第2話 プロローグ-②

 声にならない声が集落全体から聞こえている。


 逃げ遅れたのだろう、バケモノが踏み潰している家の中から絶叫が漏れ出ていた。


 地獄。それはまさに地獄と評される情景だった。


 声がする方向に向かってバケモノが火を吹いた。より一層叫び声が強まっていく。

 女子供も関係なく、人々は建物と一緒に潰され、焼かれ、かき混ぜられていく。


 人があんな声を出せるのだと知ってから三ヶ月が経つが、その声を聞いて身の毛もよだつような思いをするのは今も変わりがない。


 人の集落にやってきた3匹の鋼質有機体。

 たった3匹のバケモノに、私たちは何の抵抗も出来ずに殺戮を受けていた。


 私たちの抵抗など意味も持たなかった。逃げること、隠れること、それしか許されない状況だった。


 逃げるという選択肢を選んでも、逃げることなど叶わないだろうと思った。


 足となる馬は持っていない。馬車もこの集落にはないし、あったとしても他の誰かが乗ってしまっているだろう。


 この緊急事態を言い訳にして他人の馬を盗もうとも思ったが、馬がこの状況で正気を保って走ってくれるとは思わない。


「PIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPI」


 鋼質有機体が唸りを上げた。


 それと同時に爆炎と衝撃波が宙空を走る。


 鋼質有機体の周りにいた人は、その衝撃波で体が四散する。空を飛んだ人肉が空中で分解して、辺りに撒き散らされる。


「逃げろ!」


「火の手がないところを探せ!」


「すぐに山を降りろ!」

 辺りから避難の指示が出る。


 高台から指示を出していた人は、鋼質有機体が放った熱波に当たり木っ端微塵に散乱する。


 左右から火の手が迫る。鋼質有機体は念入りに建物をかき混ぜ、そこに火をつけた。その燃えあがり方は凄まじかった。


 飛び込めるような井戸はない。たとえ井戸に飛び込んだとしても、生き残れるとは思わない。


 井戸の中も徹底して攻撃を受けるからだ。井戸の中に飛び込んで死んでいった農夫を直に目の当たりにしたことがある。


 燃え盛る集落。やまない攻撃音。反響する衝撃波。暴力をばら撒き続ける鋼質有機体。


 そんな地獄の中で一つの希望が見えた。炎上する集落の中でまだ火の手が迫っていない場所があったのだ。


 耕された地面が見える。農場だった。まだ燃えるほど作物は育っていない、私はそこを目掛けて走り出した。


 後ろを振り返ると、チリチリと火花が建物から舞っている。

 泣き叫ぶ子供、動けないでいる老人。それを追う鋼質有機体。


 人って何なんだろう?鋼質有機体って何なんだろう?私が走る意味などあるのだろうか?そんなことを考えてしまう。

 まるで人が憎たらしいかのように。鋼質有機体は、その攻撃をやめようとはしない。


 巨大な虫。

 鋼質有機体はそのような姿をしていた。


 巨大な羽の付いた胴体。六本の節足で地面を這い。燃えるような複眼で世界を見つめている。這っていてもその身の丈は人の数倍はあった。


 大砲による攻撃でさえ傷が付かない外骨格に身を包み。この大陸を火の海に変えた人類の上位種。


 大陸は鋼質有機体に侵略を受けていた。

 国という国は滅ぼされ、人という人は殺戮を受けた。


 侵略を受けてから早6ヶ月。人間という存在は風前の燈のようにも思えた。


 「なんで・・・こんなことに・・・」

 私自身、平和を求めてこの地にやってきたのだ。この城砦はまだ安全だと聞いて、わざわざ遠方からやって来たのに・・・。


 唇を噛み締めた。悲しくて悔しくて涙が出てくる。


 もう人の住める地区は存在しないのか?もう人は死ぬしかないのか?もう人は殺されるしかないのか?


