第47話 天に平伏せ我が名を叫べ ④


 戦場とは、人生の終わりが交差する場所。

 多くの生物がほぼ同時に、長い年月をかけて成長してきた自分を終わらせる。それだけの場所。


 今宵、最後に終わるのはどちらか。


 アネスは足下に転がっている指を一本拾い上げる。

 それは師匠であるグリフトフの指であり、おそらくイエルカが噛み切ったもの。


(もう躊躇ためらいはない……)


 拾った指を口の上に持ってきて、ぎゅっと圧迫する。すると一滴の血液がにじんで落ちてきた。


 ごくり。深紅の血液が喉を通った瞬間、アネスの脳に3つの選択肢が現れる。

 『身体の模倣』か『魔法能力の模倣』か『何もしない』か。


「借りますよ、師匠」


 アネスは今から10分間、グリフトフの魔法の力をコピーする。


 その瞬間、一本の樹木魔法がアネスに迫ってきた。

 人間の反応限界ギリギリのそれをアネスは飛び乗って避け、そのままイエルカに突貫する。


 走る途中で兵士の死体から剣を借り、体内では魔力を構築して体を強化していく。

 筋力、体力、動体視力、反射神経、五感……騎士として元から常人離れしていたそれらを更に強め、味わったことのない力を手に入れる。


(師匠の扱う白兵戦用の魔法は種類も精度もトップクラス。それに対してイエルカの魔法性能は中級レベルと聞く)


 グリフトフの熟練した身体強化魔法とアネスの全名開示による魔力容量の組み合わせは、進化能力と身体強化魔法を合わせたイエルカに匹敵するだろう。


(師匠の魔法を限界まで重ねがけすれば奴と渡り合える!)


 その考えは正しかった。


 アネスの身のこなしは以前とは比べ物にならない。華麗かつ合理的、そして予測困難な立ち回り。

 幾多の樹木魔法を軽やかにかわし、イエルカに肉薄する。


 それでもアネスとイエルカの間には『揺るがぬ差』がある。それは単純に『死への恐怖の差』である。


「ハァッ!」


 アネスが繰り出した剣をイエルカは歯で止め、首の動きだけで刃を折った。

 すかさず折れた剣を翻してアネスが攻めるも、今度は地面の震えがそれを遮った。


「!」


 地面にある木々や瓦礫の隙間から光が漏れる。

 直後に噴き出してくる強風と衝撃。おそらく風か衝撃波の魔法だろうそれは、地面を引っがして投げ飛ばすように会場を壊し始めた。


 瓦礫とともに体が飛ばされ、アネスは一気に空中に駆け上がる。

 夜空が顔を出し、月明かりが次なる戦場を照らし出した。


 重力と上昇気流の狭間で、アネスは舞い落ちる瓦礫を足場にして体勢を立て直す。その最中、アネスはある事に気づき、思考を巡らせていた。


(我々を閉じ込める魔法とやらが見えないな……自殺の時に解除されたか? それに今の魔法……敵側の魔法が全てイエルカを起点としている。指揮をとる様子もない。はなからイエルカに仲間などいなかったと考えられるが、そうなると奴は魔法の実力を隠していただけ……?)


 アネスたちを会場に閉じ込め、人々の死体を操り、衝撃波を放った魔法の使い手は誰なのか。この疑問の答えは、姿を一切見せない者とするより、イエルカの隠していた力とするほうが自然だろう。


