第35話 母なる悪魔 ③
通称は『偉大なるニコトス』。
魔王軍の最古参、というよりはイレギュラー。寿命があるはずの魔族を超越した魔族で、700年以上も軍を支える大黒柱だ。
何度か四天王の席を一つ独占しているとして別の役職になったことはあるが、やる事は変わらない。
魔族を生み、育てる。
彼女はたった一人で魔族の繁殖という大問題を解決し、魔族社会の繁栄に貢献した。
出産方法は母体の妊娠を必要としない工場のような方式であるために『産生』と呼ばれ、年25万人の魔族を世に送り出している。
世の中にはニコトスから生まれたか自然に生まれたかで派閥を分ける
女神か聖母か、ニコトスの存在は魔族という生命に不可欠だ。
「殺したくはなかったが、仕方あるまい」
ワルフラが左から大斧を繰り出すと、イエルカが右から両刃剣を繰り出した。
その両方がニコトスの背部の翼脚に抑えられる。
最強たる2人の一撃が全く響いていない。これは異常事態だ。
「本当に仲が良いのですね。民が知ったら喜びますよ」
ニコトスは再び笑った。コイツは生かしてはおけないと2人の殺意を固めさせる顔だ。
子供を持った黒騎士たちはどこかへ
2人は間一髪で避けるも、翼脚は続けて襲ってくる。
「ッ……イエルカ! 貴様はあの黒騎士を追え! 逃げられたら厄介だぞ!」
「それは君の役割だ! 私がニコトスを
左へ上へ、軽やかに
「貴様には情報が無いだろう! 余のほうが戦える!」
「説得力に欠けるな!」
2人は一瞬の隙を突いて二度目の同時攻撃を仕掛けるが、これも翼脚に止められる。
さらにニコトスは「痴話喧嘩?」と余裕綽々に翼脚を振るい、2人から大斧と両刃剣を奪い取った。
「クッ……!」
ワルフラが飛び退きがてら、備蓄魔法により取り出した大きな剣を投げ渡す。
「イエルカ! 時間を稼いでおけ!」
「
イエルカが受け取ったのは、紫色に輝く刃を持った刃渡り1.5メートル、片刃の長剣。
魔族用のサイズだが、イエルカならば扱えるという信頼のもとに渡された。
ワルフラが後方で何かを準備している。イエルカはその間の穴埋めを頼まれたというわけだ。
「人にはそぐわぬ
ニコトスの4本の翼脚が躍動する。
それを避けつつ、イエルカは長剣を振り上げた。
「そうだな、私の前では全てが力不足だ」
速さでは翼脚と対等。当たりはする。
「!」
「なッ……!?」
当たった結果、サンヴァルレリ聖堂に空まで亀裂が入った。
幅のある一線の亀裂。当然、ニコトスの左の翼脚2本も断たれた。
「……強すぎるだろこれ!!」
イエルカは思わず振り返る。
ワルフラが「扱いには気をつけろ!」と声を飛ばしてきた。
長剣『ナーセ』は魔力を込めて動かすと、動かした空間の延長線上を込めた魔力量に応じて斬る。変幻自在の斬撃を飛ばせる魔導具だ。魔力の込め方には気をつけよう。
翼脚の断面からはドクドクと血が溢れている。ニコトスは手を震わせながら、その断面を回復魔法で塞いだ。
「我が子をよくも……!!」
彼女の震えは建物全体に伝染し、塵や瓦礫が落ちてくる。それはやがて形として顕現した。
「イシュトラ!!」
床を突き破って出てきたのは、八本足の巨大な魔族。下半身は昆虫、上半身はタコのようで、胸部にある口の中にニコトスが納まった。
見事なドッキング。その上で魔族であるのだから、並行して魔法が撃たれるのが自明の理。
ニコトスの本気が炸裂する。
(なるほど、魔族ごと武器にするのか……)
襲いかかる触手にイエルカは樹木魔法で対抗する。
触手と樹木が絡まると思いきや、触手のほうが勝ってしまった。
「おっと」
触手によって振り回される樹木たちを次々と躱し、イエルカは長剣を構える。
「!」
しかしその構えさえもニコトスの多様な魔法に妨害され始めた。
飛んでくる尖った岩、氷柱、燃え盛る青い炎、それに加えて触手と樹木だから、イエルカは避けるので精一杯だ。
少しでも近づくと翼脚の持つ大斧が待っていて、遠距離近距離、攻防ともに隙が無い。
(建物が持たんぞ……暴れ馬め……!)