 死の間際、走馬灯を追うように疑問が頭をよぎる。

 もう生きる希望は残されていないのか?


 地鳴りのような衝撃が街をかける。


「ぎゃあッ!」


 叫び声をあげた。ただでさえ恐怖で体が上手く動かせないのに、さらなる恐怖が私を包む。

 私は頭を抱えてその場で座り込んでしまった。


 鋼質有機体の攻撃だ。大砲が近場で着弾したかのような振動があたりに飛散する。


 鋼質有機体は、こんなワケの分からない攻撃手段をいくつも持っていた。


 私たちでは理解することすら難しいその力は、魔法と呼ぶのが相応しかった。


 鋼質有機体。

 どこからやって来たのか?何が目的なのか?どうして人を攻撃するのか?


 それを説明できる人間はいなかった。

 ただただ理不尽な力を振るっているバケモノ達。

 

「くそ・・・くそ・・・」

 泣くまいと思っているのに、自然と頬に涙が流れる。

 震える足を叩いた。膠着する手足を奮い立たせた。


「・・・動かない・・・と」

 動かなければ逃げられない。逃げなければ死んでしまう。


 まだ、私は・・・。

「死にたくない・・・」


 三ヶ月前までは普通だった。村も、家族も、私も。何も問題なく暮らしていた。


 三ヶ月前まで農村で暮らしていた。朝は集会所でパンを焼いて。昼は織り機を使って布を作って。夜は刺繍をして暮らしていた。


 たまにやってくる休みの日は父に連れられて街に行き、街で開かれる即売市で刺繍や布を売って、帰りに蜜菓子を買ってもらった。


 父、母、兄、妹。全員とそれなりに仲が良かった。不満なんかもあったけど、今考えればあまりに贅沢な願いだったのだろう。


 好きな人もいたし、交際関係にもあった。隣街に住んでいる鉄の精錬所の若旦那だった。正直自分には過ぎた相手だったと思う。


 これが私達の暮らしだった。

 好きとか嫌いとか、そんな感慨すら浮かばない。恵まれていることに実感すらできない自分にとって自然な場所。


 そこが日常であり、居場所だった・・・はずなのに。

 

 そして三ヶ月前。

 唐突な終末が日常を消し去った。


 それは流れ星のように私の農村に降ってきた。

 二体の鋼質有機体。それによって村は消え去った。建物は押し潰されて、人も物も土の中で息絶えた。


 村が潰された。

破壊という破壊を受けて、集落という形はなくなった。

 人という人は建物と一緒に土と混ぜられ埋められた。

 私たちが暮らしてきた跡。築き上げてきた文化はその時姿を消したのだ。


 家にいた母と妹は家と一緒に潰された。村の外に出てた兄と父は今でも消息がつかめていない。私は井戸へ水を汲みに出掛けていたから、その異変に気づいてその場から逃げることは出来たが。


 自分だけが生き残ってしまったという思いに何度も苦しめられることになる。


運よくバケモノも追ってこなかったため、自分だけは生き残ることが出来た。

 馬や馬車はない。お守りだけを身につけて、着るものさえ満足にいかないまま私は隣の街へと向かった。

 恋人に助けを求めて隣町へ向かって歩き出した。


「・・・うそ」

 隣町に着いた時、そういった言葉しか出てこなかった。

 結果から言えばそこには何も無かった。何もかもが無くなっていた。

 恋人が営んでいた精錬所も、店も、家も。

 全てが破壊を受けていた。建造物が破壊され、燃やされ、土の中に埋まっていた。全てが破壊された後だった。


 天変地異。およそ人間には太刀打ちできない脅威。

 人類の上位種、鋼質有機体の出現によってこの大陸は一変してしまった。

 世界の終焉がやって来たのだ。


 一人ぼっちになった私は避難地に向かった。

 山で一人になっていたところ、街路に人の動きがあったの見て、そこに合流した。

 そこで出会った人たちは避難場所に向かっていたのだ。

 

