第5話 天使と商人
天暦10年、冬の月
木と木の間を乾いた風が吹き抜けていく。木から葉っぱは抜け落ちて、季節はもう冬だった。白く曇った息が風に流され消えていく。
まだ日が顔を出していない早朝に、私はいつも通りの日課を行う。山の中にある秘密基地で、今日も至極のひと時を過ごしている。
山の中にある秘密基地、そこは都市からも離れていて、蒸気機関車の路線からも、都市間を行き来する隊商や旅団の主路からも離れていた。
だから山賊や野伏なんかの盗賊に見つかる心配もない。たまに獣が現れるが、獣の嫌う匂いや音を起こしているので邪魔される心配もなかった。それに一度だけ獣に襲われることがあったが、剣で頭を叩き割り、分解した死体を木に吊るしマーキングをしてから、ここに近づく猛獣はめっきり減った。
この場所が他の誰にも知られていない、私だけの秘密基地。
山の中、ここだと思った場所に私は小さな基地を築き上げた。誰の介入もない、煩わしさから解放された私だけの場所。自然に包まれた場所では、父の権威も兄の強靭さも関係なかった。私は一人の人間として、この場所に立てた。
この場所に私は自分の宝物を運んだ。私の宝物に溢れたこの場所を、ある人は宝物庫だと見間違えるだろうし、ある人はガラクタの山だと思うし、ある人はこの空間の異質さに嫌悪すると思う。誰がどう思うかなんて関係ない。私にとってこの場所は希望の光そのものだった。
朝日が登り始める。太陽の光が森へと差し込み、目に映る風景が色づいていく。自分の銀色の髪が光を乱反射する。枯葉や木、土の色付きは生命の息吹を感じるほどに美しかった。
「おはよう」
誰に対してでもなく私は呟く。
大願成就の祈りをこの地に伝える。
そして今日、私はジョウロを傾ける。
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天暦10年、冬の月
今から三十年前、人類の上位種族『鋼質有機体』の出現により、この大陸の社会体制は崩壊した。主要都市は焦土と化し、徹底的な攻撃を受けた国は地獄となれ果てた。
逃げ惑う人々、荒れ狂う町、容赦のない敵。
国は国としての機能を失い、人々は国家という組織から分断され、逃げ惑う人々はそれぞれ独自の組織を作りあげた。
「鋼質有機体が大陸を闊歩するなか、法や既存施設が機能しない大陸を舞台に、人類はそれぞれの団体、それぞれの体制をもって苛烈な生存競争を強いられてきた」――――というのが大人の必ず語る『災禍』や『大戦』の前口上だった。
そんな話も今は昔。オレの二十年間の人生において、自分の目で鋼質有機体を見たことなど一度もなかった。年長者からの話や修道院で飾っている絵なんかで見たり聞いたりするだけで、戦争の厳しさや恐怖など味わったことなど一度もない。それはお伽話のように実体のないものだった。
鋼質有機体。
鋼造りの獣。鉄の翼で空を飛び、昆虫を思わせる脚で大地を闊歩し、赤褐色の目で村や街を焼き尽くしたとされる怪物。
どこからやってきたのか、何が目的なのか、その生態について何も分かっていない、ただ人を攻撃するために生まれてきたかのような、人類の敵。
ある人は「神から繰り出された終末を告げるための虫」と言い。ある人は「海の底から出てきた新種の生物」だと言い。ある人は「空の奥、宇宙から飛来した侵略的外来種」と言い。果てには「未来から繰り出された兵器」とも言われた。
そんな人類の上位種は、人間によって滅ぼされたのだ。だからオレも、オレの同世代の人間もその生物を見たことがなかった。
二つの種が全滅するまで殺し合い、生き残ったのが人類だった。どれほど強くても、どれほど優れていても、存続という点で鋼質有機体は人類には勝てなかった。
人類と鋼質有機体との戦争。人類同士の権力闘争が終わり。この大陸は一国のもとで統合を果たした。
