第37話 賢者さんお宅訪問


 その女性は朽葉由紀奈と名乗った。

 黒髪をショートカットにしている三十前後の大人の女性。

 賢者と呼ばれているようだが、着ているのは白のワイシャツとタイトスカート、白衣の上着であり、医者か研究者といった格好をしている。


「適当に座ってもらえる? すぐにお茶を淹れるから」


 朽葉の口利きによって牢屋から出されたウータとステラはオールデンの中央にある『賢者の塔』へと連れてこられた。

 最先端の魔法研究施設であるというその建物はなんと十階建てで、国王が暮らしている白よりも大きかった。

 二人はエレベーター(!)によって最上階まで通され、朽葉が使用している研究室へと入ることになったのである。


「こ、ここが『塔』……」


「へえ、異世界なのにすごいね。テレビとかエアコンがあるよ」


 研究室に置かれているイスに座ったウータが驚いて目を見開いた。

 ステラもまた不思議そうな顔をしており、部屋を見回している。


「動力は電気じゃなくて魔力だけどね……ここまで再現するのに百年以上もかかったわ」


 二人の前にあるテーブルに白いコップが置かれた。

 コップの中には黒い液体が入っている。


「こ、これは何ですか……飲み物、なんですよね……?」


「コーヒーよ。これもこの世界では見ないものよね」


「こ、こーひー……?」


 ステラが恐々とした目でコーヒーを見下ろしている。

 この世界では……少なくとも、ファーブニル王国ではコーヒーは普及していない。

 炭を溶かしたようなその液体が人間の飲み物だと信じられないのだろう。


「コーヒー豆を見つけるのに三年も南方大陸を彷徨ったのよ……これがないと、私は生きていけないからね」


「おねえさん、ミルクと砂糖はないの?」


「……あるわよ。私は使わないけどね」


 ウータが無遠慮に要求すると、朽葉が面倒臭そうにそれぞれの容器を出す。


「う、ウータさんも飲むんですか? それを?」


「飲むよー。ブラックじゃ飲めないけどねー」


 ウータがコーヒーにミルクをなみなみと注ぎ、砂糖をスプーン五杯も入れる。

 ステラが息を呑みつつ、ウータのマネをした。


「……甘党なのね。貴方達」


 そんな二人に朽葉が呆れ顔になる。

 ブラックコーヒーの香りを楽しみつつ、口をつけていた。


「うん、美味しいよ」


「ど、独特の味わいですね……悪くはないですけど」


 ウータが穏やかに笑い、ステラがやや表情を強張らせながらコーヒーを口にする。

 三人が飲み物を半分ほど飲んで、落ち着いた頃合いになってから朽葉が本題を切り出す。


「さて……間違っていたら申し訳ないけど、貴方は日本から召喚された勇者よね?」


「んー……日本から召喚されたのは合ってるけど、勇者じゃないよ。勇者は僕の友達だから」


「そう……やっぱり、また勇者召喚が行われたのね……」


 朽葉が溜息を吐き、コーヒーカップをテーブルに置いた。


「もう五百年になるかしら。私もかつて日本からこの世界に召喚されて、勇者と一緒に魔王を倒したのよ。元の世界に帰るためにね」


「へえ、でもこの世界にいるんだ。帰らなかったのかな?」


「そ、そもそも、どうして五百年前の人が生きているんでしょう……そっちの方が不思議ですけど……」


「えーと……ウータ君にステラちゃんと言ったわね。二人の質問に答えると、魔王を倒しても元の世界には帰れなかった。そして、不老不死の魔法を使うことで年を取ることなく生きながらえているのよ」


 朽葉がわずかに表情を歪めて、語りだした。


「五百年前、私と友人三人がこの世界に召喚された。当時は高校一年生だったわ。元の世界に帰りたければ魔王を倒せというから、四人で長い冒険を乗り越えて魔王を倒したのだけど……結局、元の世界には帰れなかった。魔王を倒せば元の世界に戻ることができるというのは噓八百のデタラメだったのよ」


