第3話 プロローグ-③

 燃え上がる集落を横にして、大男は倒れ込む私の隣に立った。


 見上げるようにして、私は大男の顔を見た。視界が霞んで上手く顔が見えない。


 耳も上手く聞こえないが、大男の放つ声にはひどい幼さを感じた。


 すると大男の後ろから、ドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

「だらー!!喋らすなよ、怪我人を」

 後ろからこちらに向かって走る人影が見える。

 こちらも白色の装飾を身に包んだ人だった。

 隣の大男と比べると髪は金髪で、背も普通だった。


「喋らなくていいぞ、それぐらいなら治る!」


 その金髪の男は鞘から一本の剣を引き抜いた。そしてその剣先をこちらへ向ける。


「ッ⁈」


 剣先を向けられ身じろぎをした。生き残った安堵の後に、いきなり危険物を向けられたのだ。狼狽しない方がおかしい。


 避ける気はあったが、いつの間にか剣先が私の肌に触れていた。剣先が私の肌を切りつけて、チクリとした痛みが肌を走った。意識の外からやってきたような防ぎようのない攻撃だった。


「・・・?」


しかし、その痛みと共に、体が驚くほど軽くなるのを感じた。


「大丈夫。もう終わってっから動いていいぞ」


 金髪の男はそう言って、別の方向に向いて走り出していた。その方向には私以外の怪我人の姿がある。


「速いよね」


 眠たそうに大男は言った。


 処理できない情報が大量に押し寄せてくる。先ほどまで体を起こすことさえ叶わなかったのに、全身の痛みが引いているのが分かる。


 腕を見れば、そこには正常な皮膚があった。露出した肉も、突き出た骨もない。先ほどまで折れていたはずの腕は綺麗に治っていたのだ。


 恐る恐る腕に触れてみるが痛みもなければ違和感もない。そこにあったはずの怪我は綺麗さっぱり無くっていた。


 金髪の男は農場を奔走している。そして倒れている人に次々と剣先を当てていった。


 驚くべきことだった。倒れている人の中には膝から下がなくなっている人もいたが、剣先を当てられるとそれが見る見るうちに治っていくのが見えた。骨、肉、皮膚の順番に再生している。


 それをまるで流れ作業のように金髪の男は捌く。時間が惜しいとでも言うように、走りながら次々と怪我人に剣先を当てているのだ。


「大丈夫だ、お前ら。死ぬ気で治してやる!!だから俺が治すまで死ぬなよ!!」


 そう叫びながら、農場を走り続けている。


 右へ左へ、農場周辺を余すことなく練り走る金髪の男性。


「・・・」


「すごいよね、それ」


 隣を見れば、大男が私を見下ろしていた。私の千切れかけていた腕を見つめている。


 立ち上がり、視界の晴れた今なら分かる。このヒトは異様な容姿をしていた。


「僕、出来ないんだよね、ああいうの。治す・・・っていうのよくわかんないだ」


 まるで独り言のように大男は喋っていた。


 視界の晴れた今、私はゆっくりと男を見上げた。大男の身長は私の倍近くあった。


 その腕は私の胴よりも太く、その拳は私の頭より大きい。人外じみた体躯を持っている。


 半端ではない巨体。このような体や種族を私は見たことがなかった。


 そして男の頭に2本の触覚のような物が生えていた。鳥の羽を思わせる突出物が、頭の前頭部から後方に伸びているのだ。


 極めつけは大男の体は頭の先から爪の先まで真っ白だ。異様なほど白く、異様なほど恐ろしい。鬼や怪物を想起させる、驚異的な見た目をしているのだ。


 思わず私は息をのむ。鋼質有機体とはまた違った恐ろしさを感じ取っていた。

 恐怖の根源である大男。その見た目は、噂に聞く天使の姿を想起させた。


 体が震える。私はこの人間に恐怖しているのだ。


「あなたが・・・」


「うん?」


「あなたが・・・天使なんですか?」

 そう聞いた。


 鋼質有機体を鉄の延べ棒一本で破壊し、人外的な体躯を持っている。


 私の想像すらも超えている姿と力だった。

 奇跡・・・そう考え、これが神の正体だと思い込んだ。


 自分の中での答えが次第に固まっていく・・・が、しかし。


「違うよ」

 それはあっさりと否定された。


 大男は素早く頭を横に振る。恐れ多いと言わんばかりに、首を大きく左右に動かす。


 そして悲しい顔をした。何かを憂いているような哀愁漂う顔だった。どことなく「ぴえん」という擬音が似合いそうな顔である。


「天使さんは僕じゃないよ。僕はマゴロク、ただのマゴロクだよ」


 そう大男は語る。この人は『天の使い』ではなかったようだ。


 しかし「天使さんは違う」と言った。まるで天使と知人かのように喋っている。


「マゴロク・・・さん、ですか。ありがとうございます。助けてくれて」


「さん、は付けなくてもいいよ。僕まだ15だし」


 まさかの年下だった。なんとも信じ難い事実である。


「私の名前はレノです。本当にありがとうございます」


「レノ・・・レノさん。ごめんなさい。僕すぐに忘れちゃうんだ、そういう名前とか記号みたいなの。僕はたくさんいるから大丈夫なんだけど、そういうのを暗記するのは下手というか、難しい。だから忘れてたら、ごめんね」


 マゴロクさんはそう言った。マゴロクさんとは目線は合わない、会話している最中でもマゴロクさんは目線を上に向けていた、何かを警戒するように。


 「忘れる」「たくさんいる」とはどういうことだろうか?


