第42話・エピローグ

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 ウロボスたちが暮らしていた大地の民の里はティエラリア王国の辺境領として生まれ変わった。


 ウロボスの説得のさい、シャルルが語っていたように元々の大地の民の集落として再建予定であったところを『ティエラリアの土地にしてくれ』と進言したのはウロボス自身だと言う。

 ハッキリと答えることを嫌う彼に問うことはできないが、彼はあの時にいろんなものに見切りをつけたのだろう。


 辺境伯に就任したのは王弟であるシャルル。復興はまだ途中であるが、すでに住まいをこの地に移し、彼が指揮をとり、復興の最前線に立っている。


 復興には国内外から協力者が集まってきてくれていた。

 アルノーツからの復興支援の金銭、物資の寄付は特に多かった。魔物の出没に困り果てていたときに現れたソニアたちがまさに救世主のように思えたらしい。


「……シャルル様!」


 シャルルが物見台の上から復興途中の様子を眺めていると、金色の長い髪を風にたなびかせながらソニアがかけて来た。

 軽く手を振って見せると、ソニアは両腕を大きく振って、そして声を張り上げる。


「シャルル様! ラァラが産気付きました!」

「……! そうか、すぐに行く!」


 すぐさまシャルルは物見台を降り、呼びにきてくれたソニアと共にかけていった。




 フェンリル厩舎の一角に設けられた分娩房。

 荒い息遣いのラァラと、フェンリルの分娩に慣れた世話役、そしてラァラの夫のシリウスと子どもらがいた。


「フェンリルはつがいへの愛情が深いから、妻がお産の時は必ずこうしてそばで付き添うんだ。付き添うことができなかった雄のフェンリルはショックで寿命が縮む、とも言われている」

「そうなんですね……」


 シャルルたちが到着してまもなく、ラァラのお産は始まった。


 すでに三匹の子を産んだことのあるラァラの出産は世話役によると、とてもスムーズだったらしい。

 ラァラが苦しげな表情と声を漏らしたのは一瞬のことで、無事子が腹の外に出てくると、すぐに嬉しげに目を細め、生まれたての我が子を全身くまなくぺろぺろと舐めた。


「ラァラ……! おめでとう!」


 お産が終わるとすぐにシリウスはラァラに駆け寄り、労うようにラァラの首の辺りに頭を擦り付ける。シリウスの瞼は開き、黒い瞳がしっかと我が子と妻を見つめていた。


「……シリウスの目がまさか治るとはな」


 ぽつりとシャルルが呟く。


「は、はい。前からよく瞼のあたりを触られたがるな……とは思っていたんですが……。……シリウスは、こうしたら治るかもしれない、って思っていたんでしょうか」

「フェンリルは俺たちの何倍も敏感だからな、何かは察していたのかもな」


 シャルルは目を細めて、ラァラのそばに寄り添っているシリウスの頭を撫でる。シリウスもぐるるるると気持ち良さげに喉を鳴らした。


「ラァラの目の古傷も消せたらよかったのですが……。もう傷自体は完治しているからでしょうか、これは消えませんね」

「まあ、ラァラ自身は傷が残っていることもそう気にしていないからね。大丈夫だよ、気にしてくれてありがとう。君はやっぱり優しい人だな、ソニア」

「そ、そんな息するように褒めないでください」


 ソニアは赤い顔で手を横に数度振った。


「……あの、フェンリルってみんな子どもをたくさん持ちたがるものなんですか?」

「いや。最低でも一回は出産を経験させてやったほうが年老いた時に身体が悪くなりにくいから、一回はなるべくそうするようにはするんだが、ラァラが子だくさんなのは……フェンリルだから、じゃなくて、ラァラの性格だな」


 ちら、とラァラの方を見ると、夫シリウスが嬉しげに鼻先を突き合わせていた。


「……シリウス本人よりも、ラァラの方が目が見えるようになったことを喜んでいるのかもな」

「ふふ、そうかもしれませんね」


 新しい命も誕生し、シリウスとラァラ夫妻はますます夫婦仲睦まじいようだった。


 ◆


 フェンリル厩舎を出るなり、バッタリ会ったのはかつての集落の長、ウロボスだった。


「おう、フェンリルが子を産んだんだってな。精がつくもんを持ってきた、食わせてやれ」

「こっ、これはウロボスさんが!?」

「もう猟銃はさすがに使えねえよ、罠だ、罠」


 ドサッと手渡された袋の中身を覗くと、獣の大きな塊肉がゴロゴロと入っていた。ソニアが感嘆の声をあげると、ウロボスは首の後ろを掻きながら少しため息混じりに答えた。


「私、さっそくラァラに渡してきますね!」


 ソニアはトンボ返りでフェンリル厩舎の中にかけていく。


 その背を追いながら、ポツリとウロボスが呟いた。


「……あの娘とアンタとの子はどうだかな」

「え?」


 シャルルはわずかに目を丸くし、ウロボスを見る。


「伝承通りで言えば、アルノーツの土地で生まれてくることが『聖女』の力を持つ女児が生まれてくる条件なのか、それともアルノーツ王家の血を引いてりゃいいのか、微妙なとこだろ。あんま聖女の力に頼ってても聖女が次代にも生まれてこないんじゃあドン詰まる」