駆ける最中、触手が両側から挟み込んできたので、イエルカは長剣を地面に突き立て、それを支えにして跳躍する。
その瞬間、イエルカの左腕が別の触手に捕まった。
「くッ……!」
間髪いれず、何本かの触手がイエルカを通り過ぎていった。ワルフラを狙っている。
しかしワルフラは未だ準備中。下に向かって何かを作り出している。
止める者がいない。ニコトスの独走状態。
「母を
悪鬼のごとき勢いを纏った触手がワルフラに触れる……その寸前、上から降ってきた斬撃によって触手は切断され、直下の地面に亀裂のラインが引かれた。
更なる悪鬼が宙を舞う。
イエルカはワルフラの前に降り立つ。彼女の左腕は既に無く、さっきまで捕われていた触手のもとに左腕だけが残っていた。
そしてすぐに、右の手首を器用に使って剣先で綺麗な円を描いた。
「丸を
すると描いた円が斬撃となって走り、ニコトスの周囲、八本足の魔族の胸部を
「ッ……!!!」
ニコトスは歯を食い縛った。八本足の魔族はバラバラになり、ニコトスは口の中から出ようともがく。
その一方で、サンヴァルレリ聖堂が倒壊を始める。
度重なる超人たちの戦いに耐えられなかったのだ。ここもすぐに瓦礫の山になるだろう。
脱出するかトドメを刺すか、決着が近いという時、イエルカはふらつき、長剣を落とした。
(
長剣によって魔力も体力も底をつきかけ、指先に力が入らない。こんな体験は初めてだ。
頭上から瓦礫が落ちてくる。避ける体力は無いが、イエルカは瓦礫に埋もれた程度で死にはしないので、避けなくてもいいか、と楽観視していた。
「サボるな馬鹿者」
突然、瓦礫が砕かれる。イエルカを覆い守るようにしてワルフラが立っていた。
「ワルフラ……!」
どうやら準備は終わったらしく、ワルフラは簡単にイエルカの左腕を生やした。
「周囲は封鎖した。その代わり、時間は無いぞ」
どこからともなくラッパの音が鳴る。
荘厳かつ淡い音色は天井の穴から光を差し込ませる。雪で白いはずの空が黄金色に染まっていた。
この異変は聖堂の周辺にまで伝わっており、黒騎士は勿論、魔力を使う全てのものに影響を与える。
「……」
なんとか地に足を着けたニコトスは空を見上げ、その色の正体を思い出した。あの大結界の意味を。
「
それは、かの
対策といえば集団で防御魔法を5回ほど重ねるくらいしかなく、それ以外は容赦なく――
「全ての魔法を崩壊させる」
これがワルフラの準備していた対ニコトスの結界。
既に決着はついた。存在そのものが魔法で保たれているニコトスが食らえば末路は一つ。
肉体と精神を繋ぐ縄がほどかれ、700年の歴史は
ニコトスの身体中から血が漏れ出す。
目玉がただれ、脚が折れる。
数秒にして腐乱死体のような姿になったニコトスは、呻き声を上げて後ろへ倒れた。
「…………」
その様を見て、イエルカは胸を撫で下ろす。ここまで疲れたのは久しぶりだった。
静寂の中にラッパの残響が聞こえる。
魔王軍の重鎮が、あのニコトスが遂に死んだ――
「こんなもので終われるかァァァァァア!!!!」
ニコトスは走り出した。
まだ終われないと、なりふり構わぬ
「魔族が!! 四天王が!! そんな理由で死ねるかァッ!!」
少女の姿を捨て置いた険しい本性に、ワルフラとイエルカは目を見開いた。
死んだばかりの化け物が一直線で突撃してくる。その肉体すらもグズグズに変容させている。
「まだ奥の手があるか……!!」
ワルフラはイエルカを抱えて聖堂の外へ飛び出した。
黄金色の空の下、聖堂の外壁の上に登る。
目下ではニコトスが悶えるように暴れていた。肉体が膨らみ、別の怪物になろうとしている。
「愚かな思想に巻き込むな!! 世界のために死ぬべきはお前たちだァァッ!!!」
もはや生物ではない。聖堂よりも大きくなり、子供がガラクタを組み合わせて作った人形のような体のバランスを持ち、神秘的で艶やかな外殻で身を包む。
体表は透過し、内部からの青白い光をそのまま外部へ表出させている。そのため全身は眩く輝いており、炎のように揺らめいている。
第三形態……なのだろうか。ニコトスは聖堂を壊し回り、不安定な叫びを上げ続ける。
「何故生きていられるんだアイツは……!」
ワルフラは足場を高速で飛び移りながら、ニコトスの異常性に眉をひそめていた。
せっかく
「そろそろ君の有する魔法を見せてくれてもいいんじゃないか? 時間が無いのだろう?」
抱えられているイエルカがいたずらに微笑んだ。
「フン、実を言うともう見られている。あの新兵とキヴェールにな」
「……それは
「安心しろ。その2人を殺せば、貴様が人類初の目撃者となる」
ワルフラは尖塔の頂点に止まり、顔の前で拳を握る。
「我が
鐘の音が空気を震わせ、ニコトスの真上に格子状の影が出現した。
ワルフラとイエルカが出会って30年。
初めてイエルカの前で見せる、魔王の本領。
ストンと影が落ち、ニコトスは切り刻まれる。
魔族の母は今度こそ死に絶えた。
※ワルフラの一人称「我輩」はダサい気がしたので「
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