家族として暮らす

 俺は思わず、手に持っていたビニール袋を落とした。


「テレビ番組のドッキリ?」


「違います。えっと、あたしは小牧さんの妹になるので、この家に住むことになったわけでして」


「たぶん、俺に生き別れの妹はいないよ」


「そ、そうじゃなくて! あたしのママが、小牧さんのお父様と結婚するんです!」


 まじか……。

 あの父親、ずっと外泊していて、家にはほとんど帰ってこないくせに……! 外ではきっちり恋人を作っていたのか……!


 羽城さんの母親って、若くて美人の有名女優だったはずだけれど……。ちゃっかりこの家の合鍵まで羽城さんたちに渡しているのだとか。

 まあ、そんなことは今はどうでもいい。


「ええと、とりあえず、羽城さん。座ってよ」


「は、はい!」


 素直に椅子に腰掛ける。

 国民的アイドルが俺の義妹。


 うん。意味がわからない。

 どうすればいいのか……。寝床は? 荷物は? 気になることがいろいろある。

 というか同い年なはずなのに、妹なのか……?


 羽城さんも俺を警戒するように見つめていた。それはそうだろう。

 同い年の男子高校生と一つ屋根の下で暮らすなんて、年頃の女子なら危機感を覚えて当然だ。


 それが大人気アイドルならなおさら。 


 そのとき、ぎゅるると音がした。

 羽城さんを見ると、彼女は顔を真っ赤にしていた。


「そ、その……お腹が空いちゃって……」


 さすがアイドル。赤面して恥ずかしがる姿も可愛い。

 俺は遠慮がちに羽城さんに尋ねる。


「とりあえず、夜ご飯でも食べる? 俺が作るけど」


「そ、そんな! 小牧さんに料理をしていただくなんて、恐れ多いです」


「大人気アイドルに料理を振る舞うなんて、俺のほうが恐れ多いけどね。自分からお金を払ってでもしたいっていう奴がいるよ」


 俺が冗談めかして言うと、羽城さんはうつむいてしまった。

 あまり良くない発言だったろうか……?


「その……お金を払うなら、あたしが払います」


「いや、俺の料理にお金を取るほどの価値はないさ」


「それはあたしが決めることです。材料代だってかかるでしょう?」


 羽城さんははっきりとそう告げた。気弱そうに見えて、意思が強いタイプなのかもしれない。

 そうでなければアイドルなんてしないだろう。


「まあ、君の言葉どおりなら、俺たちは兄妹になるらしいんだからさ。あんまり気を使う必要はないよ」


「そう……でしょうか?」


「そうそう。あ、食べられないものとかある?」


「いえ、苦手な食べ物は何もないのが自慢なんです」


 羽城さんがはにかんで言う。

 俺はくすっと笑った。


「それは素晴らしい」


 俺は手を洗ってから、一瞬迷って制服のままエプロンをつけた。


 本当は着替えた方がよいけれど、アイドル相手に私服を見せるのは緊張する。なるべくお腹が空いている子を待たせないであげたいし。


 そして、俺は台所に向かう。

 台所とリビングはすぐ近くで、顔が見えるようになっている。


 羽城さんは興味津々といったようすでこちらを見た。


「何を作るんですか?」


「それは完成してのお楽しみということで」


 幸い、材料は二人分に十分な量がある。

 冷蔵庫にもいろいろあるし、メインの材料は失恋の腹いせにやけ食いしようとかなりの量を買い込んできた。


 ご飯は昨日炊いた分を冷凍させているので、それを温めれば美味しく食べられる。

 豚汁も冷蔵保存してあるし。一人暮らしの自炊のコツは、多めに作って作り置きすることだ。


 とはいえ、今日のメインは作りたてのものになる。

 豚ロースの厚切り肉(2枚)を俺は取り出した。


「豚肉……ですね」


 いつのまにか羽城さんが俺のすぐ後ろに立っていた。

 目をキラキラと輝かせている。遠い存在だったアイドルが、家の台所にいる。しかも、ほぼゼロ距離。


 俺は一瞬、平静心を失いそうになったが「落ち着け」と自分に言い聞かせた。


「これを今から俺が調理します」


「なんで敬語なんですか?」


「いや、なんとなく」


 緊張してしまう。俺は深呼吸した。

 そして、包丁の刃先を豚肉に入れていく。


「細かく刻むんですか?」


「いや、あくまで切り込みを入れるだけ。筋切りっていうんだけど」


 俺は実際にやってみせる。

 二枚の厚切りの豚肉にそれぞれ四箇所ほど、軽く切り込みを入れる。それと手のひらの形にも切り込みを入れる。


「何のためにやるんですか?」


「一つは食べやすい形――グローブ状にするため。もう一つは肉を柔らかくするためなんだよ。筋繊維を切っておくと加熱しても固くならない。あと……」


 俺は木の太い棒……麺棒を棚から出す。そして、肉を叩いていく。


「これも肉を柔らかくするため……ですよね」


「ご明察」


 俺は微笑む。うん、自然に微笑めている。


 緊張がほぐれてきた。人間は手慣れたこと――それも自分にとって楽しいことをすれば、普段通りに振る舞えるものらしい。


「あの……あたしも何かお手伝いできること、ありますか?」


「いや、羽城さんはお客さんなんだから、休んでていいよ」


「お客さんではなくて、妹です」


 羽城さんが訂正する。いや、そうなのかもしれないけど。


「疲れているみたいだし、今日はいいよ」


「なら、別の日にお手伝いします。約束です」


 羽城さんは赤色の髪の毛先を指でいじる。彼女の癖なんだろう。

 テレビでも見たことがある。


 約束、ね。それに、別の日か。彼女はこの家に住むつもりなのか。


 そんなことを考えながらも、肉に塩コショウで下味をつけ、片栗粉をまぶす。

 それからフライパンを用意し、ラードで油を引いた。


 大事なのがにんにくだ。スライスしたにんにくを俺はフライパンに放り込む。


 にんにくがいい感じの色になったら取り出して、今度は肉を焼いていく。

 我ながら手際が良い。


「小牧さん……楽しそうですね」


「そう見える?」


「はい」


 こくりと羽城さんはうなずいた。実際、楽しいのだ。


「料理は俺の趣味だからね」


「へえ……」


「まあ男子にしてはちょっと変な趣味かもしれないけど。女っぽいってよくからかわれる」


「そんなことないですよ! かっこいいと思います!」


「そ、そうかな……?」


「はい。あたしは料理全然できないですし、すごいなあって思います」


 アイドルから目をきらきら輝かされながら、そう言われ俺は体温が上がるのを感じた。

 思わず手が止まる。


 羽城さんが小首をかしげる。


「どうしたんですか?」


「いや、あの大人気アイドルの羽城志帆にそんなふうに褒められるなんて……これは一生物の記念になると思ってね」


 俺は冗談めかして言ったが、半ば本心だった。エトワール・サンドリヨンは俺も普通に好きだし。


 羽城さんはくすっと可愛らしく笑った。


「一生の記念だなんて、大げさですよ。それに……これからは家族として毎日暮らすんですし」




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