 つまり見据えるべき相手は一人。油断はできないが、今のアネスならば……。


 木片や死体をくぐり抜け、壁の瓦礫から柱の瓦礫に飛び移り、吹きつける風を感じながら折れた剣を握りしめる。


 落下しながらの短期勝負。バラバラになったシャンデリアの破片の奥でイエルカは待っていた。

 狂喜的に、侮蔑的に、ひたすらに楽しそうだった。大口を開けて高笑いを飛ばしていた。


「ハハハハッ! しぶといじゃないか! 人喰いが!」


 そんな彼女の言葉は決定的に、アネスに残っていた最後の優しさの糸を断った。


「喋るなあああああああああああッ!!!」


 アネスが剣を振り下ろした時、刃が発光し、延長され、熱した鉄のような姿となる。

 グリフトフの魔法は身体強化のみにあらず。敵を絶命させるための選択肢はいくつもある。


 剣はシャンデリアの破片を溶かし、イエルカの左腕に防がれる。


「かつて私を救ってくれた貴女あなたは……始めからいなかった!!」


 高熱をまとった剣はイエルカの左腕を溶かすかと思いきや、逆に光を失って静まり出した。


 次の瞬間、イエルカの右腕が光を纏う。


「勝手に失望してろ!!」


 その光は人差し指の先に集まり、膨大な熱エネルギーを持つ粒となって射出された。


 この技術はかつて魔王軍のドラガに殺された際に身につけた、『無限に熱を溜め込み、それを体内で操る発熱機構』。イエルカは高熱程度では死なず、受けた熱を自由な部位から、汗をかくように排出できるのだ。


「ッ……!!」


 アネスは足場を蹴って飛び退く。直線軌道の粒は真横を通過していった。


「勝手に……!? ならどうして王になった! なぜ人類に希望を与えた!!」


 地面が近づいてきたため、アネスは瞬時に軌道を変え、大きな柱の瓦礫に刃を突き立てて滑走する。

 単にスピードを落としたかったのだが、それはあの悪魔からすればだった。


「それが私だ!」


 イエルカの横蹴りが襲いかかる。回避が間に合わず鎧の鉄靴でアネスの顔に裂傷が入るも、アネスは決死の覚悟で掴みかかる。


「人間のつもりなら責任を取ってみせろォ!!!」


 剣を捨てて、怒りと拳をぶつける。お互いに血を振り回して取っ組み合う。

 当然それだけでは済まず、イエルカは樹木魔法を四方八方から向けてきたため、アネスはすぐに離脱して大針魔法で樹木を迎撃する。


 太く大きな針が的確に樹木の芯を破壊する。

 そしてアネスが瓦礫だらけの不安定な床に豪快に着地した後、バッと顔を上げて叫ぶ。


「イエルカァァッ!!!」


 イエルカが空から落ちてくる。その背後、上空で熱エネルギーの粒が爆裂し、閃光によってアネスの視界が白く染まった。

 このチャンスを逃さなかったイエルカは姿を消し、既にアネスの真後ろで柱の瓦礫をブン回していた。両腕で掴まれた巨大な瓦礫は回避を許さない。


 質量の塊がアネスの背中を叩き、瓦礫の大地を滑らせる。


 今の戦況の問題点はやはり、アネスを守る味方がいないという点。一度負けかけて警戒心MAXのイエルカが相手だと、相当に大きな隙を作り出さなければ記憶消去の一撃を入れることは不可能だ。


「ぐッ………………!」


 人形のように乱暴に身体中が瓦礫にぶつかり、アネスは倒れた。身体強化をしているのに肺を押し潰された痛みがする。


「他人の猿真似ごときで何かを成せると思うなよ」


 瓦礫の雨の中、イエルカが悠々と近づいてくる。


「っ…………はぁっ……はぁっ……!!」

「君は所詮、模倣の騎士だ」

「………………わかってる……! そんなことは!」


 満身創痍など気に止めず、アネスは立ち上がる。


「私にしか出来ないことはないかもしれない……! でも! 何もしないまま消えたくない!!」


 気合いが大事なのではない。これは戦争。作戦を携えた勝負だ。


 アネスは小瓶を上に投げた。それはイエルカが反射的に目で追ってしまうであろう『エサノアの骨粉』。


(まだ周囲の魔力は薄い……創造エサノアの力を使うには不足している。だったら私は!)


 イエルカが気を取られた一瞬、アネスは飛びかかる。


「!」


 両者の唇と唇が触れた。血で潤った最悪のキスだ。


 やはり、人間なら誰しもがイエルカになりたいもの。

 アネスも例外ではない。幼い頃、戦争に巻き込まれて飢餓に苦しんでいた彼を救ったのは、潜在的能力を持っていた彼が憧れたのは、目の前にいる騎士だ。

 こんな粗暴な女でも、かつては嵐の中の光明のようだった。


 イエルカはアネスの顔を掴んで投げ飛ばし、腕で唇をぬぐった。唇に残る感触は鮮烈で腹が立つ。


「なるほどな……これで君は10分間、私と同じ『進化の騎士』というわけだ。しかしだな、アネス、君は判断を誤った」


 アネスは進化の騎士の力を模倣した。死んでも生き返り、死因を克服できる。さっきのグリフトフの身体強化魔法も残存しているため、これなら完全に対等に戦える。死を恐れない戦士の誕生だ。


