第4話 プロローグ-④

 天使が来る。


 マゴロクさんはそう言った。


 金髪の男性は、その言葉を否定しない。


 事実として巨獣と化した鋼質有機体を死に至らしめる「何か」が集落にいる。さらにはそれがこっちに向かってきてるのだ。


 得体の知れない、ただ天使という名前だけを持つもの。


 初めて鋼質有機体に出会った時に匹敵する恐ろしさがあった。


 自分の想像すら及ばない何かが、こちらに来ている。


「・・・⁈」

「え?」


 ふと、明かりが消えた。火の熱さが消えた。

 今日で何度も見ているはずの超常。それが、さらに顔を出す。天使の到来を告げるように。

 この異様な光景を今さら嘘だとは思わない。


 集落の火が消えたのだ。何の前触れもなく、ただ一瞬にして。


 水をかけられたわけでもない。強い風が吹いたわけでもない。


 火の手によって煌々と輝いていた集落から、火炎だけが一瞬にして消え失せた。


 燃え上がっていた集落。そこから炎が抜け落ちて、火による音も光も消え去った。


 燃え残った炭、月に照らされる私たち。火の音が消えたことによって、人の息使いさえ聞こえるほど周囲は静謐が広がっている。


 『火が邪魔だった。だから消した』そう言わんばかりに、何の前触れもなく集落から脅威は消えた。


 それは、天使がこちらに近付いてくる予兆だった。


「みんな、膝を地面に着けて」


 マゴロクさんは大剣を横に振って、跪くように促した。


 慌てるようにマゴロクさんは私たちに向かって言った。金髪の男性もそれに続く。


「形式的なもんだ。いいから膝を地面に着けて、頭を下げろ」


 集落のみんなに向かって、そう投げかけた。

 もう戦いの名残はない。害敵である鋼質有機体も、脅威である火も、灯りも音も何もない。今あるのは、大将の凱旋、その空気だけだった。


「来るぞ。天使様が」


 みんなが顔を互いに見合わせて、その言葉に従った。


 全員が地面に膝を着け、視線を下に落とした。


 幾重にも続く常軌を逸した現象。助けてくれた恩人の言葉というのもあり、その行為に逆らう人間は誰一人としていなかった。


 地面に膝を着け、天使という存在を待つ。全員が一言も発さずに到着を待っていた。


 足音。最初に気付いたのはそれだった。


 炎で焼かれた集落。そこから炎が抜け落ち、静寂で満ちている。だからこそ、こちらに近づいている足音が聞こえているのだ。


 一人ではない。

 何人もの足音が重なり、こちらに向かっている。


 数人の足音が近づくにつれて、自分の体に異変が起きている。


 背筋に冷水をかけられたように全身が粟立った。


 空気が粘り気を帯びている。水中にいるかのように、体を動かすことにも、息をすることにも努力が求められる。一瞬、息の仕方を忘れてしまったかと焦った。口が空気を上手く吸ってくれない。


 異質な空気が、ゆっくりと、ゆっくりとこちらに近づいている。


 月に照らされて、その足音の正体が見え始める。それは人の集団だった。


 数は10人近く。人の集団が何かを囲うように円陣を組み、こちらに行進してくる。火の手はもうない、月の光がその集団を可視化していた。


 異質な空気。それが、その集団から発せられているのだ。


 絶対的な格差。隔絶した生物としての差。それを本能で感じ取っているのだ。それが寒気として、息苦しさとして体の表面に出てきている。


 その集団と敵対してはいけない。そう全身の感覚が副音のように告げている。


 そして集団が到着した。もう私たちの目の前にいる。


「お疲れさまです」


 金髪の男性は集団の先頭に向かって敬礼をした。それに合わせてマゴロクさんも敬礼を見せる。集団の先頭に立っている人は、マゴロクさん達に手を挙げて、その敬礼に挨拶を見せた。


 その人の集団は全てがバラバラだった。年齢、性別、種族、体格。だがその行進する動作だけが揃っていた。


 この集団の誰かが天使なのだろうか?


 この異様な空気を放つ存在が『天の使い』なのだろうか?


 考えや思いを巡らせている時。集団の先頭に立っている男性が声を上げる。


「諸君、よく生き延びてくれた。集落の損壊を見れば分かる、多大な攻撃だったんだろう。しかし君達は生きた。生きて会えたこと、まずはそれに感謝しよう」


 よく通る声だった。


 この人が天使なのだろうか?