『覇の国』。あらゆる統治集団が乱立していたドロイド大陸を平定せしめた大陸国家である。
その主要都市には、今日も都市間を移動する旅団の姿があった。
馬車が十一台。それぞれの馬車に様々な種類の人が乗り合わせている。出稼ぎの労働者、行者の坊さん、舞妓に遊女、歌人に詩人、そして商人。
鱗の肌を持つ者、褐色の肌を持つ者、毛皮に包まれる者。人種も様々だった。
都市間の移動には危険がつきもので、十年前と比べて治安は良いものの、荷や人を狙う野盗は存在していた。なので都市と都市の間を移動する際には、銃剣などで武装した衛兵を連れて旅団を組んで移動する必要があった。
旅団を組めない人。つまり脛に傷のある犯罪者なんかは、『運び屋』なんて呼ばれている人に金を払って移動する。旅団が内部で混乱するのを避けるための処置だ。
昔。小さい時は運び屋として生計を立てていたこともあり、そんな背景を知っていた。
だからこそ、この旅団が安全であることを知っているのだった。前科者がいない分、旅の足取りは軽かった。
しかし銃剣に武装されながら旅をするのは酷なもので。都市に到着した時は、まるで一仕事を終えたかのような疲労感と開放感を感じていた。仕事はこれからだというのに。
「頑張るか」
到着した都市をぐるりと見渡す。整備された街、物流の多さ、人の活気。国の中でも三指に入ると言われるだけあって、その規模は凄まじかった。前に来た時よりも発展しているようにも見える。
多種多様な人種が街を歩いている。蛇族、獣族、森族、岩族。見かけない人種はいないのではと思ってしまう。
地面は煉瓦が敷き詰められ、街を照らすガス灯には装飾が施されている。
人が行き交い、物が集まり、技術が研鑽されている。街のすみずみに漂う活力と安全。蒸気機関車の主要停車位置であることも含めて、街としてのレベルの高さが伺い知れた。
「金の匂いがするぜ」
ここが今回の稼ぎ口だと、後ろの荷台を見つめる。商品は無事に移動することができた。
旅団として移動するのは人だけでない、食材や日用品から、骨董品などの貴重品も一緒に運ばれている。
自分はこの都市に自由商としてやってきたのだ、少々緩んだ気をもう一度張り詰めなおす。
「がっつり稼がんとな」
今回は別大陸から渡ってきたガラス製品と香辛料を港で仕入れることができたので、それを運び、そしてこの都市に売るためにやって来たのだ。商工団を自前で抱えている領主様や高等文官に別口として商品を売るのは大変なことだったが、それが自由商としての自分の役割なのだ。
「金儲けするぞ」と天を仰ぐ、そして視界の大部分を占める摩天楼。
天高くそびえ立つ一棟の高層建築。
その白銀に光る巨城を中心に、この街は放射線状に区画整理がされていた。街を上から見れば蜘蛛の巣のように広がった道路が街を形作っていた。したがって大きな路地に出れば、何の陰りもなくあの城が見えるのだ。
この都市の中心的で、代表的な建物であり、天上人の根城だった。
ここ「覇の国」の天使さまの住処だ。覇の国では、『天使さま』を頂点とする国家だった。
人道を教える「教会」、政務を行う行政機関、軍務を持つ軍事組織、その他に属する各商業組織。国を支え、形作るさまざまな組織は全て天使さまが支配していた。
あらゆる組織の支配者。ソレが「天の使い」である。
過去に商人として、この国の主要な人間関係やその上下関係を調べたことがあった。余計な争いごとに巻き込まれないように、また起こさないようにするため、そして利益やコネの拡大に繋げるためだ。
『天の使い』
この大陸国家である覇の国の主要宗教『天道教』の中心存在。そして実質的な最高権力者。偶像だけでは終わらない、最強の実力者である。
鋼質有機体に焼かれた大陸。あらゆる統治体制が崩れかけたその時に天使が現れた。あらゆる統治集団を支配下に置いていき、その力の中心に立ち続けている存在。それが天の使い俗称「天使さま」なのである、というのがこの大陸の通説だった。
