ワワワ・ワールド・モラトリアム

第7話 グランノットの戦い ③

　ドラガと交戦中のカミロを殺すため、騎士王イエルカが森を駆けている時だった。

　視線――木と木の隙間から覗く巨躯の双眸（そうぼう）。

　イエルカが気づいたときには既に消えていたが、同時に彼女は頭上に浮遊するその者を見逃さなかった。

「あれっ、ワルフラ。どうしたの？」

　迷わず砕けた口調になるほど、イエルカは正確に魔王ワルフラの存在を察知していた。

　事前情報には一切なかったワルフラが、当然のように姿を現したのだ。

「我輩はドラガを殺（や）りにきたんだけど……どうやら、ナイスなタイミングっぽいな」

　ワルフラは腕を組み、クスクスと笑いをこぼす。

　この駒（こま）たちが揃ったということは、ある配置が実現できるということ。それは理想的かつ現実的。

「あ～……」

　イエルカはあまりの好都合に苦笑いした。

　『私と君が対戦相手を入れ替えるのだな？』という意味で、両手の人差し指をクルクルさせる。

「へへっ」

　イエルカはドラガを、ワルフラはカミロを。

　そうすれば全てが丸く収まってしまう。

　丸く収まる……はずだった。

「……クッ…………フフハハハハハ」

　揺らめく光に照らされて笑っていたのはただ一人、ドラガだった。

「凍らせて持ち帰っちまうか……」

　ドラガの目の前、戦場に出来上がった焼死体。炎が逆巻き、熱が包む。ドラガに記念トロフィーを作る趣味はないが、今回ばかりは特別だ。

　何せ、あの騎士王イエルカを殺したのだから。

　歴史に刻まれる偉業だ。焦土と凍土が入り混じる戦場で、最後に立っていたのは魔王軍四天王ドラガだった。

　ドラガは温度を下げようと、燃え盛る死体に近づく。

「！」

　その瞬間、腕を掴まれた。炎の中から伸びる手に。

　さっき焼け死んだばかりの、肉体の半分以上が炭化していた屍が動き出したのだ。

　すぐに炎が鎮まり始め、眼球が動き出す。屍は人の形と鎧を保っており、炎が消えた時、イエルカは全快の状態に戻っていた。イエルカはまだ生きていた。

　イエルカの握力に腕が持っていかれそうになり、ドラガは反射的に飛び退いた。

「けっ……生きてたか」

「……」

　イエルカは何の高ぶりも見せずに炎を払い、ドラガを無視して独り言をつぶやく。

「なるほど、異名に偽りナシか」

「回復魔法か……？」

「私が焼け死んだということは数百度ではなく数千度。そうなると被害も大きい」

「おい、何だテメーは。不死身か？」

「私が大嫌いなタイプだな」

　無意味な周囲への被害は環境を、戦争を苦しめる。

　溶けて変形した剣を捨て、イエルカは一対の拳を構えた。

「だからこそ、最高だ」

　第２ラウンドが始まる。

「……けっ！　生き生きしてんなァ！！」

　ドラガの本気が放つ、浴びれば溶ける大熱波。

　大地は乾き、大気は歪んでいく。地表の亀裂からは溶岩が漏れ、とうてい生物が生きていける環境ではなくなった。

「暑い……が、まあ、耐えられん温度ではないか」

　イエルカを除いては。

　彼女は自らの汗ばむ体を見て、どこか納得していた。

　対するドラガの内心は推測に動く。

（さっきテメーを殺したのよりも高温だぞ……鎧の効果か？　いや、あれが騎士王の能力……元は円卓騎士だ。何か能力がある……）

　何の騎士だったか記憶を探るも、問題はそれだけではなかった。

（だがそれ以上にッ……！）

　恐るべきは目にも留まらぬ速度と身体性。

　ここからの攻防は目まぐるしく、自然をゆうに超越していた。

「ぅがッ！！」

　ドラガは胸部に飛び蹴りを食らって１００ｍは飛ばされた。

　飛んでいくドラガを追いかけて側面をとったイエルカが手を伸ばす。

「これが熱操作の出所か」

「！」

　ドラガの触手を一本、ブチッと千切（ちぎ）り取った。

「あと７本」

　イエルカの予想は合っている。ドラガの頭部から続く８本の触手の先端部は魔力を操る。

「だからどうしたァッ！！」

　ドラガの筋肉が膨れ上がった。

　高温がダメなら低温だ。絶対零度の冷気の奔流を広げる。

