第45話 天に平伏せ我が名を叫べ ②
こもった足音が聞こえる。晩餐会の会場の外で大人数が動いているようだ。
その異変を察知した者はごく
「防護壁はまだか!」
キヴェールが振り向き様に声を荒らげるのと、会場内に数十人の敵が
そいつらはウェイターやシェフ、衛兵の死体。客人とは異なり、各々の武器を手にした屍の群れだ。
死体たちは基本的に停止することはない。脚を切ろうが頭を飛ばそうが、片手だけでも向かってくる。それに有象無象ではなく、確かな隊列や武器の扱い方を持って。
「お、おかしいっ! こんな数の人間を操れるわけがないッ!」
「クソぉ! いくら切っても死なないぞ!」
「誰か!! 補助魔法が切れそうだ!」
一部の兵士はパニックに陥っていた。戦場においてそういう微々たる歪みは、すぐにヒビになってしまう。
案の定、一人の兵士の首がかっ切られ、そこに死体たちが群がってくる。
「うぎゃあああああ!」
キヴェールたちの奮闘敵わず、苛烈な物量に押し切られ、ついに方陣に穴があいた。
壁が決壊して水が侵入してくるように、四角の一辺がわかりやすく崩壊している。
そして侵入してくる死体たちの奥、ぱっくりと開けた道の奥に、イエルカが立っていた。
「はははっ、いやはや、切り込む瞬間は見てて飽きないなぁ」
「キヴェール、君はどうだ? 子守りに命を賭ける事は君の趣味か?」
イエルカは挑発的な身振りを繰り返す。
「まあそれも素晴らしい事だ。死にゆく自分を誇れるぞ。ただ一つ悔いるのなら、次の戦いに必要なのはアネスではなく君だったのにな、キヴェール」
その時、イエルカの前を一つの死体が吹っ飛んでいった。
「貴様の悪趣味に付き合う暇はない!」
しかし無謀か当然か、イエルカの目を狙った剣は、閉じた
この皮膚の硬さはキヴェールも承知している。だから闇雲に攻撃してはならない。おそらく刃が通るのは、眼球のみ。
一方、敵が攻勢に移った時のイエルカのやりたい事は決まっている。あえて死体や樹木魔法を他へ向け、目の前の敵を一対一でブチ殺す。それだけ。
死体の群れが暴れ回る渦中、イエルカは剣を握り、うねるように体勢を変えた。
「ならばお悔やみ申し上げる」
イエルカの剣の刺突をキヴェールは背中を反らして回避し、続いて薙ぎ払われた剣を屈んで回避する。
さらに噛みつくように襲ってくる剣を、イエルカの腕を掴んで止め、キヴェールは逆手で持った仕込み杖で目を狙う。
「!」
ガンッ!、という金属音とともに頭突きで弾かれた。
その後も一発、二発、三発と仕掛けるキヴェールの刃は全てイエルカの素手に防がれる。
(この戦いに勝機はあらず……だが)
キヴェールは腹を
(それでいい……それでいいのだ。私がやるべきは……あの男を、未来を繋ぐこと……!)
なおも果敢に立ち向かうのは、一世一代の勝利の為。
(有終の美を見せつけるべし!)
息もつかせぬ攻防の中、キヴェールが仕込み杖を振りかぶった瞬間、イエルカの一撃が勝負を終わらせた。
極限の脱力から刹那の発散。狂ったほどの無音。
剣は過ぎ去る風の如く、下から上へ、正中線をズレることなく、身体を真っ二つに。
キヴェールの血肉が糸を引き、右と左に割れていく。その隙間から徐々に覗くのは、キヴェールの後方に位置するあの男の顔。
何分ぶりかのアネス・リヒューバー。彼は奇怪な見た目のクロスボウで狙いを定め、イエルカのほうを睨んでいた。
「……」
驚く間もなく、張っていたクロスボウの弦が動いた。
イエルカは剣で即座に反応する。飛んできた物体に合わせ、それの軌道上に剣を置いたのだ。
その違和感に、イエルカは目を見開いた。
(斬った感触がない……何も撃たなかったのか……? だが、この冷たさは…………)
単に空振ったのだが、矢を食らった感覚もない。あるのは一つ。体の中に混ざり込んでくる冷感。
何てことだろう。イエルカはこの冷感に覚えがあった。しまっていた記憶に答えがあった。
頭の中が明瞭になるに従い、表情に怒りと焦りと笑みが浮き上がる。
(やりやがったな、アネス!!)