 そこにあった避難所は数週間後に鋼質有機体によって破壊された。

 また逃げて、逃げた場所を破壊されて、また逃げた。

 何度も居場所を追われた。みんながみんなそうだった。

 誰もがこの争いに疲弊していった。


 避難先で牧師が言っていた。「これは天の采配なのです」と。

 神が終末を告げに来た。人が間違いを犯したためそれを正すためにやって来たのだと。

「バカか」と思ったし、その牧師に怒りを覚えた。

『みんなが死んだのは神の導きだ』とでも言うようだった。


「この裁きに身を任せなければいけません。私たちには不浄を浄化する責任がある」

 そう語っていた牧師は鋼質有機体の前足に踏み潰されて、あまりに呆気なく死んだ。最後まで神に祈りを唱えていたのを見ると、彼なりに本気だったんだろうと少しだけ感心した。

 もし鋼質有機体に殺されていなかったら私が殺していたところだった。

 それだけ牧師の言葉は鼻に付き、私の倫理観は崩壊しつつあった。


 食べ物がない、住居がない、外はバケモノがいる。

 みんなが正気じゃいられなかった。狂気に駆られる人は少なからずいた。

 先ほどの牧師も狂っていたのだ。バケモノを神の使いだと誤認するほどに。


 バケモノが闊歩する世界で、人と人との争いが激化した。

 人はさらなる安全を求めて、人と争うようになったのだ。食料を求めて、安全な住居を求めて人を襲うようになったのだ。

「身内が死ぬくらいなら、隣町の誰かに死んでもらう方がいい」そう考えるのが人の常だった。


 世界が壊れていくのを眺めながら、私は自分の持っている小刀を眺めた。皮で出来た鞘から刀身を引き抜くと、刃紋が脈打ち輝いているように見えた。

その小刀は恋人からもらったお守りだった。

 彼は「高名な工匠による業物だ」と言っていた。そんな高価な物をお守り代わりに私にくれたのだ。


(胡散くさい・・・)とは思ったが笑顔で受け取った。

「この刀は鋳造じゃなくて鍛造で作ってある逸品でね」と目を輝かせながら彼は語っていた。

(何言ってるか分からん・・・)とは思ったが、彼が嬉しそうに渡して来たので、私も嬉しくはあった。

 

 そんな小刀が私を正常に繋ぎ止めてくれている鎖のようなものだった。


 こんな戦争が起こる前の平和な日常。それを思い起こしてくれる過去の産物。この小刀を見ると過去の自分を思い出し、今いる狂気の世界にのめり込むのを救い出してくれる。


 自分が狂気に駆られないために不可欠な心の柱。

 

 小刀を眺めてくると自然と涙が出た。思い出していると何も考えずとも流れてくるのだ、あの平穏な日常を。

 この涙は自分が正常である証明のようにも思えた。人間性が欠如したら涙なんてもう出ないと思ったからだ。


 そんな日が続いた。


 「安全な場所がある」その言葉を半信半疑で聞き入れながら、この砦にやって来たが、結果は最悪以外の何物でもなかった。


 避難民として私は受け入れられたが、数日の安眠の後、またしても鋼質有機体が空から降って来た。

 砦に築かれた岩の防壁も、丸太で作られた建物も、何もかもが崩壊した。

 

