第9話 月暈のジアメンス ①


【魔族】



 人間領の北部にある都市の酒場にて。

 弱々しい照明の下で飲んで食う人々の表情はどこか憂鬱で、酒でも解決できない戦争の重みが蔓延していた。


 みすぼらしい少女がテーブルの上にあった骨付き肉に手を伸ばす。すると、その席に座っていた男が腕を掴んだ。


「おい」

「……」


 少女は男を見るばかりで怯えもせず、口を開きもせず、テーブルの上に顔を半分出している。

 その細い腕と不健康な肌を見て男は舌打ちをした。


「ほらよ」


 男は渋々、数枚の硬貨を手渡す。

 パンが一つ買えるほどの少額の硬貨を手に乗せ、少女は曇った瞳で男を見つめた。


「…………」

「さっさとどっかいけ」


 少女は機械のような背筋と足取りで酒場を出た。


 そこは曇り空の城塞都市。

 人口は一万人と全盛期よりは廃れているが、市内はほどよく活気づき、子供たちが遊び回っている。雨で濡れたばかりの石壁に血の跡はなく、難攻不落は健在である。


 少女は通りを歩き、眼を左右へ動かし、硬貨をパクっと口に入れ、噛みきれないまま飲み込む。


「どこへ行かれるのですか?」


 裏路地に入ると素朴な容姿の婦人に尋ねられ、少女は小首をかしげた。

 その意図を把握した婦人は胸に手を当てて挨拶をする。


「ビッツです。ルルテミア様の部下でした。今は魔王軍を抜けて放浪の身です」


 ルルテミアは人魔会談の日に死んだ魔王軍四天王。その部下たちは各々の道へ進んだが、人間の女性になりすまして潜んでいる者はビッツ一人だった。


 偽装はあまり推奨されることではない。なぜならどうしてもボロが出るからだ。

 少女はやっと口を開いたが……


「私は、娘の死因を探しに来たのです。優勢にあった娘が何故、あのような死を遂げたのか……それがもし人類の新たな武器や魔法であるなら、調査の価値は十分にあるでしょう」


 その声は間違いなく、だった。

 そんな異変を指摘することなく、婦人は淡白な口調で話をする。


「そういえば、王都周辺には防衛のための特別な武器があると小耳に挟みました」

「なんと、それはいったい?」

「『エクス……カリバー』? 確か、そんな名前でした」

「なるほど、よい情報をいただきました。それでは」


 少女は小さな歩幅で歩きを再開した。


「……あの、一つよろしいですか」


 ビッツが少女の背中に声をかける。


「我々の疑いが魔王様に向くことはないのでしょうか」


 気が進まない言葉でも、ビッツは藁にもすがる思いだった。聞く内容も聞く相手も間違っていると知っていた。


「そんなものはありませんよ」


 案の定、少女は言いきった。

 魔王は魔族の存続に欠かせない存在。その言動に異議を唱えるなど単なる陰謀論だと、ほとんどの魔族は思っている。


 少女は町の外に出て川を渡り、その先にそびえる丘の上に登る。


「ゼナーユ殿、準備ができました」


 丘の上にある風車の残骸の片隅に、少女が会うべきある一人の金髪の女性がいた。


 赤い肌と額から生えた二本の角、横に尖った耳が特徴の魔族――ゼナーユ。

 しなやかな肢体と鍛えぬかれた筋肉は人間的で、腰の翼と長身は魔族的。舞踊家のような幻想的かつ露出多めの格好は本人の趣味だが、彼女は四天王ニコトス直属の精鋭であり、次期四天王にも推薦されている身である。


「……くっ」

「?」

「アッハハ! 先生やっぱ似合ってるよ! その女の子の体! アヒャヒャヒャヒャ!」


 ゼナーユは腹を抱えて笑った。

 

「これはあなたが用意した容れ物ですよね?」

「え、そこ気にしちゃうタイプ?」

「では聞かなかったことにしましょう」

「さっすが先生! 話わっかるぅ~!」


 ゼナーユは邪気を秘めた無邪気な女性。


「で……本当に四天王、なれるんですよね?」


 時には鋭く、賢く、ゴールを手繰り寄せる。


「私が押し上げる訳ではありません。魔王様の御言葉の通り、四天王になれるのは『満月の夜までに大勝した者』。あなたはその実力を示し、勝利を掲げればよいのです」

「パパも遠回りだなぁ。素直にを選べばいいのに」

「私に同行させたのは十分な贔屓ひいきですよ」

「あー、確かにそっか。よーし! ゼナーユがんばっちゃうぞ~!」


 ゼナーユはあぐらをかいて地べたに座り、城塞都市のほうに向かって何やら作業を始めた。


 オーケストラの指揮者のように腕を振り、うんうんと唸りながら、目には見えない魔力を操る。

 一人一人を的確に捉えていると、ゼナーユはおかしな人間を発見した。


「んー? なんか変なのが……ねぇ先生、この町、魔族いない?」

「いますね」

「え、いるの? 味方じゃないの?」

「……もう味方ではありません」

「そっか。じゃあバイビー」


 ゼナーユが両腕を振り上げる。


 都市内部に引かれた魔力を通す鉱物の粉はゼナーユの魔力操作と連結しており、ある魔法を発動するための土台となるのだ。


 都市内では地表から黒い霧が上り始めていた。

 それがゼナーユにとっての指先であり、一方的な干渉を可能とした彼女の力である。

 黒い霧は際限なく増え、広がり、都市にいる人々を包んでいった。立ち向かう男を折り曲げ、逃げゆく女を丸め、泣き叫ぶ子供を粉にした。誰一人として許されず、酒場の男もビッツも命を終えることになる。


 この日、ある一つの都市から人間が消えた。


「これで材料調達は完了! …………ありゃ、先生、顔が崩れてるよ」


 ゼナーユが少女の顔に手を添える。

 少女の右半面は溶け、中から灰色の垂れた皮膚が覗いていた。


「おや。さすがに長持ちはしませんね」

「私は変装してないほうが好きだなー」

「はっはっは、照れますね」


 少女の控えめな反応にゼナーユは口を結んで笑う。


(んー、けっこう本気なんだけどなー……)


 これもゼナーユの趣味だと言うと本人が怒るため、純粋な愛情であることを断言しよう。これに関しては邪気などない、数奇な運命の一部である。


「では、行きましょうか」


 少女は沸騰するように変容し、体格は3倍近く、肌は灰色で痩せこけた魔族――宿老、ジアメンスへと姿を戻した。


 本来のジアメンスを隣にして更に気分を良くしたゼナーユは腕を上げて一回転する。


「イェーイ! レッツゴー! ペルフェリア~!」


 行き先はペルフェリア。

 未だ戦火の跡が残る穀倉地帯に、2人の魔族が矛先を向けた。


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