2話・姉妹の会話

「えっ、アイラ!?」


 ソニアはこぼれ落ちそうなほど目を丸くする。

 ビックリしているソニアに、アイラはふふんと胸を張って見せた。


「ふふん、会いに来てあげたわよ、お姉様! 相変わらず泥臭いことしているじゃない! ……本当に泥臭いわね」

「ご、ごめんなさい、手は拭きますね……」


 土仕事をしていたソニアは首にかけていたタオルで慌てて手を拭いた。


「ああ、ほら、顔にも泥ついてるじゃない。なにやってるのよ」

「えっ、ええと、農作業を……」

「それは聞いてたし、見てたらわかる。全く、どこにいてもお姉様はドジねえ」


 ふう、と肩をすくめつつ、アイラは「貸しなさいよ」とソニアのタオルをもぎとると、ソニアの頬の泥を拭ってやった。


「あ、ありがとう、アイラ」

「……まあ、別に、お姉様のために来たわけじゃなくって、あの物騒なイケメンに用事があって来たついでなんだけど」

「えっ、物騒イケメン?」


 誰のことだと首をひねるソニアにアイラはため息をつく。


「あたし、多分これからしばらく、ここ行ったり来たりすると思うからよろしく。ついでだから、お姉様の顔を見に来てあげる」

「えっ、あ、ありがとう……?」


 おずおずとしているソニアに対して、アイラはなんだかツンツンとした様子だった。

 ふん、と鼻を鳴らすと「じゃあね」とアイラは足早に去って行ってしまう。


(……アイラ、何しに来たんだろう? 物騒イケメン……って、誰……?)


 さっさと歩いて行くアイラの背を目で追いながら、ソニアは困惑したまま立ち尽くした。




 ――そして、アイラは宣言通り、たびたびこの辺境領を訪れた。


 あの日、アイラが去って行った後、残されたアルノーツの兵士たちの様子を見ていると、どうも復興を手伝ってくれている。気づいたソニアが感謝の旨を彼らに伝えに行くと、実は彼らはただ手伝いに来たわけではなくて、本来の目的は『シャルルに鍛錬してもらうため』らしいことを知った。


(……じゃあ、アイラの言っていた物騒イケメン……って、シャルル様……?)


 どうしてそんな呼び名になってしまったのだろう、とソニアはまた別方向に困惑する。


 アイラとシャルルの接点はそう多くなかったはず。勇猛果敢にアルノーツの危機を救ったその姿があまりにも勇ましすぎて、そういう評価になってしまったのだろうか。


(シャルル様は優しくてカッコいいのに……)


 アイラはアルノーツ兵たちの様子を見に来つつ、ソニアにも会いに来てくれるようだった。


 いつも態度はどこかツンとしていたけれど、アルノーツでソニアが『落ちこぼれ』扱いされていた時よりもずっと柔らかい雰囲気になっていて、ソニアはアイラとこうして近くでお話しができることが嬉しかった。


「……なにニヤニヤしてんの」

「えっ、ううん、アイラとこんなふうにお話しするのっていつ頃ぶりかな、って……」


 思い出そうとして、トラウマである一人の人の腕を腐り落とした事件をふっと頭を過るが、それを遮るかのようにアイラが「知らないわよ」とツンとした声で言ったおかげで、ソニアは記憶に引きずり込まれずにすんだ。


(……本当に小っちゃいとき、私に……『聖女』の力がない、ってわかる前は、こういうふうにお話ししてたことがあったかな)


 アイラは童顔なので、幼いときの面影が強く残っている。妹のまだ丸みのある頬を眺めて、ソニアはふふと微笑んだ。


「ふんっ、言っとくけど、あたしがお姉様にこうやってこまめに会いに来ているのはあくまで兵士たちのついで! それと、聖女の力の補充のためなんだからねっ」

「えっ、そ、そうなの?」

「当たり前でしょ、そうでもなきゃお姉様にわざわざ会いに来ないわよ」


 アイラはふいっと顔を背けてしまう。


「シャルル様は辺境領の位置くらいの距離なら問題なく力を使えるはず、って言ってましたけど……」

「……あー。言ってたわね、あの物騒イケメン。問題ないくらいなら使えるけど、やっぱこうやって直に会った方が力が……って、別にいいでしょ、細かいことは!」

(あ、やっぱり、物騒イケメンって……シャルル様のことなんだ……)


 ソニアは苦笑しながらシャルルの顔を脳裏に浮かべる。思い浮かぶシャルルの表情はいつも爽やかに笑っていて、物騒とはとても結びつかなかった。


「ねえ、どうしてシャルル様が物騒なの……?」

「物騒よ。アイツ、結構おっかない男だと思うわ。アイツのせいで悪夢を見るみたいで、お父様もよくうなされててうるさい、ってお母様が言ってたわ。こないだのなんか届いた手紙を見て、一人で青い顔してたし」

(……シャルル様の交渉がそんなにおっかなかったんでしょうか……)