 雄叫びのような悲鳴が集落を覆っていた。

 半年前では信じられなかったであろう、本当の人の絶叫。声の限り叫び続ける人間の恐怖。

 燃え盛る集落、崩壊する城壁、泣き叫ぶ人々、暴れ回るバケモノ。


 熱い。この場にいたら焼け死ぬ。

「生きないと・・・」

 まだ死ねない。まだ生きたい。


 狂っていたら出てこなかった言葉だった。自暴自棄になっていたら吐けない言葉だった。

 だから私は生きている。今もこれからも。

 行きたい理由が具体的にあるわけではない。しかし、死にたくない。死にたくないという気持ちだけが生きたいと思う理由だった。


「うぅぁ・・・」

 声を振り絞り、足に力を込めた。

 火の手が上がっていない農場に走り出す。何度だって逃げて来られたのだ。今度だって生き延びてみせる。


 燃える集落を後ろに、息が切らしながら走り切る。

 足が地面にめり込んだ。土の柔らかい感触。農場へと飛び出すことに成功した。

 燃える物のないこの場所では火の手が迫ることはなかった。

 あとは農場を抜けて、山を降ればいい。

 

 これから辿る逃走経路を考えていた時だった。

 自分の中に違和感を感じ取った。

 それは周りを見て確信に変わる。


「はぁ・・・はぁ・・・」

「みんな大丈夫か?」

「手当ては逃げた後でいい。今はとにかくここから離れるぞ」

「バケモノから距離をとれ!」


 周りに人が多く集まっていた。

 火の手から逃げて来たのだ。全員が火の気のないここを目指すに決まっている。

 集落の生き残りは全員がこの農場に集まっていた。


 人が集まりすぎだ。まずい・・・。

 瞬時にこの場の危機を察知したが、もう遅かった。

 空から流星が落ちる。


 爆音と共に、農場は吹き飛ばされた。土が波のように飛び上がり、煙が立ち込める。

 鋼質有機体が空から落ちて来たのだ。

 まるでここに人が集まるのを見越していたかのように。


 鋼質有機体が農場に飛来した衝撃で、私は農場の外に吹き飛んだ。ざらりとした地面の感触が頬を撫でる。全身の皮膚が痺れ、指一本動かせない。視界が擦れて、意識が朦朧とする。

 運よく直撃を免れたが、それでも体を激痛に襲われていた。


 腕が痛みで動かなかった。見ないでも分かる、もう折れていた。


「あっ・・・」


 恐る恐る、自分の体の被害を確認する。そして見たことを後悔した。

 自分の腕から骨が見えるのだ。折れた骨が肉を突き破って外へと出ていた。


「うぅぅぅ・・・」

 自分は運がいい方だと思っていた。

 今まで逃げてこれたのだから、今回も逃げれるだろうと思っていた。

 しかし、それは勘違いだったようだ。

 

(・・・あ・・・死ぬんだ・・・私)

 痛みが全身を駆け巡っているのに、ひどく冷静だった。

 思考が鋭く研ぎ澄まされている。余命の短さを哀れに思った神様がくれた贈り物のようだった。


(ここで・・・終わる)

 唐突なことではない。死んでいく人は周りにいくらでもいた。今度は自分の番ってだけだった。


 なんて顔をすればいいのか分からない。

 痛くて体も動かせない。


 鋼質有機体が倒れている人を足で踏み始めた。

 さっきの衝撃で倒れている人達。そんな瀕死となっている人々に確実な死がやってくる。


 瀕死となっていれば見逃されるなんてことはなかった。鋼質有機体に死んだふりは通用しない。


「・・・っ!」

 遺言すら残されず、倒れている人たちの体が踏み砕かれていった。

 一人、また一人と。鋼質有機体はその足を止めることはない。


 グシャリグシャリと熟れた果物のように。人の体が破裂していく。


 ゆっくりと、しかし着実に近づいてくる鋼質有機体というバケモノ。


 逃げ出すという選択肢はない。自分に残されたのは、ただ座して死を待つことだけだった。


 冷たい土の感触を頬に触れながら、私は鋼質有機体を見ていた。


(バケモノ・・・大きな虫のバケモノ)


 思考だけは鈍らずに出来ていた。それは残酷なようでもあった。自分が死ぬ感触も、恐怖も、鮮明にしながら自分は死ぬのだ。


(あぁ・・・ダメだ)