 立ち上がったアネスは備蓄魔法から戦鎚を取り出して走る。

 近づくまでの牽制として大針魔法と雷撃魔法を放ったが、イエルカはそれらを軽くかわし、片手で戦鎚の猛攻をさばいていく。


「死なないとあれば攻めに転じる。傷を恐れずに立ち向かえる。そう思っているうちは、君はまだ不適格だ」


 死なないことは傷ついていいこととは違う。攻撃がすり抜けるわけではない。

 イエルカは隠し持っていた針でアネスの顎から脳を刺した。冷静かつ流れるような暗殺の挙動だった。


「その付け焼き刃で、死の恐怖に耐えてみろ」


 イエルカに見守られながらアネスは横へ倒れる。


 数秒後、アネスは傷口が再生し生き返った。しかし彼は戦慄の形相で苦しそうに呼吸をしており、それはイエルカの思う壺であった。

 イエルカはすかさず馬乗りになって右手で首を絞め、左手で顔面を殴りつける。


「痛いか? 怖いか? 気分はどうだ!?」


 何発も何発もいたぶる。


「10分もあるんだ! たくさん死のうじゃないか! 一生に何度も死ねるなんて幸運だぞ!」

「がっ……あぁっ…………!!」

「心が壊れる前に慣れておけ!! まだまだ地獄の一丁目ェ!!」


 殺してやろうと、イエルカが最大まで筋肉を力ませて拳を振り下ろす。食らえば潰れる必殺の一撃。

 しかし不思議なことに、黒い何かが視界を覆い、気づいた時にはもう目の前からアネスは消えていた。


 突如として静まり返った月下の戦場で、イエルカの拳は瓦礫にめり込んでいた。

 やや唖然とした様子でイエルカは立ち上がると、ある違和感に気づいた。


「……」


 何か足りない。建物の瓦礫と大量の樹木はあるのに、鼻を貫く血の香りがないのだ。


「……」


 死体が消えている。キレイさっぱり、一つ残らず。


 幻でも見ていたのだろうか。そう思った時、イエルカの脳裏に思い浮かぶ、ある事件との類似性。ぺルフェリアでワルフラとジアメンスが戦った直前の、人間領北部の城塞都市で起こった住民の集団失踪事件。確かその場にはゼナーユもいたと聞き及んでいるが。


 風を切る音がする。瓦礫は落ちきったはず。

 この開けた場所に一体何が舞い降りるというのか。


 見上げられた空で、生き残りのが月に重なる。


 白いたまを握ったゼナーユが頭を下にして落ちてくる。そのかたわらでは、手を繋いでゼナーユと白い珠を共有したアネスが、もう片方の手にあるクロスボウで標的イエルカを捉えていた。その近くには骨粉の小瓶が放り出されている。


 あの白い珠は生命を利用した万能魔力物質『魂魄珠こんぱくしゅ』。

 彼らはエサノアの能力を使うための魔力が足りないという問題を、死体を用いた魂魄珠で解決したのだ。その材料となった死体にはキヴェールや仲間たちも含まれている。生者を使ったほうが良質な魂魄珠となるが、死者でも肉体さえあれば材料となれる。


「ありがとう…………」


 アネスが引き金を引くと、二撃目の記憶消去毒ガスがイエルカの長髪を揺らした。


 天を仰ぐイエルカ。走馬灯だと言わんばかりに駆け巡る過去の記憶たち。そしてアネスという男が思い出させた淡い心。


(……あぁ、憎たらしい男だ。顔が、声が、情熱が……その全てが、私の恋を呼び起こす……)


