第20話 狂うべきコンパス


 耳元で風がごうごうと鳴っている。髪がなびき、今にも浮き上がりそうなエネルギーを感じる。


(転送魔法を食らったか……!)


 イエルカは空に、厳密に言えば地下世界の天井付近に、たった一人で転送させられてしまった。

 直後、一匹の小さなドラゴンが寄ってくる。茶色い鱗を持った二本足の翼竜で、イエルカはこれを知っていた。


「フェイルノートか!」


 これはケイスの操る竜の一種。群体型の小型ドラゴン『鳥竜フェイルノート』だ。


「私に構うな! 他の者へ回せ!」


 イエルカは鋭い視線を飛ばす。

 ケイスが遣わせたドラゴンであることは明白。だが自分には必要ないと、数に限りのあるフェイルノートを別の兵士のもとへやった。


 着地の用意をしようと下を見た時、イエルカはここが魔族たちの世界であることを再確認した。


「最後に足をすくいおって……!」


 イエルカの目下で、巨大蠕虫ワームが地面から顔を出している。

 エサを待つ小鳥のように、丸い口をあけて待っている。


 地上とは異なる生態系に飛び込んだ。その事実を飲み込んだ上で、イエルカは静かに攻勢を始める。

 空中で手をかざし、多量のしなやかな樹木を手のひらから生成。それをワームの胴体に巻きつけた後、自身も樹木を蹴って落下軌道をズラし、着地のついでに樹木を一気に締めつける。


 ワームはよくわからない体液を撒き散らして真っ二つになった。

 イエルカが空中から落ちる数秒の出来事だった。


 土埃が上がり、ワームの死骸が転がる音がする。

 イエルカはポツンと一人、平たい岩山の頂上に立っていた。


(まいったな……情報不足にも程があるぞ)


 現在地、自軍の安否、魔族の動向、全て隠れた。


(まずはそうだな……味方との合流と、この転送が魔王軍によるものかを知る必要がある。位置の確認はその後だ。もし軍主導で転送が行われていた場合、すぐに大軍勢が現れて我々を蹂躙するだろう)


 音で魔族が寄ってくるかもしれないと、イエルカは場所を移動する。

 森林限界でもあるのか、溶岩に覆われているのか、禿げた山肌が続いている。少しの植物が現れたあたりで、イエルカはふと立ち止まった。


(今の私は袋のネズミか、単なる迷子か。前者だと仮定して動いたほうがいいな。というか……)


 ただひたすらに視界に入ってくる広大な星空、山頂の平原、無限の地平線。


(知らない土地にいるのが面倒すぎる……!)


 魔界で迷子とは……悪運ここに極まれりだ。




 *




 転送騒動から3日が経過した。


「穴をあけるのは却下だ。地下に繋げるのと地上に繋げるのではワケが違う。ここは魔族の王都に向かい、そこの穴から脱出するのが最善策だろう」

「………………」

「……と、イエルカ様風に言ってみた」


 ケイスは強張っていた顔を元に戻し、暇そうなオデットに得意気な目を向けた。


「……とにもかくにも、場所を割り出さねぇとな」


 オデットは何度目かわからないため息を吐く。


「本物の空が見えないと測位魔法使えないもんね」

「魔力が濃い分、魔法は使い放題なんだがなぁ」


 何の因果か円卓騎士2人だけが合流に成功し、あてのない旅路を進んでいた。物資は備蓄魔法で取り出せるので死ぬことはないが、地上に戻れる希望はない。


 彼らは草むらをかき分ける。空が暗くても時間帯は昼前なので、絶妙な気持ち悪さが拭えない。


「あ、何か引っ掛かったみたい。行こ」


 突然、ケイスは進路を90度転換し、木々の深いほうへオデットを案内する。


 散開させていたフェイルノートが何かに反応したのだ。

 大抵の場合は動物にちょっかいをかけられただけで、運が良ければ人間軍兵士の死体がある。味方との合流や魔族との戦闘は未だにない。


 森をくぐり抜け、倒木を乗り越え、反応のあった場所にたどり着く。

 そこで2人が目撃したのは、無残にもズタズタに切り裂かれたフェイルノートの死体だった。


「…………」

「こりゃ……切られてねーか?」


 オデットが眉間にシワを寄せている隙に、ケイスが走り出していた。


「あ、おいケイス! すぐ突っ走んな!」


 オデットも慌てて追いかける。

 騎士の運動能力は常人離れしているため、入り組んだ森林を吹き抜ける風のように駆けていく。


 小川の側で止まっていたケイスは、何かを見失ったようにキョロキョロしていた。

 そこに追いついたオデットがケイスの肩を引っ張る。


「まずは冷静に調査をだな……!」


 ケイスは飢えた狼のような怒りを噴出させていた。


「ガラティーン!」


 そして呼び出したのは、ケイスの操る竜の中でも戦闘特化の、攻守に優れた竜『炎竜ガラティーン』。空から飛んできたにしてはいきなりの登場だ。

 体躯は樹木と同程度で、鱗は赤く刺々しい。一対の翼と角を掲げ、四本足で力強く地面を掴んでいる。


「うわっ、マジかお前!」

「ここの森、全部焼き払え!」


 ケイスの指示により、ガラティーンが口を開く。炎を吐く寸前だ。


「マジで竜のことしか頭にねぇのなオメーは……!」


 オデットは頭を抱えた。炎が上がれば魔族が寄ってくるかもしれない。そもそもデカい竜がいる時点で目立つのは確定。


 カサッ――不安は的中。見られている。


「……!」


 オデットがケイスの腕を引っ張ると、2人はになった。


 これはオデットの能力。光の屈折も反射もない、完全な透明化だ。ガラティーンが堂々としているので隠れたとは言いがたいが、それでも2人を目視することはできない。


「ちょっ、何!?」

「黙れ……! 誰かいる……!」


 真剣な表情になったオデットは首と目を四方八方に動かす。


(……気のせいか? いいや、直感てのは大体当たってるもんだ。とりあえず場所を変えよう)


 敵が襲ってこない今のうちに動くべきだろう。


「ケイス、こっから離れるぞ……!」


 オデットがケイスを引っ張ったものの、岩を相手にしてるのかと思うほどにケイスは微動だにしない。


「ケイス……?」

「……そーゆー逃げ腰なとこ、さっさと直しなよ」

「はぁ……?」

「逆だよ逆! 炙り出してやるわバーカ!!!」


 透明化から抜け出したケイスの心は躍っていた。大切な竜を殺した奴を殺せる喜びに。

 ケイスの脳内指示により、ガラティーンは喉から吐いた可燃性ガスに牙で火花を当て、大波のような火炎を放った。


「ぬおぉっ!? あっちぃ!」

「ジョルテの仇じゃ! 文句があったら早めに出てきなよ!!」


 木々は火柱となり、黒煙を上げている。炎に触れていなくても蒸し焼きにされる熱量だ。

 ちなみにジョルテとは先ほど死んでいたフェイルノートのこと。フェイルノート全283体には一匹ずつ名前がある。


「た、助けて! 許してください!」


 5秒とかからず煙の中から悲鳴が飛び出してきた。


「敵!? 魔王軍!? 今すぐ答えろ!!」


 どこかにいる敵に尋ねるケイス。炎を弱めるつもりはない。


「!」


 ケイスとオデットは臨戦態勢を固める。その敵の姿が不気味で信用できなかったから。

 炎の海から、全く無傷の、一切燃えていない直立二足歩行が出てきた。


「私は人類協会の信徒です! あなた方の味方です!」


 仮面とローブで体を隠した、身長3メートルはあろう敵が。


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