 倒れていた人の一人が起き上がり、鋼質有機体に背を向けて走り出す。


 その動きを察知した鋼質有機体は、腹の中から大砲を突き出した。鋼質有機体は腹の中に大砲を持っているのだ。人間が作るものより遥かに精巧で複雑な大砲を。


 ガガガガガッっと何重にも重なったような砲撃音が鳴る。

 鋼質有機体はその走り去る人間の背に向けて鉄屑を浴びせ、それに直撃した人は上半身と下半身が分離し、肉塊となって地面に倒れた。


(逃げてもダメ・・・)

 その時、爆裂音と共に鋼質有機体の体が揺れた。


 それは何度も見たことがある光景だった。砦の城壁から放たれた砲弾が直撃したのだ。


 誰かが打ったのだろう、大砲が鋼質有機体の体に直撃した。そんな攻撃はもう三ヶ月前に人類が何度も行っていることだった。

 

 大砲による榴弾の直撃。それは鋼質有機体にとって脅威とはならない。鋼質有機体の体はススで汚れ、少しだけへこんだ。


それで終わり。


 大砲による攻撃などなんの解決手段にもならなかった。

 

 鋼質有機体は自身に向けられた攻撃を受けきり、そして鉄屑によって反撃した。


 視界の後ろから人の悲鳴が聞こえる。悲鳴の主人は大砲を撃った人だろう。心優しい人だったと思う。踏み潰されていく人間を見捨てられないぐらいには。

 

(攻撃してもダメ・・・)


 あたりを確かめるような動きをした後、また鋼質有機体は動き始めた。

 自分の作業を思い出したように、人の体を踏み抜いていく。


(全部・・・ムダ・・・)


 何も成果をなさなかった。あのバケモノに対して有効なものは何もない。

毒も罠も効かない。真っ当な攻撃手段など一切受け付けず、隠れることすらままならない。

 

 人類は死滅する。遅かれ早かれ、これからの私のように。踏まれて、焼かれて、切り刻まれて殺されるのだ。


(いやだ・・・)


 死ぬのは嫌だ。だがここで終わってしまう。私という存在は死滅する。今までたくさん見てきた死体の一体になるのだ。

 過去を語ることも、未来を見ることも、もう出来ない。何を成すことの出来ない死骸と化す。


「やだ・・・」

 それが怖くてたまらない。もっと親身に宗教を学んでおけば良かったなと思う。

 死後の世界をもっと学んでいけば良かった。

 あのイカレた牧師のように、これを救いだと思うことが出来たら、こんなに苦しむこともなかっただろうに。


「やだよ・・・」


 父と兄の安否も確認できていない。恋人に返さなければいけないものがある。

 死にたくない。

 まだ、この世界を見ていたい。


 こちらがどれだけ願おうと執行者はゆっくりと近づいてくる。


 鋼質有機体が地面を踏むたびに地面が揺れ、頬に触れる砂利が肌に食い込む。


 何もない、自分にできることなど願うことしかないのだ。


「おねがい・・・」

 願えば死ぬことを避けられるのなら、どれだけ良かっただろうか・・・。

 鋼質有機体の足は止まらない。死ぬことは避けられない。


「・・・しにたくない」

 自分の番が来た。隣に倒れていた人は鋼質有機体の前足に潰された。


 次が自分だった。今から私は自分の内臓を外側に漏らしながら死ぬのだ。ただ残酷に、羽虫のように。


 やりたいこと、やらなければいけないこと。頭を駆け巡る過去。


 そして鋼質有機体は、こちらに振り向き。その前足を高く上げた。


 時間がゆっくりになるのを感じた。時間の進みが遅くなる。それは自分の死に合わせて集中したことによる錯覚のように思えた。


 最初は自分が集中しているからこそ、自分が見ている風景が遅くなっているのだと思った。

 実際に鋼質有機体は前足を振り上げたまま、止まってしまっている。それは自分の集中力がなした技だと思った。


 それが間違いだと感じたのは、鋼質有機体の頭が回転したからだった。どこかを見つめるように。まるで私に興味をなくしたかのように、その前足をゆっくりとおろした。


(なにが・・・どうなって?)