「そうだぜ姉ちゃん。マゴロクの物覚えの悪さを軽んじちゃいけねぇ」


 後ろから、そう私たちに語りかける人がいた。


 振り向くと、そこには私の腕を治してくれた金髪の男性と、先ほどまで倒れていた集落のみんなの姿があった。


「マゴロクは特殊なんだ。あんまり突っかかってやるなよ姉ちゃん」


 金髪の男性はそう言った。


 後ろに佇んでいる集落のみんなは全員が泣いていた。見れば農場の土の上で治されていない人たちの姿があった。


 すでに死んでいる、そう一目見ただけで分かる損壊をしている。そんな死体が何体も土の上で眠っているのだ。


 燃える集落で亡くなった人を含めて考えると、死体の数に比べての生存者の数は圧倒的に少なかった。


「さすがに死人は修復出来ねぇ」


 金髪の男性はそう語ると、後ろを振り返って集落の人達に目を向けた。


「泣いてる暇はねぇぞ!!まだ戦いは終わってねぇ!!敵から完全に逃げるまでは、しっかり俺たちの言うことを聞け!!」


 胸を叩き、そう男性は猛々しく叫んだ。

 

「マゴロク、どうだ?」


「・・・来てる」

マゴロクさんが目を見開き、集落の方向を見た。


 地面が揺れている。その揺れの正体を私たちは知っていた。


 空から落ちてきたのは3体の鋼質有機体である。


 マゴロクさんの目線の先、燃える集落の中から2体の鋼質有機体が顔を出した。


「あああぁぁっぁぁぁぁあ、来た、来たっ!!」


 悲鳴をあげた。誰か一人のものではない、集落にいた人たちの誰もが泣き叫ぶように声を喉から絞り出した。


 農場にいる私たちは一種の恐慌状態に陥った。鋼質有機体、その恐怖はその死骸を見るだけでは止むことはない。


「うるせえ!!黙れ!!」


 金髪の男性は一喝した。その鋭い怒号に刺されるようにして叫び声が止まる。涙を堪えるみんな嗚咽だけが漏れた。


 周りの喧騒など無いかのように、マゴロクさんだけは静かに鋼質有機体を見つめている。


「静かにしてろ、マゴロクが守ってくれる。どちらにしても騒いでどうかなる相手じゃねぇんだ。逃げてもいいが、マゴロクの邪魔だけはすんな」


 冷静に金髪の男性は言った。


 燃え盛る炎、恐慌状態のみんな、迫る鋼質有機体。それを前にして、動じずに男性は立っている。


 集落のみんなは黙って思案している。殺された鋼質有機体の死骸とマゴロクさんを交互に見合わせ、そして観念したように、泣くのをやめて大人しくなった。


「いけそうか?マゴロク」


「・・・うん」

 マゴロクさんは首を縦に振る。


 その時だった。


「あ・・・」


 マゴロクさんの背が微かに震えた。

肩に担いでいる大剣を降ろし、前へと構える。


「どうした?」


「ちょっとまずいかも・・・」


「あ?」


 二人に緊張が走る。

 燃える集落にいる鋼質有機体。それが異変の原因だった。


 近付いてくる2体の鋼質有機体。そのバケモノの足が止まった。

 そして2体が、示し合わしたように足を上げた。


「何あれ・・・」


 奇妙な動作だった。

 それは鋼質有機体に何度も襲われたことのある私たちでさえ見たことがない光景。


 集落を追われ、家族を殺され、ただ搾取される側である人間では見ることすら叶わないもの。

 鋼質有機体をよく知っている。その自負は簡単に覆される。


 2体の鋼質有機体は遠くで並んで立っている。燃え盛る集落の中、火の粉など気にもせず。


 鋼質有機体たちは、それぞれが隣合う鋼質有機体に向かって足を上げ、隣にいる鋼質有機体と足をくっつけあった。


 それは人間でいう握手に似ている。隣同士で鋼質有機体が足が接着している。


 そして、それが始まった。


 シュルシュルと音を立てて、鋼質有機体の体から太い縄のようなものが出てきて、その縄が繋いである足と足の表面を走り、隣の鋼質有機体へと伸びていった。

 お互いの体から出た縄が、お互いの体に入り込む。


 虫の交配、それに近い。

 何をしているのか最初は分からなかった。しかし、その行動の真意はすぐに分かる。


 鋼質有機体の体から出た縄が、互いの体に入り終わると、それぞれの外殻が変形し始める。


 互いの外殻が分離しながら繋がっていく。パズルを当てはめていくように、外殻が融合を始める。


 外殻だけではない、内臓や、腹についている鋼具すらも互いに組み合わさっていく。

 溶け合うように、2体の鋼質有機体は混ざり合い1体の何かに変形しつつあった。


 進化だった。


 人が何かを学ぶように、動物がより優れた子を生み出すように。

 環境に合わせて、自分の身体を変形させているのだ。


 生物としての形質を変化させ、自分の求める道へと進んでいる

 鋼質有機体は進化しているのだ。


 いや・・・それとも、もともと一個体だった物の分裂した姿が、あの巨虫だとでもいうのだろうか?


