第43話 女神様をしばくよ

「フン……他愛もないわねえ。ただの雑魚じゃないの」


 侵入者である花散ウータを欠片も残さずに焼き尽くし、女神フレアは鬱陶しそうに鼻を鳴らす。

 世界を治める六人の神、その序列三位(自称)であるフレア。

 拳で顔を殴るなどの蛮行に及んだ男も、本気を出せば一撃だった。


「あの不細工がどんな力を持っていたかは知らないけど……楽勝だったわね」


 自分自身を誤魔化すようにフレアは大きな胸を張った。

 実際には、そこまで楽勝だったわけではない。

『火の神殿』の精鋭部隊である『フレアの御手』はほぼ全滅。

 フレア自身も切り札である『信者喰い』を使わされてしまった。

 おかげで、『火の神殿』の総本山にいた信者は一人残らずいなくなっている。

 次を集めてくるまで、フレアは身の回りの世話をする人間がいなくなってしまったことになる。


「……どうせ下等な人間ではあるけれど、厳選して集めてきたイケメンを失ったのは痛いわね。どこから紛れ込んだ異物なのかは知らないけど、余計なことをしてくれたわ」


 神であるフレアに触れることができたのだ。

 花散ウータという少年は人間ではなく、下級の神か眷属だったのだろう。

 本来であれば出自を問い詰め、フレアの上位の神である『光』と『闇』の女神に報告するべき事案である。


「……どうでもいいわね」


 しかし、フレアはウータのことを報告する手間を惜しんだ。

 自分のお膝元で『異物』が暴れて、身の回りの世話をしてくれていた信者を全員食べる必要があっただなんて恥である。

 姉達に知られようものなら、確実に馬鹿にされる。序列三位(自称)というフレアの地位が危ぶまれてしまう。


「あーあ……またどこからかイケメンを攫ってきて洗脳しないと……面倒臭いわねえ」


 この被害は今回の『魔王狩り』にも大きく影響するだろう。

 ひょっとしたら、姉達に出し抜かれてしまう可能性もある。

 たった一人の異物にいいようにされて敗北するなんて、ハラワタが煮えくり返ってしまいそうだ。


「もう、どうでもいいわ……寝よ」


 フレアはとりあえずふて寝をしようとしてクッションを探すが、先ほどの戦闘により焼けてしまっていた。

 また大きく舌打ちをして、空中に浮かんで眠ろうとするが……。


「…………え?」


 ふと、感じるものがあって周囲を見回す。

 ピシャリとガラスがひび割れるような音が鳴った。何か……小さな小さな力の残滓が弾けたような気がする。

 けれど、周囲を見ても何もいない。誰もいない。

 神殿にいるのはフレア一人だけだった。


「……何よ。気のせいなの?」


 眉を怪訝に寄せるフレアであったが……すぐにまたピシャリと音が鳴る。

 今度は一回ではない。あちこちから、四方八方から奇怪なラップ音が聞こえてきた。

 まるで見えない幽霊がいびつで不快なセッションをしているかのようである。


「ちょ……何よ! 何が起こってるのよ!?」


 たまらず、フレアが叫んだ。

 周囲に炎を撒き散らして攻撃するが……手応えは一切ない。


「誰かいるの! 姿を見せなさい!」


『見せても良いのかな?』


「…………!」


『見せても良いのなら……出ちゃおうかな?』


 ぬるり、空間が割れる。

 青白い光が差し込んで柱のようになり、そこから得体の知れない何かが這い出してきた。


「ッ…………!?」


 降りそそぐ光の柱の内部。

 そこにった『ソレ』は、乳離れして間もない子供ほどの大きさだった。

 全身が枯れ果ててミイラのようになっており、千年以上も遺跡の奥深くに埋葬されていたように乾いている。

 黒ずんだ体色は生きた人間のものであるとは思えない。『死人色しびといろ』とでもたとえるしかないような不気味な色彩。


 しかし……確実に生きている。

 黒く落ち込んだ眼窩がしっかりとフレアを視認しており、影を縫い留めたかのように微動だにすることすら許さない。

 口元からゆっくりと吐き出される息によって空気が凍りつき、フレアは体内に液体窒素を注入されたかのような寒気を覚えた。


「あ、ああ……あああ……」


 生理的嫌悪が込み上げてくる以上に正体不明の衝動に襲われる。

 叫びたいような、泣きだしたいような、得体のしれない感情が湧き上がってきた。

 目の前の何かを見たくはない。それなのに目を離すことができない……いっそのこと、己の眼球を抉りだしてしまえたらどれほど安堵することだろう。


(何よ……これ……どうして、私が震えているの……?)