「嘘……やっぱり、そうなんだ」


 正直、予想はしていた。

 魔族にヘイトを向けさせるためにウータを城から追い出し、殺そうとした連中だ。

 それくらいの嘘はつくだろう。


「国王から騙されていたことを知った私達は、独自に帰還する方法を探そうとしたんだけど……その過程で、この世界の真実を知ってしまったのよ」


 朽葉は語る。

 憎悪を顔に浮かべて。


「魔王との戦いはマッチポンプだった。全て、この世界を支配している神々の手による遊戯だったのよ」


「神々って……フレア様のような、ですか?」


 ステラが恐る恐るといったふうに訊ねた。

 元々、『フレアの御手』という集団のメンバーだったステラにしてみれば、気になることなのだろう。


「ああ……彼女もまた、私達の人生を弄んだ神共の一人ね。この世界には六大神と呼ばれる神々がいる。人間を生み出した火の女神フレア、エルフを生み出した風の女神エア、ドワーフを生み出した土の女神アース、マーマンを生み出した水の女神マリン、天使を生み出した光の女神ライト、そして……魔物と魔族を生み出した闇の女神ダーク。彼女達が五百年周期で行っている遊戯、それが魔王討伐」


「…………」


「闇の女神が生み出した魔王が敵役となって世界各地に災厄をもたらし、地水火風の四女神の眷属が魔王に立ち向かう。自分が生み出した種族を戦わせることもあれば、異世界から『代理人』を呼び出してぶつけることもある。最終的にどの神の眷属が魔王を倒したかによって、勝敗をつけるお遊び。私達はそれに巻き込まれたことになるわね」


「神様がそんなことを……」


 ステラが顔を青ざめさせている。

 自分が信仰していた神が命を弄ぶような遊戯をしていたなんて、受け入れがたいことなのだろう。


「えっと……光の女神、ライトだっけ? その神様は話に出てこなかったけど、何か関係あるのかな?」


「光の女神は公平にゲームを運営するための審判。つまりはゲームマスターね。光の女神と闇の女神……どっちも女性なんだけど、この二人は夫婦なのよ。理屈はわからないけど……この二人の間に生まれたのが地水火風の四女神であるとされているわね」


「おお、女の人同士で子供を作るなんてすごい進んでるね! LEDだね!」


「……LGBTって言いたいのよね、多分」


 マイペースなウータに朽葉がツッコんだ。

 わりと重めの話をしたはずなのだが、どうしてこう緊張感がないのだろう?


「あれ? 五百年前の人なのにLEDがわかるんだね。もしかして、時空超越している系?」


「時空を超越しているし、アンチエイジングもしている系よ……君、さっきの話を聞いていたわよね? 他に感想はないわけ?」


「まあ、神様だからそういうこともするんじゃない? 僕の知っている神様もわりと酷いことしているよ?」


「君が日本でどんな生活をしていたのか気になるわね……ともあれ、世界の真実を知った私と仲間達はどうにか帰る方法を探したのよ。『勇者』と『剣聖』は火の神殿で女神フレアに直談判しに行ったけど、帰ってこなかったわ。おそらくだけど、女神とその配下に殺されたのでしょうね」


「…………」


 ステラが気まずそうに目を伏せて、ウータが容器から取り出した砂糖を掌に載せてペロペロと舐めている。


「『聖女』だった友人は旅に出てそれきり。私は元の世界に帰る方法を探すために……そして、人類と世界を弄ぶ女神に対抗する手段を探すために、魔法の研究機関である『賢者の塔』を作ったのよ。信じられるごく少数にだけ世界の真実を話して、神を出し抜く方法を研究しているの」


「……賢者様は神に立ち向かうつもりなんですか?」


「そうよ。彼女達は人間を玩具のようにしか思っていない。世界を司っているとか言っているけど、実際には人を争わせたり、災害を引き起こしたりして遊んでいるだけ」


 朽葉が立ち上がって、テレビのモニターを撫でる。


「魔法技術は日進月歩で進歩している。いずれ必ず、人類は神に追いつくことができると信じているわ」


「賢者様……」


「砂糖がもうない……」


 ステラは堂々たる女性の姿に奇妙な感動を覚えた。

 ウータは空っぽになった砂糖の容器に悲しそうに唇を噛んだ。


 知ってしまった世界の真実。

 神と呼ばれる超次元存在の『闇』。

 二人がその意味を理解するよりも先に、ズドンと塔の外から轟音が聞こえた。


「ッ……! いったい何が起こったの!?」


「ユキナ様、敵襲です! 城壁が破られました!」


 研究者らしき男が部屋に飛び込んできた。


「敵襲……いったい、誰が……!」


「敵は赤の僧服を着た神官……『火の神殿』の僧兵が魔法都市に攻め込んできました!」


「…………!」


 その報告に、部屋の中に冷たい緊張が走り抜けた。

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