この地で聞いた面白い話がある。「この国の最高権力者は?」と聞けば、その名をあげる、『ウィスパー・サンシャイン』、この国の支配者の御名前だ。国の実務をこなす官僚に軍人、商業団に工業団、さまざまな社会集団は最高権力者として彼の名前をあげている。
そして、「この国の最強は?」と聞かれれば、子供も大人も声高にその名を呼んだ『アレガルド・サンシャイン』。この覇国の特務兵統括であり守神、そして「ウィスパー・サンシャイ」のご子息だった。
天使の一族「サンシャイン家」。それがこの覇国の建国者であり支配者であり守護者だった。
あらゆる人が最高権力者の名を上げ、忖度なしで最強の名を呼んだ。そして「最高権力者」と「最強」、その二人が親子であるという事実は、人々の熱狂的信仰の的だった。
その信仰を象徴するように天を突く建築物。あの屋城を見るのはこれで三度目、この都市にくるのもこれで三度目。最初に見た時、大陸を掌握せしめる有力者とはあのような塔を建ててしまい、あまつさえそこに住んでしまうのかと恐れ慄いたのを覚えている。そして今でもその情動に変わりはない。
自分も商人として大成を果たしたなら、あのような城や屋敷に住んでみせる、と心を昂らせた。ありきたりな夢だったが、見ないではいられない未来だった。
ゆくゆくは国から所持と流通が禁じられている『妖刀』、『鋼具』、『魔導書』の類を扱えるようになりたいと思いを馳せた。ここはその夢が叶う場所だ。身ひとつで成り上がりを果たせる場所、覇国ドリームを信じて、今回も仕事の成功を願っていた。
旅団としての集まりは解散し、各々が自分の目的に向かっていく。自分も商人として、荷を小型の馬車に乗せていった、これから店と個人に骨董品や香辛料を売る営業がある。
荷の移動をおこなっている時だった。
「ルールさん、ヤッホー」
後ろから自分の名を呼ばれる。鈴の音を思わせる、透き通った少女の声だ。
まるで狙いすましたかのように、一人でいるタイミングで声をかけられた。
「ルールさん元気してた?」
背筋が凍った。後ろを振り向かずとも、その人物の正体が分かったからだ。
「おーい、もしもーし。ルールさん聞こえてる?」
夢とか幻聴の類であってほしい。
何かの間違えであってほしいと、一度は振り向かなかったが、その呼びかけが続いた。
借金取りに居留守を使うが如く、健気な抵抗を続けていたが。
呼びかけに反応がないと分かると、
「あれれ?不敬罪かな?」
最終警告が唸りをあげる。
少女には『許しを与える』という慈悲の考えは存在しなかった。
「誠に申し訳ないのですが、こういう時だけ権力を振り回さないでいただけますか?」
「おー、良かった。見知らぬうちにわたし幽霊になっちゃたのかな?って思っちゃったじゃん」
恐る恐る後ろを振り向くと、からからと笑う少女の姿がそこにあった。
絶叫ものである。
声にならない声を心の中で叫び続けた。口にするなら「いやぁぁぁぁあああ、誰か衛兵を呼んでぇぇぇ‼︎」だ。
その少女は茶色のフードを深く被り、街を歩く人々も、旅団の人たちも誰もその正体に気づいていなかった。
「幽霊になったら真っ先にルールさんを呪い殺すね。幽霊だって気づかせたんだもん、責任とって一緒に幽霊になってもらおうかな」
屈託のない笑みを浮かべ殺害予告を語るこの少女に、屈託しかない苦笑いを浮かべて対抗する。出せる言葉は「へへっ、すいません」だけだが。
今すぐに膝を地に突き、平伏してこの場を逃れたい気分に襲われたが、少女がそれを許さなかった。
「ルールさん、いつも通りにお願いね」
いつも通りとは、身分を気にせず対等に接することを指している。
「じゃあ、商談を始めようか」
凛とした声を発し、少女はピシャリと手を叩いた。
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