　肌を貫くような冷気がすさまじい速さで駆け巡る。焦土になっていた戦場が凍結することで地面は滑らかになり、まるで凍った水面のような場所となった。

　それでもイエルカは顔色一つ変えずに鎧の鉄靴でバランスを取り、戦場を流れるように滑っていく。

　ドラガが作った氷で矢を最低限の動きで回避し、瞬間的に背面をとる。

「５」

　両手を駆使して触手二本を同時にむしり取り、ドラガの蹴りを屈（かが）んで避ける。

　さらにイエルカは触手を二本掴み、ドラガをスイングして投げ飛ばした。

「ぐおおおォッ！！」

　ドラガは空中で３本の触手を躍動させる。温度の操作は遠隔かつ一瞬で可能。

　川の水を蒸発させて空に上げ、液体に戻して一気に降らせる。それを氷にすることでイエルカの周囲を氷で固め、動きを止めた。

　だがイエルカが少し力を込めると、体に張り付いていた氷が昇華して散っていく。

「氷は昔、受けている」

　水蒸気の煙幕をまとってイエルカはぐんぐん歩き始めた。

　その時、凍土から噴き出した溶岩にイエルカが呑み込まれた。直後に溶岩の温度が下がり、岩として固まる。

「まだまだァ！」

　ドラガはダメ押しのとっておきを創り出す。

　周辺にある全ての水分・水を集め、イエルカを封じた岩を大きく囲ませる。

　そして内部を空洞化してから凍結させ、球形の氷のドームを作る。このドームは低温で固定されているため、強い外力が加わらない限り形は変わらない。次にドームの内部に熱を凝縮させて発火。気圧差で風を起こして空洞内を炎の渦で埋めた。

　これは言うなればドラガの必殺技。

　巨大な氷で区切り、最大の炎で焼き尽くす。

　内部の温度は一万を越えるため、ドラガ自身も味方への影響を考慮して氷でわかりやすく区切ることにしている。

　人体は蒸発し、空気はプラズマに変わるだろう。

　バキッ――氷にヒビが入った。

　イエルカが中から割ろうとしている。

　ドラガは左腕を掲げ、絶対零度を注ぎ込む。

「ヴオオオオオオオオオォォォオオーーーッ！！！」

　ここでやりきらねば自分がやられる。

　ただえさえ触手３本だけで大技を使って体力の限界を迎えているのに、ドラガは氷壁の維持に全身全霊をかけることを強いられた。

　氷のドームは厚さを増し、内部の炎の光を反射させることで神秘的な様相を呈する。

　ヒビが収まった。しかし油断はできない。

「！」

　ドラガはとっさに下に目をやった。

　地面の揺れが大きい。ドラガの能力の範疇を超えた不自然な揺れだ。

　地面にヒビが入り、地中で赤い眼が光る。

　魔法の鎧が溶けて裸になったイエルカが、大地を砕いて飛び出してきた。

　ドラガはこの時、イエルカはそもそも必殺技を受けておらず、その前に下を掘って逃げたのだと思った。

　事実は違う。イエルカは必殺技を受けきった上で、下を掘って不意を突いたのだ。

　立つことすらままならぬ崩落の戦場で、イエルカは赤い長髪をなびかせた。

（君のおかげで、また強くなれた）

　必殺技を食らったことでイエルカの体内には膨大な熱エネルギーが蓄積された。

　それもこれもドラガと戦った成果だ。元々イエルカには超高温を蓄積する能力もそれを利用する能力もない。

　ただ本能の示すままに、極限まで圧縮された熱エネルギーを指先の一点から放出する。

　いくつもの閃光がはじけ、熱エネルギーがドラガの体内で炸裂した。

（そうだ……思い出した。テメェの能力は……！）

　ドラガを殺せるほどの力はそうそうない。武器でも魔法でも、イエルカでさえ一撃で沈められなかった。しかし今のイエルカはそれができる。

　イカれた奴を相手取ってしまった。わずかな理不尽を感じながらドラガの肉体は一瞬で気化し、跡形もなくなった。

　カスすら残さず、四天王ドラガは消滅した。

　使いきれなかった余剰エネルギーは上空に送られ、空の彼方に緑色のカーテンを作る。

　昼間でも濃く美しく現れた、そんなオーロラの下にイエルカだけが佇（たたず）んでいた。

「……貴様の命も、世界の救いになるだろう」

　魔王との約束は果たされた。責任とか犠牲とか、全てが空に散ったような気がした。

　イエルカは強い足取りで、岩と氷でぐちゃぐちゃになった戦場を後にする。

（時間をかけすぎたな……）