 自分の考えの及ばない現象。悩んでいる私たちを嘲笑うかのように鋼質有機体の変形は終わり、一つの新しい生物が生まれていた。


 そこには巨獣が立っていた。


 2体の鋼質有機体は、1体の怪物に生まれ変わった。

 燃え盛る集落。そこには巨大な虫の姿はなく。四足歩行の巨大な獣がいた。

 燃える火の粉に彩られ、1体の鋼造りの巨獣がこちらに視線を落としている。

 絶望は、さらなる絶望へと化けてきた。


 その巨獣を見据えて、二人は声を掛け合った。


「ふざけんなよ・・・こんな形、見たことねぇよ」


金髪の男性が唸る。


「ワンさん・・・」

マゴロクさんの声もどこか弱々しい。


「どうしよう・・・」

背筋を凍らせる。冷えた空気が場を流れた。


「集落の人間守りながら戦う、ってのは無理だ。戦い方を変えるぞ」


 深くため息を吐き、金髪の男性はマゴロクさんと目を合わせた。


「最悪・・・お前は死んでも大丈夫だ。俺が支援する。二人でやるしかねぇ」


 その言葉にマゴロクさんは頷いた。「お前は死んでも大丈夫」そう言われてるのにも関わらず。


金髪の男性は後ろに振り向いた。


「前言撤回だ。お前ら・・・俺らが足止めする内に逃げな。あいつらは戦っている最中なら追ってこねぇ」


 短く言い切ると、すぐに剣を鞘から引き抜いた。

 二人は臨戦態勢に入る。


 一体の鋼質有機体を容易く葬ったマゴロクさん。その人を前にしても、強敵然とした風格をもつ巨獣がいる。


 強者と強者の命の取り合い。それが行われる。


 命を落としかけ、そして拾ってもらい、そして再度落としかけている自分がいる。


 あの巨獣。あれが鋼質有機体の本来の姿なのだろうか・・・それとも・・・。


私が脅威としている巨虫、それを脅威として見なさなかったマゴロクさん。そのマゴロクさんが脅威とみなす存在、それに成長を遂げた鋼質有機体。


 自分の心の内から不安が込み上げているのが分かる。自分の想像もつかないような力。そのぶつかり合いが、今から始まろうとしてた。


 集落にいるみんなは誰も逃げ出そうしない。マゴロクさんの力を信じているのか、逃げても無駄だと悟ったのか。誰も背を向けて走ろうとしない。


 私たちは、ただ、この戦いに身を任せるしかなかった。


「行くか・・・」

「うん」


 後ろにいる人たちが誰も逃げないことを見て、諦めたように金髪の男性は前を見た。

 獣と狩人、両者の視線が交差する。

 剣を構える二人。戦いの火蓋が切られ。両者が一歩、踏み出そうとした・・・時だった。


 鋼質有機体がズレた。空間ごと、鋼質有機体が真っ二つに分かれた。


 そういう風に見えたのだ。

 

 鋼質有機体だけではない、周りにあった建物、燃え上がる炎。それが全て、同時に切れたのだ。


 そして最初、それが鋼質有機体の攻撃だと思い、目を瞑り身構えた。


 腕で頭を庇いながら、衝撃に備える・・・。


 しかし、いつになっても攻撃はこない。そして剣を構えた二人も走り出さず、分断された巨獣を唖然とした表情で見つめている。


 鋼質有機体の巨獣が分離したのを見て、両雄は顔を見合わせた。両者ともに驚いているようだった。


「・・・え?」


「おいおい、ここに来るなんて聞いてないぞ」


「やっぱり!」


 マゴロクさんは声を弾ませた。


 遠くに立っていたはずの巨獣は左右に分かれたまま、ぴくりとも動いていない。巨獣の頭から尾にかけて、寸分の誤差もなく両断されている。切断面はヤスリと布で磨き上げたように滑らかで、凹凸した部分などなかった。


 そして、両断されたことを今分かったように、巨獣の内臓がこぼれ、大きな体を地面にひれ伏した。


 先ほどマゴロクさんが分断した巨虫のように、それはただの死骸であった。


「天使さんが来たんだ!!」

 マゴロクさんは飛び跳ねるように言った。嬉々とした声を弾ませながら、はしゃいでいる。


 天使が来る。集落から、天使が向かって来ているのだった。

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