 その問いに答えるように、一人の人間が姿を現した。ゆらゆらと揺れるその姿は間違いなく人のものだった。


 その人物は大きな、あまりに大きな剣を担いで歩いていた。


 それ以上に、その人物の体は大きかった。

 並外れた太さの腕や脚をゆっくりと動かしている。


 そして幅が人の子供程もあるような剣を肩に担いでいた。一瞬それが何のなのか分からない程に剣は大きく、その剣が分相応だと感じてしまう程に、その人は大きかった。


「PIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPIPI・・・POPOPOPOPOPOPOPOPO」

 興味が出た。そう鋼質有機体は語っているようだった。


 白色の髪を持ち、白色の装飾に身を包んでいる。


 そんな大男が、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。


 それに意識を寄せるように、鋼質有機体は動き出した。


 鋼質有機体の後ろ脚が地面を蹴り上げ、わき目もふらさず男へと一直線に駆けた。


「PUPI➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖」


 鋼質有機体という高度な質量が、全速をもって男に突進していった。


 男は慌てない。まるで当然であるかのように身じろぎも見せず、平然と肩に担いでいた剣を構えた。


 一頭の獣が前のめりに走り出し。一人の狩人がそれを迎え撃つ。


 どちらの動き出しが早かったのかは分からない。


 それを目で追うことは不可能だった。


 遠目から見ていても、その姿を追えないほど二体の怪物は速かった。


 轟音が炸裂するのとともに、ただ結果だけが目に写った。


 大男の持っている大剣が、鋼質有機体を両断する。それだけが私の目に写っていた。


 剣・・・ではない。それはハンマーのように鋼質有機体に当たり、その衝撃で鋼質有機体の胴体は千切れた。剣のように切るのではなく、棍棒のように殴打する攻撃だった。しかし、その衝撃で鋼質有機体の体はいとも容易く裂ける。


 大剣は鋼質有機体の外殻にメリ込み、そのまま速度を変えずに直進し、外殻に守られていた臓物までも容易く引き裂いた。


 大男の放った一撃は、単に大剣を一振りしたにすぎない。


 質量と質量がただ無骨に衝突し合い、より強固な方が打ち勝つ形となった。


 膨大な質量をもつ鋼質有機体の半身が大剣に打たれた衝撃で、城壁の方へと吹き飛んだ。鋼質有機体の臓腑が空中に飛散する。


 轟音と共に上半身は城壁にぶつかり、残された半身は力無く地面に伏して、動かなくなった。それは私が初めて見た、バケモノが死ぬ瞬間だった。


 その大男は落ち着いていた。過度に喜ぶこともなく、ただ粛々と鋼質有機体の死骸を眺めている。まるで自分が成し遂げたことの重大性に気付いていないようだった。


 横たわる鋼質有機体の死骸。それが一切動かないことを確認すると、大男は死骸に興味を無くしたかのようにゆっくりと歩き始めた。


 人智を超えたバケモノは、人智を超えた人間に殺されたのだった。


 勝敗は呆気なく着いた。それが当然のことのように、白い大男は軽く息を吐く。


 ため息にも似た息を吐き終わると、ゆっくりと私の方へと近付いてきた。


 遠目では分からなかったが、こちらに近づくにつれてその男の大きさが尋常ではないことが分かった。


 静寂になった土地に、男の歩く音だけが響く。そして静かに大男は私のそばに立った。


「お姉さん、大丈夫?」


 この戦場に似つかわしくない、とても幼く、慈愛に満ちた声が私の耳に入る。


「大丈夫?」


 それが、この男性から発せられていると気付くのに多大な時間がかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る