第29話 帰国
ほどなくして倉田は帰国した。
シアターシティの家はMPSに売却を任す。
とにかく早く帰りたかった。
最後の日、ビルとジェシカが送ってくれた。
日本だと餞別にあたるのか?
ビルが封筒を別れに渡す。
MPSから5000 $の小切手が入っていた。
引っ越し費用かな?正直なにも感じない。
金額がどうこうでなく感情が乏しくなっていた。
マリーの誘いもそうだった。何も感じなかった。
そうか?誘ってくれたんだ?という程度。
人のまごころが自分に向けられてると感じない
他人事のように思えるのはけっこう重症だ。
倉田は帰っても帰国会見は開かなかった。
Kコーポレーションとして、宣伝はしなくても
これから日本映画界でやりますよという
意思表示をするものだと思っていた。
ただ極秘帰国という感じだった。
Kコーポレーションにもどっても
堀井が辞めた事もなにも言わない。
岡元は何か聞かれるのではないか?と
正直びくびくしていたがそれもない。
すべてにおいて倉田は無気力に思えた。
だが日本の芸能界はこの倉田の帰国を
いち早く嗅ぎつけて別の意味でとらえていた。
あらたなプロジェクトではないか?
日本を舞台に新しい映画か?
倉田の動きを探るため記者の取材依頼がひっきりなしだ。
岡元らが懸命に対応するが倉田はそれにどこ吹く風。
またふらりと旅行がしたいと言い出す始末。
岡元にすればアパレルのほうがけっこうな売れ行きなので
こうしたサブ的な商売で利益を上げたいと思っている。
そのためには倉田自身がやる気を出してくれないと
ハリウッドの神通力はいつまでも通用しない。
やはり新たな活動をしてもらわないと。
岡元は会社の未来を心配していた。
******
その男は気難しそうに見える。
分厚いメガネとたっぷり蓄えた髭のせいか?
小柄だが100キロ近い体躯の強面だ。
だが、今は旧友の訪問に相好を崩し
ドカッとディレクターチェアに沈む。
舞台俳優から身を起こし
今は演出家として活躍中の
ここは彼の経営する俳優養成所「DONCHO」
名前の由来は
昔は漢字表記だったが読めない人が多いので
ローマ字となった。
廃業した小さな会社の保養所を買い取って
俳優の養成所を開いて15年。
今まで何人ものスターを生み出し
彼自身劇団「季節」の演出家として腕をふるう。
大学2年の時、演劇部に入部。
今対面に座る倉田とは20年来の友であった。
倉田は帰国して確かめたい事があった。
マスコミは倉田が干された事は知らないみたいだ。
F・B財団の話はしないにしても
仕事が減った事は知られているかもしれない。
そのへんも茂本経由で探りを入れたかったのだ。
不器用なクマがもたもたしながらコーヒーを運ぶ。
「でもあれだな、ああやって世界のトップと
並んでも、こーちゃん自体は変わらないよな」
久しぶりにこーちゃんと呼ばれて
思わず泣きそうになる。
その感情の揺れを旧友は見逃さなかった。
アメリカでも何か辛い事があるんだろうな?
噂では1本のギャラが1億超えてるって聞くけど
オレ達にはわからない苦労があるのかもしれない。
茂本はそこを引き出したかった。
昔から泣き言は言わずに抑え込む男だ。
どんだけ辛くても周りに気づかい素振りも見せない。
それこそ、こいつは生まれつき役者かもな?
そんな事を思いながら話を続ける。
「こーちゃん次回作の企画はなんなの?」
「うん、いろいろ話はあんだけどさ
事務所のからみとかいろいろあるみたい」
「そうなんだ?でもお前急に帰ってきて
日本でも仕事するんだろ?」
「うん、岡がいろいろやってるみたいよ。
契約の関係で映画に出ることはないけど
すこしTVとかは出ると思うよ」
「日本でもやりゃあいいのに。
今はもう KOHEI KURATA だもん。
企画書も山ほど来るんじゃないか?
共演したい奴はいくらでも居るだろう?」
「いやいや、日本じゃオレは
あさってのこーちゃんさ」
「おいおい、タスカー俳優が何言ってんだ?」
笑いながら流したが茂本は薄々気づいていた。
倉田自身がやる気をなくしている事を。
在米中は電話やメールで連絡を取り合い
演技の話、映画界について熱く語り合った。
だが、アカデミック賞を取ったあと
なぜか?倉田はその活力を無くしたように見えた。
もしかしたら?燃え尽きたのかな?そんな風に見えた。
そんな矢先、突然の帰国に訪問。
以前ここに居た堀井元子も会社を辞めたというし
まさか?引退するつもりなのかな?
そんな風に茂本は考えていた。
すぐ帰るつもりが3時間ほどの滞在となった。
日本では倉田が干された噂は流れていない。
倉田はホッとした。
茂本とはなんでも話せる間柄ではあるが
すべてを話すのは嫌だった。
自分の不運を嘆いて泣き言を言ったり
誰かにぶちまけることをしない倉田だった。
「じゃあ、シゲちゃんまたな」
玄関で靴を履きながら見上げる頭上には
杉の板に描かれた「緞帳」の文字。
この養成所ができた頃の看板だ。
「この看板は永遠だな、シゲちゃん」
そう言う横顔に茂本は嫌な予感がした。
こいつ、まさか?
お別れに来たんじゃないだろうな?
電車で帰るという100万$スターの背中を見て
ふと、茂本はそんな事を思った。
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