 そんなにうなされるほど……? と父の立場がわからないソニアは首を傾げる。

 アイラは腰に手をあて、ため息をついた。


「まっ、お姉様は大事にされているようだからわかんないかもね。お幸せで羨ましいわ」

「そ、そ、そんな、でも、シャルル様は本当に優しくって……」


 ふーん、とアイラは頬杖をつきながら鼻を鳴らす。


「結婚して大分経つけど、いまでも『毎日寝てる』の? ま、さすがにもう新婚じゃないし、忙しそうだからそれどころじゃないか」

「え? シャルル様は忙しくても毎日ちゃんと寝てますよ」

「んん?」

「ん?」


 いまいち会話が噛み合わない気がして、ソニアとアイラは揃って怪訝な表情を浮かべた。

 まるで鏡あわせのように片眉をあげて、見つめ合う二人だったが、先にハッとした顔になったのはアイラだった。


「……えっ、まさか……。お姉様と、あの物騒イケメンって……まだなの!?」

「あっ、アイラ、声がおっきい!」


 周りに人影は見えないとは言っても、ここは畑。外だ。


 ソニアはシャルルとの住まいのすぐ近くに小さな畑を設けて、『特に聖女の力を使おうと意識せず、農作業を行なった場合、作物の生育にどれほど影響を与えるのか』を試していた。ようは、裏庭のようなところで行う家庭菜園程度の規模の畑である。

 たまに様子を見にきてくれる人が訪れることはあるが、基本的にはここは人気のない場所だった。だが、それにしても、大声で叫ばれるには些かセンシティブな話題である。


 慌てて「しー!」とアイラに示すソニアだったが、あんぐりと口を開けたままアイラは高い声で叫んだ。


「嘘でしょ、いくらなんでもそんなに初心ってことはないでしょ、お姉様!? なにカマトトぶってんの!?」

「そ、そう言われましても……」

「『寝る』って言ったら……そっちの意味でしょ!?」

「ね、『寝る』って言ったら……夜は……寝る……」


 もじもじと両手の指を突き合わせながらソニアが答えると、アイラは天を仰ぎながら「はー」と特大のため息をついた。


「あたし、前に来たときに『オレとソニアは毎日一緒に寝てる』って言われたんだけど……」


 どういうこと? と困惑しているアイラに、ソニアはちょっとはにかみ答える。


「うん。毎日一緒に寝てるのは本当ですよ。でも、その、えっと、そういうのは……」

「一緒に寝てんのになにもしてないの!?」


 また大声で叫ばれ、ソニアは慌てる。


「……引くわー」

「ええっ!?」


「ちょっとあのイケメン、見る目変わるわ……。ぶっちゃけ、引くわ……」

「えっ、なんで!? そ、そんなに!?」

「いやあ……それ、アレなんじゃないの……。不能とか……。や、あの見た目で不能とか、ウケるけど……」

「ア、アイラっ」


 あんまりに明け透けなことを言い出すアイラにソニアは絶句する。

 アイラはなんだか「そうかー」と半目で眉をひそめていた。


「あっ、あの、多分、その、私が……そういう魅力がないだけで……その……」

「まあ、知らないけどさ。お姉様がそういうことしたいんだったらとっとと誘ったら?」

「さそ……!?」


 今度こそソニアは硬直する。

「あーあ」とアイラはため息をついた。


「お姉様はお嫁に行っちゃったんだし、あたしもとっとといい男捕まえて跡継ぎ生まないと。聖女は聖女の勤めがあるからあたしは王にはなれないし。お父様みたいなのじゃなくて、ちゃんとまともな男見つけてこれないとアルノーツ王家滅んじゃうわ」

「……アイラ……」


 ちゃんと国の未来のことを考えているんだ、とソニアは素直に感心する。そういえば、小さいときからアイラはずっと責任感が強かった。


「アイラだったら女王様も似合いそうなのに」

「あたしがやっていいならとっくにお父様なんか王座から引きずり下ろしてやってるわよ。はあ、誰かいないかなあ、いい男」


 憂いた横顔は童顔のアイラにしてはどことなく大人びて見えて、ソニアはドキリとする。


「アイラ、聖女の勤めは忙しいんじゃない? それにくわえてティエラリアにも通ってきてて……疲れてない?」

「……ふん、体調はすこぶるいいわよ。誰かさんのおかげでね?」

「……シャルル様?」

「なんでよ!? お姉様に会うと力が漲ってくるから……って、なに言わせんのよ!」

「え、ご、ごめんなさい」


 てっきりアイラもシャルルに簡単な体操みたいなものを習っていて、それで調子がいいということかと考えていたソニアは素直に驚く。


「……ふん、お姉様はほんっとう、嫌味なくらいどこにいっても、なにをやってても変わんないわね」

「え、ええと」


 褒められているのだろうか、不機嫌そうな様子だから、けなされているのだろうか。ソニアはきょとんとして頬を小さくかいた。

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