 そう思ったが、どうも違うようだった。


 容姿に白の要素がない。白い装飾は身につけていたが、髪は黒で肌も黄色っぽい。どちらかといえば、マゴロクさんの方が噂に聞く天使さまの造形に近い。


「そしてマゴロク、ワン。貴公らに感謝する。ありがとう。尊い命を救ってくれたこと。あの害獣を食い止めてくれたこと。その全てに御礼を言おう」


 その言葉と共に、マゴロクと金髪の男性が腰を折って返礼した。


 そして、その人物は腕を空高く伸ばし、月が輝く夜空を指差した。


 大袈裟に振る舞う。それが仕事のように、男性のジェスチャーは広く、過剰だった。



「何の因果か、我々はここで出会った。これは天の采配である」


 真面目に、厳かに。何の躊躇もなく、その人物は「天」を語った。「天」とは、つまり神である。神とは、人では説明がつかない現象の大元を指している。


「生きる、というのは選択肢の連続だ。この災禍を生き延びてきた君達なら分かるだろう?自分が選んできた選択肢で生死が決まる。逃げる、隠れる、戦う、そして人を蹴落とす。生き残るため、自分の信念を貫くため、あらゆる選択を強いられてきたはずだ」


 ゆっくりと指先を動かし、胸に手を当てた。


「そして、自分の選んだ選択に悩み、苦しむ。考えたことはなかったか?何のために生きているんなだろう?と。どうしてこんなに苦しまなきゃいけないんだろう?とね」


 子供を前に教鞭を振るのように、彼は世の理を説いた。

 

「断言しよう。生きている限り、人生には理由がある。どれだけ苦しもうが、辛かろうが。生き延び、踠き続けたこと、そこには意味がある」


腕を横に伸ばし、語気を強める。


「そして約束しよう。君たちが苦しんできたこと。選んできた選択は間違いではなかった。君たちが生きてきたのは、今ここで私たちに会うためだ。私たちの主人に会うためなんだ」


 そして彼は目を瞑り、胸の前で手を合わせた。

 それは教徒が教会で、祈る姿に似ていた。


「意味がある。だから広大な大地の中で私たちは巡り合ったんだよ」


 その言葉に合わせて一斉に人垣が動き始めた。


 人の集団、その円陣が割れた。

 人垣が割れ、中から一人の人物が顔を見せる。


「この御方に出会えたこと、この御身の前にいることが出来ること。その全てに感謝しなさい」


 先頭に立つ黒髪の男性は、祈るように言った。


「そして、最上の敬意を表しなさい。この御方こそ、災禍を滅する大陸の救世主。天使様であります」


 黒髪の男性は、そう言い終え、合わせていた手をほどき、横に一歩ズレる。


 そして後ろから、集団の中から出てきた人物が顔を出した。


 その時、集落のみんなは確信した。

 いま出てきた人物が天使さまなのだと。


 私たちの前に『天使様』が現れた。


 湿った暑い部屋に、涼しい風が流れるように。その場にあった異様な空気は霧散した。

 途端に呼吸は軽くなり、澄み切った空気があたりに充満する。


 ただ、顔を出しただけで、意図も容易く場の空気が入れ替わる。


 その姿を見ただけで、私たちは魅了された。

 その姿を表しただけで、私達に納得させた。

 支配し、従属させる力が、目の前にいる『天使様』は持っていた。


 どこまでも透き通った姿をしていた。全身が白・・・いや銀という表現に近かった。髪、肌、装飾。その全てが白色に輝き。そして煌々と光る目だけは桃色に輝いていた。


「初めまして。私はウィスパー・サンシャイン。天の使いです」


 透き通る声で、その御方は喋った。


 年端もいかない男児。それが、天使様の姿だった。


 疑わなかった。疑問すら感じない。だから何も言わなかった。


 神秘。それを体現したような容姿だった。月明かりが後光だと錯覚するほどに、その御方は美しかった。


「僕が道を作ります。着いてきてください」


 短く、それだけを言った。

 天使様は、その言葉だけを残して踵を返し、集団の中に消えていった。


 集落のみんなから返答はない。

 ある者は泣き、ある者は笑顔を見せながら、ただ手を合わせ、首を垂れた。それがみんなの返答だった。


 示し合わせることなく、この場にいる全員が、天使様に頭を下げていた。


 災禍という最悪。大陸全土を巻き込んだ厄災。

 おそらく、その最悪に釣り合いを見せている存在。

 私が今日見た超常現象の数々。自分の人生がひっくり返るような衝撃の数々。それすらも超えてくる『出会い』という分岐。


 それが天使様に出会った日のことだった。

 天使様が私の前に現れた瞬間だった。

 その時に私の歯車は意味を成して回り始めたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る