さくつぶやいていた。
「どうしたの?」
「いえ、その、あたし……クリスチャンなんです。それで……」
俺はピンと来た。羽城さんはハーフだし、家庭の影響だろう。
そうだとすれば――。
「食前の祈りとか、そういうのがあるの?」
「よくご存知ですね」
羽城さんはちょっと驚いたように真紅の眉を上げる。
「一応、幼稚園はキリスト教系だったからね」
日本ではキリスト教は普及しているとは言い難いけれど、幼稚園のような教育関係では運営者がキリスト教関係のところも多い。
その幼稚園で葉月と一緒に何度か食前の祈りを唱えたはずだ。
とはいえ覚えてはいない。
羽城さんが顔を赤くする。
「人前では恥ずかしくて、小声で言うだけにしているんです。他にこんなことしている人はいないですから」
「別に恥ずかしがることじゃないんじゃない? むしろ立派なことだと思うけど」
「そう……でしょうか?」
「そうそう。だから、気にせずお祈りを唱えてよ」
羽城さんはこくりとうなずくと、深呼吸した。
「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」
その祈りはまるで歌声のように綺麗で。
俺は思わず羽城さんに見とれてしまった。
羽城さんが不思議そうに俺を見つめ返す。
「あたしの顔になにかついていますか?」
「い、いや! なんでもなくて……早く食べよう」
「もちろんです!」
羽城さんも最初は気弱そうで不安そうだったけれど、料理を前にするとすっかり明るくなっている。
トンテキをフォークとナイフで大きめにカッと。そして、それを豪快に頬張る。
途端に、羽城さんの顔がとろけそうになる。
「びっくりするぐらい柔らかい……! それなのに食べごたえもあってジューシーで……にんにくのソースもインパクトがありますね!」
羽城さんのリアクションの大きさに、俺は思わずふふっと笑う。
ほっとする。喜んでもらえたなら良かった。
「そうそう。それがトンテキの良いところで……うん、我ながらよくできた」
自分で食べてちゃんと火加減も塩加減も問題ないことを確かめる。これなら、国民的アイドルに出しても恥ずかしくない……かもしれない。
「豚汁もご飯も美味しい……!」
羽城さんはぱくぱくと食べて、あっという間にトンテキを平らげてしまった。
名残惜しそうに、羽城さんは皿を見つめる。
一人前としてはけっこうな量があったはずなんだけれど。
ちらっと羽城さんが俺の皿を見る。俺は自分の皿を見つめ、そして提案する。
「俺の分を少し分けようか」
「えっ。そんな……
自然と「兄さん」と呼ばれ、俺はちょっとどきりとする。そうか、この子は俺の妹になるんだ。
「いや、気にしなくていいけど……ああ、でも俺の食べかけなんて嫌だよね」
「いえ、そんなことありません! いただけるなら、ぜひ食べたいです!」
「そんなに……?」
「はい! だって……すごく美味しかったですから」
そう言って、羽城さんは微笑んだ。完璧美少女の笑みが俺にだけ向けられている。
心臓に悪いと思う。
こんなふうに言われて、自分の分を譲らない兄がいるだろうか?
結局、俺は自分のトンテキの半分近くを羽城さんにあげた。
それもあっという間に食べてしまう。
小柄なのに見かけによらず大食いだ……。
「大満足……ほっぺたが落ちそうです」
「大げさな」
「大げさじゃないですよ。兄さんの料理にはそのぐらいの価値があります」
「そうかなあ」
「兄さんをあたしのお嫁さんにしたいぐらいです!」
「えっ……!?」
嫁? 結婚?
俺が驚いた様子なのに対し、羽城さんも「あっ」という顔をした。、
「間違えました。お婿さんにしたいぐらいです!」
「そこ!?」
「兄さんと結婚したら、毎日こんな料理が食べられるなんていいなあ」
そうつぶやいてから、羽城さんは口を手で押さえた。
「ごめんなさい。あ、あたし、小牧さんのことを兄さんって呼んじゃいました」
「謝ることじゃないと思うけど」
「だって、馴れ馴れしいかなって……」
「本当に妹になるなら、むしろそう呼んでくれた方が嬉しいけどね」
この短い時間のあいだに羽城さんはだいぶ俺に心を開いてくれた気がする。
「わかりました。それでは『兄さん』と呼ぶことにします。兄さんと結婚したら、毎日こんな料理が食べられるなんていいなあ」
「二回言う!?」
「だって、本当にそう思いましたから」
「そんな大したものじゃないよ。それに女々しい俺と結婚したい奴なんていないさ。両思いだと思っていた幼馴染にも振られるぐらいなのに」
「え?」
「ああ、なんでもない」
「そう言われると、気になります」
答えたくないと言うこともできたが、隠すほどのことでもない。
俺は葉月とのやり取りを簡潔に告げた。
すると、羽城さんは眉を釣り上げた。
「その人、ひどいことを言いますね」
「俺が男らしくないのは事実だよ。背も低いし、運動もできないし、気も弱いし……」
「あたしはそんなこと気にならないです! 会ったばかりのあたしにだって、兄さんが料理が得意で、優しくて、素敵な人だってわかります」
そう言って、羽城さんは俺の手に自分の手を重ねた。
俺はどきりとして、羽城さんを見ると、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
「志帆って呼んでください」
「え?」
「妹ですから」
「え、えっと、そうか。志帆?」
「はい! 今日からよろしくお願いします、兄さん」
羽城さん……志帆はとても可憐な表情で嬉しそうにした。
今日から、か。俺たちは義理の兄妹ということになる。説明は受けていないけれど、あの父がこの家に戻ってくるとは思えないから、きっと俺と志帆の二人暮らしだ。
女の子、それも国民的アイドルの美少女と同じ屋根の下で暮らすなんて、どうなるのだろう……?
ただ、一つだけ言えることがある。
「べつに結婚なんてしなくても、俺の料理を志帆は毎日食べられるよ」
「えっ?」
「俺たちは今日から家族。だから、明日の朝食も楽しみにしていてよ」
俺の言葉に志帆は幸せそうにうなずいた。
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこっちのほうだよ、志帆」
「どうしてですか?」
志帆が不思議そうに首をかしげる。
俺は微笑んだ。
なぜなら、一人で食べても美味しい料理は、家族と二人で食べるともっと美味しいからだ。
こんなふうに美味しく料理を食べて食れる志帆と過ごせるなら。
それは幸せなことだ。ただ一つ気になることがある。
「アイドル活動の方は大丈夫なの? 義兄といっても、俺は男だし」
「ああ、それでしたら、もういいんです」
「え?」
「あたし、アイドルは辞めるつもりですから」
さらっと志帆はとんでもないことを言った。
【あとがき】
これで一章完結です! 次章は朝ごはん!
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