 舞い上がった粉塵がイエルカを隠した。それは彼女の生まれ変わりを予感させる天幕のようだった。


 次に彼女と会うときは25年前の彼女だろう。

 アネスとゼナーユは余裕をもって着地した。勝利の余韻は全く無い。

 建物は晩餐会の会場を中心に倒壊している。下敷きになる前に脱出しなければならない。


「あれを回収して早く逃げよう。時間がない」


 アネスは粉塵の立ち込めるほうへ歩き始めた。


「……大変だね、人間も」


 ゼナーユが言う。


「ああ……多くのものを失った。これから再び始めなければならない。皆が残したこの成果を、次に繋ぐために」


 アネスはその覚悟を戦う前から持っていた。戦争の悪意が誰かを殺めた時から、彼は継承者になろうとした。誰かの力を借りて、何かのために世界を進める。だから『継承の騎士』なのだ。


「おい~……誰か~…………」


 どこからか口すら十分に開けていない声がした。

 アネスが嬉しそうな顔で声のほうを向くと、瓦礫と瓦礫の隙間にグリフトフが挟まれていた。


「あれ、師匠! 生きてたんですか」

「さっきまで死にかけてたがな……ギリで回復が間に合った……もう動けねぇ、出してくれ」


 想像通りのしぶとさに微笑みながら、アネスは上から順番に瓦礫を下ろしていく。


「ほら、ゼナーユも」


 アネスに言われ、ゼナーユも面倒くさそうに瓦礫をどける。


「……よいしょっと」


 グリフトフはボロボロの剣を支えにして抜け出した。


「で、上手くいったのか」

「ええ。キヴェールさんの作戦は最後まで役に立ちましたよ」


 結局のところキヴェールの作戦は実に用意周到だった。ゼナーユの魂魄珠を作り出す魔法は最終手段として用意されていたし、死体を利用することも許可されていた。


「そりゃよかった」


 グリフトフは安堵の息を吐いた。いつもは武器を丁寧に扱えと怒るグリフトフが剣を杖のようにして休む姿は、この戦場の異常性を物語っていた。


 戦争ならば大した死者数ではないのかもしれない。歴史にも刻まれないのかもしれない。それでもこの戦いは一生忘れることのできない……


 待て、おかしい。グリフトフの剣が動き、刃が傾いた中での刹那だったが、アネスとゼナーユは見逃さなかった。

 刃に反射した景色に映り込んだ『何か』。確信したわけではなく、天井のシミが顔に見えるような想像力の誤用だろうと思い、薄い氷の上を歩くように、2人は振り返る。


 いた。


 2人の思考は停止した。彼らの瞳に映るのは、信じたくはないが、明らかに……。


「……」


 グルグル回って混ざり合う感情たち。

 動転。焦燥。畏怖。憤慨。喪失。そして絶望。


 まだ、まだだ。奴はまだ、立っている。

 王の目つきで、澄ました顔でそこにいる。


「……ワルフラに礼を言わなければな。君もそう思うか?」


 イエルカは穏やな笑みを浮かべた。


「サモナ」


 彼女を守っていたのは防護壁魔法だった。少人数では使用困難なはずの、堅牢堅固の無敵の球体。防護壁は空間や魔力を完全に分断するため、毒ガスを防げたのだ。


 何故それを使える、そして何故……


「な、何であんたがそれを…………」


 ゼナーユは目を疑った。イエルカの手にあったのは確実に、ゼナーユの持っている物と同じ魂魄珠だったからだ。


「ワルフラに半分もらってな。少し改造も施したが、実に良いものだよ、これは。それに君たちも見ただろう。あの屍の群れと木々の動きは私一人ではぎょしがたい。だからに助けてもらったんだ」


 魂魄珠の中に組み込まれた人間、意思を持つ魔法の生命体。それがイエルカの仲間の正体だった。

 事実、イエルカが担っていたのは魔力供給と発動命令だけで、発動と操作は魂魄珠によるものだ。全名開示も魔力供給を増やすためのオマケだったし、この戦いでイエルカは常に二人組だった。


 それが絶望の証明。魔王の力と実在した仲間。その2つに対処できる力はもう、アネスたちには残っていない。


「そんな…………」


 アネスは力なく膝をつき、顔を手で覆った。寒気と汗を全身に感じ、歯を食い縛った。


 正真正銘、これで終わりだ。作戦はことごとついえた。残る有効手段などあるはずもなく、捻り出すことも出来ない。


(あぁ……ダメだ…………どうしてもっ……!)


 彼らはもう平伏ひれふすしかない。


(この生き物には…………勝てないんだ……!!)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る