 その感情の名は……恐怖。

 人に与えることはあっても、与えられることはあり得ないもの。

 神という上位者としてこの世界に生を受けて、一度として感じたことのない感情にフレアはひたすらに困惑した。


(これは、ダメだ……だめ……いてはダメ……)


 本能的に理解する。

 目の前の存在が世界に存在してはいけない冒涜的なものであると。

 決して、出会ってはいけないもの。

 フレアが神であったとしても、遭遇してはならぬ超常存在。


こんにちはハロー異世界ニューワールド


 今、戻ったよ……その存在がわらう。

 全盛期の力を取り戻し、完全体となった邪神が世界を嘲笑う。


 塵を踏むもの。

 不死なる時空神。

 生と死の超越者。

 大いなる旧き支配者グレート・オールド・ワン


 邪神クァチル・ウタウスの降臨である。


『頭が高いよ、下級神』


「ッ……!」


 邪神が乾いた唇で言葉を紡いだ途端、フレアの膝が折れる。

 自然と床に跪いており、邪神に向かって深くこうべを垂れていた。


「ば、馬鹿な……世界を治める六大神であるこの私が……!」


『こんな月ほどもない小さな星を管理しているくらいで、何を調子に乗っているのかな? 僕と肩を並べようなんて一万年早いよ』


 邪神が嗤う。

 その笑声の一つ一つがフレアを恐怖のどん底におとしいれる。


 優しい両親以外で出会った初めての上位者を前にして、息が詰まって呼吸を忘れる。

 呼吸困難を起こしそうになってから、フレアはそもそも自分が呼吸する必要のない存在であると思い至る。

 だが……とてもではないが気分は楽にはならない。

 一挙手一投足、指先を動かしただけの行動が死に至る……そんな確信があった。


(無理……勝てない……)


 フレアは目の前の存在と争うことを早々に放棄する。

 父なる『闇』の女神、母なる『光』の女神であったならばまだしも、フレアに勝てる相手ではないと理解してしまった。


「こ、これは異界の神よ。本日はいかなる理由で……」


『塵と成れ』


「ヒギャアッ!?」


 跪いていたフレアの手足が塵になる。

 まるで最初からそうであったかのように手足を失ってしまい、フレアはイモムシのように床を這うことになった。


「ぐう……うううううううううっ……」


 四肢を復元させようとするが……出来ない。

 厳密には再生自体は上手くいっている。

 しかし、それよりも目の前の邪神がフレアの手足を塵にする速度の方が速いのだ。


「何故……このようなことを……!」


『別に理由はないよ』


「……理由が……ない……!」


『理由はないけど、まあ、気まぐれかな。自分が強いって思っている強気な女の人が地べたを這っているのっていいよね。イケナイ性癖に目覚めちゃいそうだよ』


 ケラケラと、愉快そうにミイラの赤子がフレアを見下ろしている。


『別に怒っちゃいないよ。在るべき形に戻っただけ。誰が悪いわけじゃない』


「……ならば……慈悲を……」


『君が人を殺したことも怒ってない。ステラを利用したことも、あの町を滅ぼそうとしたことも、ここで大勢の人間を喰ったことも、僕を殺したことですら腹を立てていない。神様というのはそういう存在。理不尽であるものだから』


「…………!」


 暗い眼窩の奥に光が宿った。

 どこまでも深く、それでいて強い暗黒星のごとき光である。


『だから……僕も理不尽に君を殺すね』


「う、あ……ああ……」


『神とは理不尽なものである。人を弄び、弱者を踏みにじっても許される上位者である……それがこの世界のルールなんだろう? だから好き勝手にやってたんだろう? だから、僕もそのルールにのっとって理不尽を君にもたらすよ』


「ま……」


『サヨウナラ』


 待って。殺さないで。死にたくない。

 そんな身勝手な言葉を吐こうとしたフレアの全身が塵になった。

 命乞いをすることも、絶叫を上げることすらも許されずに……世界を管理していたはずの六大神の一角が塵芥ちりあくたのように散ったのである。

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