必然
小狸
短編
「この世には、偶然なんてないんだよ」
そんな口癖の、彼女であった。
今まで何人かの女性に
まあ、若気の至り、である。笑いたければ、笑ってくれて構わない。
「運なんてものもない。全てが初めから予め決まっていることなんだ」
「……そうかね」
僕は反論してみることにした。
「じゃあ、僕の家が荒れていて、家庭内での教育虐待が激しくて、家に帰ることが
「ああ、そうだね。決まっていたことだ」
彼女は臆することなく言う。
「運命の女神なんていないし、救世主など現れない。あるのは、どうしようもない不可逆な現実だけだよ」
「何か、救いようないな、それ」
僕は思わず、悪態を吐いた。
大人達は、僕らに容赦なく『これが現実だ』と、自らが体験した理不尽を突きつけてくる。
最近は漫画や映画だって、徐々に説教クサくなってきている。
「僕が望まなくとも、あんな家庭の子に生まれることはもう決まっていたことだ、なんて言われちゃ――僕としてはもう何か、やるせなくなってしまうよ。そりゃ、年間で自殺者も大勢出るの、納得しちゃうな」
「あはは、君らしい皮肉な見識だね」
彼女は笑った。良い笑顔だった。
「でも、考えによっちゃあ、救いようがないって訳でもないんだよ」
「え?」
「私は確かに、偶然なんてないと言ったけれどね。人々から『偶然』と呼ばれるものは、起きるものじゃなく、起こすものなんだよ。鍛錬と積み重ねと反復によって、その事象が発動する確率を上げる。勉強や運動なんかが分かりやすい例だけれど、それ以外だって、人それぞれ、積み重ねてきたこと、続けてきたことはあるだろう。君が、両親の目を盗んで、小説を書いて――書き続けているようにね」
「……知ってたのか」
「私の観察眼を舐めないことだね。君が朝、部活動の時間に早めに学校に来て何かを書いているのは、既に調査済みだ」
「時々、君の観察力には舌を巻くよ」
「話を戻すと――そういう積み重ねのことを、一般的に人は、『努力』と呼ぶ」
「努力……」
その言葉は。
とても苦手な言葉だった。
何かにつけ人は努力、努力と言う。
母もそうだ。
頑張って、根詰めて頑張って、頑張ることそのものに意味を見出して、それを僕に押し付けてくる。
しかしどうだろう。
彼女の口から発せられた言葉は、夕暮れの屋台で買ったサイダーの蓋を開けた時のような、淡い爽快感に似た響きを含んでいた。
「そうさ。偶然なんてない。あるのは現実だけ――そしてだからこそ、そんな現実で積み重ねた努力は、必ず報われる。君の努力は絶対に無駄にはならない、絶対にだ。」
「……全く、君って奴は、本当に」
そんなことを言われたら。
ちくしょう。
全てを諦めて、投げ出して、逃げ出して、死んでやろうと思ったこともあったけれど。
明日もまた生きてやろうって、明日もまた生きて、努力して、積み重ねてやろうって、思ってしまったじゃないか。
「君が元気になったなら、何よりだ」
そう言って、また、彼女は笑った。
夕日に彩られた水田が、その笑顔をより際立させる。
こんな風に。
こんな塩梅で。
そんな調子で。
今日もまた、何となく僕は、彼女に励まされてしまったのだった。
(「必然」――了)
必然 小狸 @segen_gen
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