第36話 掴まれた狼の耳


 川に近いこの土地は広大でなだらかな丘になっているため、頂上に飛び出している王城がよく映える。

 道路は砕石舗装で、王城を中心とした放射状に作られており馬車の通りが良い。

 一般家屋の基本は薄灰色の縦長で、壁や屋根は斜面だったり平面だったり、くぼんでいたり段差になっていたりと、シンプルながらも多種多様な形をしている。彫刻や模様といった装飾は無いが、小尖塔とトゲのような頂華がほぼ全ての建物の上にあり、機能美と気高さを両立させている。


 この独特な建築様式、そびえる王城、発展した都市。


 間違いない。


 ここは人間たちの王都『ノクァラ』。

 その名は『クァラー家の領地』を意味する。約1000年前の王家が築いた大都市である。


「………………」


 路地裏の薄暗い角に、赤い長髪の騎士が立っていた。

 一本の棒のように綺麗な姿勢と、引き込まれる美しさを持った顔立ち。


 何を隠そう、彼女は騎士王イエルカ。

 魔界突入から4日後の昼。誰よりも早く王都に帰ってきたのはイエルカだった。


「……ん?」


 そこに巡回中の兵士の男がたまたま通りかかり、目をパチクリさせる。

 それも当然。早馬はやうまで魔界での一連の出来事は知らされていたが、騎士王が一人で帰ってくる事など誰も知らない。


「はっ、えっ、イエルカ様!? 本物!? いつお戻りに!?」


 動揺しまくる兵士に対し、イエルカの目つきは獲物をにらむ狼のようになった。


「ついさっきだ。心配をかけたな」

「いえっ! えぇっ!? あ、報告してきます!」


 兵士が慌てて走りかけた時、イエルカは兵士を呼び止める。


「待て」


 かなり真剣な顔だった。


「君に親はいるか?」


 そのくせ奇妙な質問をした。


「え?」

「実の親に育てられたか、といている」


 兵士は訳がわからないまま答えてみる。


「い、いえ……孤児だったもので。養子になりましたが――」


 回答の直後、兵士の首は飛んだ。


 イエルカは剣を納め、大通りのほうへ向かう。


虱潰しらみつぶしだ)


 花が咲かずとも、芽はんでおかねばならない。




 *




 20分前、ニコトスを殺した後の話。


 聖堂の外に出ていた例の黒騎士たちは壊王讃域クアルド・ルクタムの影響で全員死んでいた。

 小雪の降る中、黒騎士たちから子供を回収していると、イエルカは兜の取れた黒騎士を見つけた。


「これが中身…………魔族なのか?」


 黒騎士の頭部は銀色で小さく、不気味な目と口があるのみ。全体的に生物には見えない質感だ。ニコトスが何か細工したか、それとも生物ですらないのか。


 それはともかく、この黒騎士で最後のはずだったのに、イエルカが回収できた子供は3人だった。


「おいワルフラ、1人足りないぞ」


 瓦礫の上にワルフラが腰掛けている。


「黒騎士は4人だ」

「そうじゃなくて、子供が足りない。人間の子供が4人いただろ」

「今日ニコトスに作らせた人間のことか?」

「いや……そういえば、そのニコトスに作らせた人間とやらはどうなった?」

「建物の下敷きにでもなったんじゃないか」

「適当だな…………人間は回収して兵士にしようと思ってたのに」


 イエルカは周りを見渡してから、さらっと言う。


「まあいいか」


 彼女の中では必死こくほどの事でもない。

 寒冷地、壊れた建物、戦闘……一人くらい死んでいてもおかしくはない環境だし。


「そうだイエルカ、一つ種を明かし忘れていた事がある」


 ワルフラは少し背筋を伸ばした。


「ニコトスのことか? 何故今さら」

「ニコトスのやつが勝手に不死身になってる可能性を考えて、念のため秘密にしていたんだが、死んだから隠す意味が無くなった」


 そして世間話のようにさりげなく、


「サモナとエサノアは、我ら魔王軍の手の者だ」


 とんでもない情報をブチ込んできた。


 イエルカの側近サモナと、イエルカに殺された円卓騎士エサノア。

 何故その二人が、と考える以前の問題がある。イエルカは冷静だった。


「…………そんなハズはない。私の目から逃れることなど……そもそも人間が魔族と組むメリットはない」


 人間と魔族は下手したら近づくだけで病気になる関係だ。協力も共謀もあり得ない。そこでイエルカに一つの仮説が思い浮かぶ。


「!……そうか、あの2人はニコトスが生んだのか」


 ニコトスは人間の子供を育てていた。あれは何のためかと思っていたが、スパイの育成だった可能性は高い。


「ああ。だが操り人形ではない」


 ワルフラは指でこめかみを叩く。


「ニコトスは生み出した人間の知覚情報を読める。それ以外は何も関われない」


 ニコトスは自身の作った人間の見た景色、聴いた話、食べた味、嗅いだ香り、体の感触を体感できる。

 しかも側近サモナ重要戦力エサノアのそれらを感じられるというのだから、さすがのイエルカでも焦りかけた。


「……では、我々の内部情報は筒抜けだったと」

「そう言いたいところだが、ニコトスには魔族の産生という仕事もある上、こんな場所に引きこもっているせいで通達速度が遅い。それに知覚情報を読めるのはニコトスのみ。つまり奴一人の情報処理に依存する。そもそも生み出した人間がどう生きるかは不確定だ。サモナとエサノアは元から才能があったから目立っていただけで、地上には今もニコトスに作られた人間が生きている」

「だから筒抜けだろって」

「まあ、それはそう」


 ワルフラの声が小さくなった。


「てか……700年も……ずっと!?」

「いやぁ、実際は400年ぐらいだから」

「それでもだろ……こっちは人口が全盛期の1割になってんだぞ……」

「逆によく耐えたな」


 その時、ワルフラが肩を落とす。


「というか、こっちの気持ちも考えろ。諜報活動と戦力作りしてた奴が死んだんだぞ。今までニコトスにおんぶに抱っこだった分、これからの魔族社会は暗黒時代だ」

「いや知らんし……一人に頼るなよ……」


 2人とも落ち込んだ。


 ワルフラは最後にオマケの情報を話す。


「あ、それと、ニコトスの生み出す人間には共通点がある。生まれてから2年間、とある教育を受ける影響でな」

「教育?」

「それは『騎士王崇拝』。欲しい情報へ近づくために、その時代の騎士王への信仰心を刷り込む」


 ワルフラはそろそろかと立ち上がる。


「今後は忘れないことだ。様付けで呼んでくる者や、親がいないとほざく者には気をつけろ」

「………………」


 イエルカは言われて初めて気がついた。

 大抵の人間は自分のことを『騎士王陛下』と呼ぶが、ごく一部に『イエルカ様』と呼ぶ者がいる。その上、イエルカ様と呼んでくる者には孤児が多い。


「あの異様にしぶといニコトスのことだ。何があるかわからんぞ」


 ワルフラは境界魔法バリオロッズで屹立した影を作り、イエルカの帰り道を作った。


「ああ」


 魔界でイエルカが得たものは大きい。

 アークガルダの陥落、境界魔法バリオロッズの情報、ニコトスの死と暗躍……人類の勝利に大きく近づいた。

 いや、近づきすぎた。このままでは本当に勝利してしまうなと、イエルカは悩んでいた。


(そこはワルフラがフォローしてくれるかな……)


 などと淡い希望を抱きながら、地上へ帰還するのだった。


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