第46話 天に平伏せ我が名を叫べ ③
創るべきは無色透明、匂いも触感もない物質、回避不可能の物質だった。
エサノアの創造能力は魔力消費が異常な分、効果も異常。魔力量が許す限り、その能力に限界はない。
創造物は『金属や生物』にとどまらず、『宙を歩く道具』や『減らない食べ物』、そして『特定の人物だけに害をなす物質』など、何でもアリの縦横無尽だ。
今回、エサノアの骨粉を摂取して能力を
しかし、本来の使い手でないアネスがこの複雑な物質を創造することは不可能に近かった。
アネスは通常の状態であればエサノアの能力を使いこなせない。それはひとえに『創造』という能力の計り知れない魔力消費が原因であり、克服するためには『全名開示』が必須だった。
その上、全名開示は媒介となる魔族一人につき一度きり。つまりゼナーユに一度フルネームを聞かせた場合、ゼナーユを媒介にした二度目の全名開示はできない。初耳であることが重要なのだ。
そう、この『イエルカの記憶を消す作戦』は練習不可能、ぶっつけ本番、アネス頼りの作戦だった。
本番とは戦場。悪魔より恐ろしいイエルカの前で、初めて使う能力を10分以内に理解し、複雑な物質を創り上げ、あのイエルカにぶつけなければならない。
あまりに綱渡りな、未知と危険にあふれた作戦だった。実際、キヴェールの指揮がなければ、変わり続ける戦況に対応できなかっただろう。その結果、アネスの物質の創造が完了したことを知ったキヴェールは一人でイエルカに挑み、命と引き換えに隙を作った。
そして今、戦いの終結がそこにある。
「キヴェールさん…………貴方という人は……」
アネスはクロスボウを下ろし、不敗の将に思いを
「カッコよすぎますよ、全く……」
広がる血肉とむせ返る死臭。それさえ勇ましく感じるほど、アネスは今後一生、輝き散った背中を忘れることはないだろう。彼のおかげで、前人未到の目的は達成されたのだ。
「っ…………!!」
突如として殴られたようにイエルカが膝をついた。
「こ……この……墓荒らしめ…………!!」
イエルカは髪がくしゃくしゃになるほど頭を強く掴み、怒ることすらできない苦悶の表情をしていた。
(……クソッ…………頭が………………意識が薄れる……………………!)
眠気のようなものがして考えることが困難になっていく。必死で
イエルカに知る由はないが、これは記憶が消える前兆である。
とはいえイエルカはこれが『死』ではないことを本能で察知していた。幾度となく味わった死に際の感覚とは違うからだ。
つまり、これが敵の持ってきた作戦、殺す以外の方法でイエルカを負かす策だということはわかっていた。
(だが…………これは……………………)
あまりに不可解だった。現実が消え失せ、夢にいる。
やってきた回復の波は彼女の目蓋を上げ、しばしの苦しみを終わらせる。
「………………」
イエルカは顔を上げて辺りを見回した後、アネスを見て驚いた目をした。
すると、絞り出した力でアネスに近づく。一歩ずつ、血肉を踏み越え、ゆっくりと歩み寄っていった。
「……!」
アネスが一歩も動けなかったのは、その時のイエルカの彼女らしからぬ、純情を帯びた顔と一挙一動に
まるで絵に描いた乙女のような、
「あぁ…………ランヌ………………」
そこにいるのはイエルカなのか。何もかもを傷つけたくなくて、アネスは息を呑む。
指先がアネスの頬に触れそうになった時、視界の外から横槍が入る。
イエルカが伸ばした手をグリフトフが掴んで放り投げた。
「最後まで気ぃ抜くな」
グリフトフの声でアネスは我に返り、ぎこちない返事をする。
「あ……はい……」
よく見れば周囲も落ち着いているようだった。放られたイエルカは床の上で動かなくなり、死体と樹木魔法は既に停止している。
「テメーは怪我人の回復してこい。こないだ教えたやつな。死人は後回しだぞ」
縄でイエルカを縛り始めたグリフトフにそう言われ、アネスは一人で後処理に向かう。
豪華絢爛な晩餐会の会場は血の裏に隠れた。この惨状をどう収めるかも悩ましいものだ。
「っ…………」
腸からこぼれた汚物の臭いが鼻を突く。こういうのは慣れているはずだったのに、何故か今は胃がひっくり返りそうだ。
敵の死体どもをかき分け、仲間の生死を確認する。
手足が血に塗れ、爪の間によくわからないドロッとした液体が入り込んでくる。
結局、三人ほど見つけたが全員死んでいた。敵があんなのだったせいか、かなり念入りに殺されていた。
生き残ったのは8人。よく耐えたほうだろう。