表皮の裏に伝わるのは魔力の濃度。人によって温度や粘度にも感じられるそれは、ある特徴的な様子を示していた。
*
ある日の、もっと言えば一週間前の、アネスとキヴェールの暗躍に話を変えよう。
「私がいたら殺されますよ、これ」
「怯えているから怪しまれるのだ。胸を張れ。当たり前の顔をしていれば勘ぐられることもない」
「いやでも……ここはさすがに……」
「いつになく弱気じゃないかね」
「そりゃそうでしょ……こんな経験ないですし。反政府派の人に襲われたら困りますよ。キヴェールさんだって、仲間ではないんでしょ?」
ここは王都近郊にある反政府軍の拠点の一室。
ひっそりと活動しているので薄暗いし薄汚い、土の匂いもする、木造りで無骨な建物だ。
「でもそれぐらいの野蛮人じゃないとさ、騎士王に挑めないんじゃないかな~」
突然、ソファに座るアネスの後ろから、頭上を覆うように何者かが現れる。逆さの顔と目があって、次に肌が赤いことに気づく。
「ねっ?」
二本角、尖り耳、2メートル超の魔族。
魔王の娘。その名は確か、ゼナーユだ。
「やっ、久しぶり! ちょっと筋肉ついた?」
アネスをベタベタと触るゼナーユは、あのペルフェリアでの惨劇がなかったかのようにけろっとしていた。
しかも反政府軍の拠点にいるとは……アネスには意味がわからない。
「な……何でお前が……!?」
「うーん、避難ってとこかな。他に行くとこないし。別にスパイでも反政府派でもないから、安心しなよ」
安心できるわけがない。いくらあんな事があったとはいえゼナーユは魔族だ。
落ち着けないアネスは平気そうなキヴェールに視線を送ると、
「その女は最近、反政府派に取り入った魔族でな。全名開示を使うための都合のいい役に納まっている」
淡々とした解説が通り過ぎていった。
「あぁ……そういう……」
全名開示は魔族が聞いていないと発動できない。
しかし魔族である魔王軍と戦う人間軍とは異なり、反政府軍は人間軍と戦う。そのため、全名開示という技術が使えないのだ。
「正直、人間の近くにいるとゲロ吐きそうだけどさ、実の父親に殺されるよりはマシだよね~」
ゼナーユが喜劇のように茶化し続けるものだから、アネスは半ば無理やり飲み込む。
「じゃあ、君が協力してくれると?」
「そーゆーこと。パパを止める手助けになるのなら、少しだけね」
ムードも何もなく、予想外の場所から味方が加わった。まあ微塵も知らない魔族よりかは、まだ少し信頼できるかな、と思ったアネスであった。
その後、ゼナーユに続き、
「お二人とも、会えて光栄です。それでは早速、穏やかな話し合いを始めましょう」
ここにいる者たちは『
何故このような人選になったのかと言うと、イエルカに悟られないために人間軍に近しい人物を避け、キヴェールが老齢ゆえに持っていた不穏なコネを使ったからである。
しかし魔王軍ほどではないにせよ、反政府軍も長年の敵だ。なんとも不安定。互いに互いを信頼しきれないのは実力の代償か。
まずキヴェールが全員に伝える。
「先に私から、イエルカという女の能力について説明しておこう」
実はあまり知られていない、騎士王の力について。
「奴の能力はまさに『進化』。殺されれば殺されるほど肉体を変質させ、死因を克服し、際限なく生き返る。刃を、炎を、毒を、全てを乗り越え、敵の前に立ちはだかる」
後出しで耐性を得る、ある種の万能で、ある種の不死身。この能力によってイエルカは切れない皮膚や燃えない体を手に入れ、寝食不要となった。それこそが『進化の騎士』のイエルカである。
そうなると、必然的に疑問が出てくる。
「そんな人に勝てる道理があるのですか?」
と外套の男が聞く。
「ない。肉体的な死は与えられない」
拍子抜けかと思いきや、キヴェールは続けて言う。
「……と、私も昔は思っていた。人間の力や知識では敵わないと。奴は間違いなく無敵だった」
「…………」
「だが、つい最近イエルカと同時期に生きていた者が、唯一あの女を殺しうる力を持っていた」
「……その方は?」
そんな都合の良い事があるのか、眉唾物だろうと思ってしまう。イエルカの進化能力を突破する特効薬、勝利の鍵となる者の名は……
「創造の騎士、エサノアだ」
意外どころか、意味のない名前が出てきた。
「…………そ、それは驚きですが……当の本人は行方不明なのでは?」
外套の男は眉を傾けた。それもそのはず。エサノアは殺された挙げ句に行方不明扱いされた、何かと不憫な円卓騎士だ。
キヴェールが目線をアネスにやると、アネスは「ここに」と親指ほどの小瓶を机に置いた。中身は白い粉だ。
「これはエサノアの頭蓋骨を砕いたもの、つまり骨粉です。つい先日、土から掘り出したもので、身元は私が検証済です」
アネスの検証という言葉が引っ掛かったが、それよりも外套の男は何が言いたいのか理解できなかった。
「ほ、骨……ですか……!? それが打倒イエルカに役立つと。死者蘇生の儀でも生み出したのですか?」
「そうではない……とも言いきれませんね。私は他人の一部を摂取することで、その他人の外見もしくは能力を
アネスは自身の胸に手を当てた。勝利の鍵はエサノアでありアネスなのだ。
「作戦の基礎はそんなところだろう」
そしてキヴェールは作戦の真の狙いを話す。
「できれば社会的に殺したいところだが、現状では証拠が薄い。そのため、基本は仲間殺しの証拠を集めるために行動する。しかし途中でイエルカとの戦闘に至ることは確実。その際、やるべきことは『殺害』ではなく『無力化』だ。そして勝利を求めるのなら、力業ではなく、精神を無力化するのだ」
「なるほど、そこで創造の力をコピーして利用するのですね」
「うむ」
キヴェールの導き出した一筋の光明は普通ではあり得ない、誰もやろうとしなかった戦略だった。
星が回るように、それが実行可能な状況にあるのは奇跡としか言いようがなく、絶好の機会が訪れたことは運命的だった。
「イエルカの記憶を消す。それが人類にとっての最善手だろう」
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