第10話 月暈のジアメンス ②



 ペルフェリアはほとんどが肥沃な土地で構成された平野であり、多くの耕作地を持つ。戦争によって減少してもなお穀物生産量は人間領の2割を占める。


 これはペルフェリアの戦いが魔王軍司令官ハマーロの自滅という不可解な結末で終わった10日後の話である。

 結末の不可解さゆえに勝利宣言はなされず、原因調査が優先されたために報酬の未払いが発生。

 それによって徐々に兵士たちの不満がつのり、少しずつ近隣の村への略奪が起きていた。


「やっ、やめてください!! イヤぁ!!」


 一人の老婦が食料の入った袋にしがみつく。


 ひまわりが名産の静かな村で、外からやって来た5人の男たちは泥のついた甲冑をカチャカチャと鳴らし、いくつもの食料や金品を脇に抱えている。


「しつこいぞババア!」


 男の一人がナイフで老婦を切りつけ、突き刺し、道端で倒れている老人の隣に蹴り飛ばした。


 男たちは騎士であり、騎士の中には稀に魔法を扱える者がいる。そのせいで誰もうかつに立ち向かえない。それでも、しばしば反抗するものは現れる。


「やめなさい! それでも人々を守る騎士ですか!」


 クワを持った若い女性が声を上げた。


「……は、誰?」

「知らねぇけどあれだろ、騎士王様に憧れたんだろ」

「あー、そんな感じある」


 あざ笑う男たちを女性はクワで威嚇する。


「バカにしないで! あなたたちのやってる事は――」

「気持ちはわかる。誰だって陛下はスゲーと思ってるし嫌いにはなれねぇ。でも憧れで飯が食えんのかよ。あんたが金払ってくれんのかよ!」

「……っ!」


 敬う人間は同じなのに、なぜここまで違うのか。女性の怒りに悲哀が混ざる。


「私はもっと誠実であれと言っ」


 女性の側頭部にハンマーがめり込んだ。

 体がフワッと横になり、流血が地面を這う。


 背後に6人目の男がいた。元より男たちは6人で略奪に来ていた。


「おい何で殺すんだよ。女なら使えるだろ」

「じゃあ他の女捕まえようぜ」


 6人の男たちは略奪品を持って村の外に向かう。

 日が傾いてきた。甲冑の色はオレンジに染まり、暖かな草木の匂いが鼻を不快にする。


「いつまでこんな田舎にいりゃいいんだか」

「調査が終わるまでは油断できねぇからなぁ」

「どうせ自爆だろ。魔法ミスったんだよ」

「ハマーロがあんな巻き込み自殺するかね」

「知るかよ、魔族の考えてることなんて」

「でもほら変な球があるって……」


 話の途中で彼らはゾロゾロと足を止めた。

 なぜなら、魔族の女性が、ゼナーユが道のド真ん中に仁王立ちしていたからだ。


「うおっ、なんだあれ」

「捕虜が逃げたか?」


 男たちは一瞬ビビるも、ペルフェリアの戦いで捕えた魔族が逃げたのだと納得して胸を撫で下ろした。


 一方で睨みをかせていたゼナーユは一転、パッと明るい笑顔になり、男たちに近づいていく。


「あっはは、どうもどうも! ここってペルフェリアで合ってます?」

「お前いい体してるな」

「……ありゃま、言語統一されてない人間っているんだぁ。何語ならわかります?」


 ゼナーユはわざと目を丸くして驚いてみせた。


「ぷっ、言われてるぞ」

「おかしな魔族だな」


 仲間内で目を合わせ、男たちは軽く流す。

 緊張感はない。たとえ自分たちより背の高い魔族ゼナーユが現れようと、戦勝後の彼らには見下す用意しかない。


 男の一人が前に出てくる。

 略奪品を地面に置いて剣を抜く。


「数も数えられないのか? こっちは6人だぞ」

「じゃあもっと増やさなきゃねー」


 ゼナーユの煽りが着火剤となり、男が斬りかかる。

 その一撃は爆ぜたように速かった。しかしその分、刃が折れるのも早かった。


「硬っ……!?」


 鉄と鉄がぶつかった音がした。


 男が顔を上げた時、ゼナーユは横に手を払う。