「アネス」
床に座り込んだ
「ちょっち、肩貸してくれや」
「ええ」
アネスは男の体を支える。傷が塞がっても疲れが消えるわけではない。
休憩できるような空いた場所へ2人でとぼとぼ歩いていく。足の踏み場もないが、外套の男は呆れて笑っていた。
「しっかし、想像の百倍はひでーや」
「……すいません、私がもっと早ければ」
「言うなそんなこと。つまんねー言葉だ。俺たちとしちゃあ、少々の金とコネと、騎士王の命、この3つが貰えりゃ大勝利なんだからよ」
「……」
アネスはふと思い出す。
「ところで、ゼナーユは?」
「さあな。剣で刺されてたし、死んでるだろ」
男は長卓の上のパンの中から汚れの無いものを取ると、アネスが若干引いてるのを横目にパンをかじる。
「……んだよ、いーだろ。俺が食わなきゃ腐るだけだ」
むしゃり、と音がする。パンにしては湿り気のある音だった。
「……」
アネスは足を止める。
「……」
彼が無意識のうちに臨戦態勢に入ろうとしたのは、足下に転がっていた指が茶褐色でシワのある、自らが師匠と呼ぶ者の指だと理解したからだ。
右奥を見ると、会場の真ん中で血が飛んでいた。その近くではグリフトフが体勢を崩しており、さらにもう一人、誰かがいる。
そいつに焦点を合わせた時、アネスは固まった。
なんと、あろうことか、あの女が、向こうで確かに、二つの足で立っている。
闇が光を取り戻したのだ。
「…………な……何だと…………」
アネスは一瞬、自分の創造した毒ガスが失敗したのかと考えたが、それは間違いだ。
なぜなら彼女の頭には一本の剣が突き刺さっているからだ。
それは彼女の一生で一度きりの『切り札』。即席のリセット方法。一度やってしまえば、もう二度と自分の力で自分を貫けない。
(そうか、アイツ……!)
アネスの額に汗が
(今まで自殺をしたことがないのか……!!)
おかしな話だ。殺してはならない敵が、敵自身に殺された。彼女の中の生存本能が、残された意識を使って自らを殺したのだ。
殺さなかった事が裏目に出たと言えよう。そもそも二度と目覚めないような『封印』ではなく、『記憶消去』という手段を選んだのはキヴェールだった。それは騎士王という最強が人類にとって必要不可欠であり、戦争に勝つためには彼女を再教育して従順な性格にすることが最善だからである。
その選択がイエルカをのさばらせたのだ。
「くっ……ふふっ……!!!」
真っ赤に染まった顔面はひどく邪悪で、
タガが外れたのか記憶喪失の後遺症なのか、その様は
有無を言わせる精神状態にあらず、イエルカが笑い終わりに吐いた少しの息がスタートの合図だった。
「よけろッ!!!」
外套の男がアネスの前に立ち、
正直アネスには何が起きているのか見えなかったが、足から感じる地響きと耳に入る轟音から、高波のようなものだと認識した。
その攻撃は防護盾を破壊し、男の首もとを貫き、アネスの右耳を半分ほど吹き飛ばしてから止まった。
視界には鋭く力強い樹木しかない。会場のほぼ全て、床から天井に至るまでが
悲鳴すら響かず、外套の男は死んだ。他の生存者も軒並みやられたらしい。
「っ…………」
周囲は木々で埋まり、手足も首根っこも捕らえられたような緊迫感でアネスは息ができなかった。
実際、余力で伸びてきた樹木がアネスを囲い込もうとしていた。
「やあ、アネス」
イエルカは頭の剣を抜き取り、アネスを見つめる。
「私の頭をいじくったんだろうが、惜しかったなぁ。いやホント、見上げたものだよ。かつてのエサノアもそうやって、誰にも扱えない武器を作っていた。控えるようには言っていたんだ……なるべく魔力は節約しろとな。アイツが能力を使った後はいつも、周囲の魔力が凍えるように薄かった」
血走った
「……」
アネスの背筋に冷たいものが走る。
「わかるか? もはや今の私は、本能で君を殺したがっている」
ここまで
今の状況からイエルカに勝つということは、海へと落ちた一粒の砂を探すようなもの。流れに揺られ、目で捉えられない小さなチャンスだ。
「知るかよ…………そんなこと…………!」
それでもアネスの意思は変わらない。ただ一つ加わったことと言えば、明確にギラつく復讐心である。
アネスは自身に近づく樹木を掴み、怒り任せにへし折った。そして荒々しくも冷静に前進していく。
「こっちはなぁ、勝つしかないんだよ!!」
今度こそ、勝つか死ぬかの最終ラウンドだ。
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