 黒い霧が何もない空間から出現し、男の顔面を通り過ぎると、そこにはもう首はなかった。


「……!」


 残る5人の騎士が武器を構えた。


「ちょっ、やめときなって、給料安いんでしょ~?」


 ゼナーユは手で拒否しながらも、また煽る。さすがは口先だけで円卓騎士エサノアを気絶させた女である。


「フンッ!」


 騎士の一人がハンマーで地面を叩き、大量の土を舞い上がらせた。


 そう、騎士も一般人からすれば超人だ。一歩が地をえぐり、一撃が巨岩を砕く。甲冑にも数種類の魔法がかかっていて普通には突破できない。


 土での目眩ましに乗じて騎士たちはゼナーユを囲み、躊躇ためらうことなく攻撃をしかける。


「薄給で戦うなんて」


 ゼナーユは軽やかに、挑発するように攻撃を躱す。彼女もまた普通ではない。

 そうこうしている間に黒い霧が立ち込めていた。


「物好きだねぇ」


 ゼナーユの操る黒い霧に呑み込まれ、一人、また一人と肉体が消えていく。


 死神に連れ去られたのか、悲鳴の一つも響かないままに早くも4人の騎士がいなくなっていた。


「ひぃっ……!!!」


 最後の一人が逃げ出した。


 男一匹、魔族からの逃避行。生い茂る雑草を抜け、理想郷を目指す道中にはひまわり畑。小さな太陽たちの視線が集まる中、恐怖でキュビズムみたくなった顔が唾を吐きながら全力疾走を続ける。


 そして太陽は後ろからも迫る。


 もうすっかり大人にもかかわらず、ゼナーユは大爆笑をしながら追いかけていた。

 太い畦道あぜみちを外れ、ひまわりの海へと飛び込む。ゼナーユの片手にある斧がたまに光るのは振り下ろした合図であり、振り向く時でもある。

 

「アハハハハハハハハ! ねぇ見てる先生!?」


 ひまわり畑を走り回るゼナーユは自由で、どの花とも目を合わせなかった。

 それは畦道にジアメンスが立っていたからで、彼の穏やかな目がゼナーユにとって何よりの至福であったからだ。


「見てますよ」

「ホントにぃ!?」

「ええ、本当に」


 ジアメンスは心のどこかでゼナーユと自身の娘ハマーロを重ねていた。実際、ゼナーユとハマーロは幼馴染に近い存在で、年齢や趣味も似ていた。


 娘が生きていたら、という思考もジアメンスにはあったが、あのひまわり畑の中心を見るとそんな哀愁も薄れていく。

 夕日の手前で舞い散る花びらは火の粉のごとく、美しくも恐ろしい。これこそが魔族の真骨頂。


 男の脳天に斧が刺さり、追走茶番劇は幕を下ろした。


「ハハハハ…………あ~、疲れたぁ~」


 ゼナーユは笑い疲れて尻もちをついた。

 だからだろうか、太陽光に遮られたからだろうか、男の向かった先に何があるのか気づかなかった。


 不意に光が散る――何かが飛んできた。


 触れてはならないと直感できるほどの速度と高熱を持ったそれが、ゼナーユの頬をかすめていった。


「うわわっ……!」


 間一髪のところでジアメンスに引き寄せられて助かったゼナーユの赤い肌はより赤くなる。


 しかし今は恋慕にふけっている場合ではない。


「せ、先生……!」

「これは……厄介なお客人が来たようで」


 ひまわりに空いた風穴を見て、2人は臨戦態勢をとった。


 煙を上げる、焦げた風穴。


 自然と導かれた彼らの答えは一つ。

 グランノットにいるはずの『光線の騎士』が来たのだと。




 長距離射撃を放った人間は遠くの山上にいた。


 大柄な魔族がまだ動いているのを見て、青年の顔色は悪くなる。


「まずったなぁ…………外しちゃった……」


 わずかな幼さを持つ青年。着なれていない軍の軽装には武器の一つも携帯されておらず、彼の新米感や不慣れ感がよくわかる。


 彼の名前を知るには話を戻す必要がある。

 エサノアが死んだ翌日に。


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