「……肝に銘じているよ、ウロボス」


 ウロボスが言うのは、大神がアルノーツ王家に生まれてくる女性に特別な『祝福』を与えるのは、アルノーツの大地に眠る土地神が大神の最愛であったからという伝承のことだ。

 ソニア自身には過剰すぎるほどの聖女の力が宿っているが、彼女がこのティエラリアの大地で子を産んでも、その子は『聖女』の力を持っていないのでは、ということをウロボスは言っているのである。


 シャルルはもちろんその可能性は考えていた。

 むしろ、聖女の力は引き継がれない前提で考えている。


 シャルルは山の向こう、国境を越えた先にあるアルノーツのほうを眺めながらウロボスに答えた。


「我々は祝福のない寒い大地には慣れている。俺たちのこの一代で急に暖かな世界でないと生きていけないという風にはならないはずだ。彼女の力があるうちに、少しでも良い次代に繋げられるように頑張るよ」

「……フン」


 ウロボスは鼻で返事をすると、さっさとどこかへ消えて行ってしまった。


 ただ、遠くからまだ声変わりをしていない男児の声が「じいちゃん!」と彼のことを呼ぶのが聞こえた。




 シャルルの読み通り、この国境沿いの地にソニアがいれば、アルノーツにも『聖女』の加護がいくようだった。アルノーツでの魔物の騒ぎは聞かない。


 ティエラリアは元々魔物が多い土地だからか、ソニアがいても完全に魔物がいなくなる……ということはなかった。だが、それでも以前と比べれば格段の差だ。


 寒く、人が生きるのに厳しい土地だったティエラリアで、明るく笑って過ごせる人が増えている。


 なるべくこの時間が長く、末長く続くようにとシャルルは祈るように胸に誓うのだった。


 ◆


(……いまさら、かもしれない。言い出すタイミングも見つからない、となると、今、言うしかないのでは……?)


 夜を迎えて、ソニアは相変わらずシャルルと同じベッドの中で横になっていた。

 相変わらず、というのはソニアが偽りの花嫁として彼に嫁いだその日以来ずっと毎日彼と床を同じにするのが習慣となっているから、である。


 住まいが王城から、復興途中のこの地に移ってからもそれは変わらなかった。

 このベッドは王城のベッドよりもだいぶ小さかったが、それでも二人は一緒に寝ていた。


 が、そのようなことはいままでなにもなかった。


 だが、もうすでにシャルルとソニアが結婚して二年が経っていた。周囲から「そろそろ……」と言われることが増えてきた。


(ふふふふ、夫婦なのだから、そうなのですけど!)


 年のわりに初心なソニアはそう問われるたびに冷や汗をかきながら愛想笑いを浮かべていた。


「あ、あの、シャルル様」

「うん……? どうした?」


 すでにウトウトしていたらしいシャルルの声は低く、少し枯れていてソニアはどきりとする。


「あの……そういえば、私、あの、『聖女』だったみたいなんですが」

「うん、そうだね」

「ですので……私たちの婚姻も、正当なものとなるわけですが……」

「ああ」


 なにをいまさら、というふうにシャルルは怪訝な表情を浮かべる。


「は、初めのうちは、私が本物の聖女かわからず、元敵国から嫁いできた立場の危うい存在ということで、シャルル様に匿っていただくという意図で同衾させていただいておりましたが……今は……」

「はは、ちょっと懐かしいな。最初はそうだったね」

「はい、でも、その、い、今は、名実ともに……ふ、夫婦です、よね?」

「ああ、君は俺の妻だよ」


 キッパリと答えるシャルルに気恥ずかしさとともに頼もしさを感じるソニアは、赤らんでいた頬をさらに赤くして俯く。

 ここまで言ったのだから、とソニアは覚悟を決めて、俯いたまま、小さな声で言った。


「……その、とても今更と思うのですが……『初夜』って、するんでしょうか……」


 シャルルは一瞬虚をつかれたように、ぽかんとしたが、すぐにいつものように微笑んでソニアの頭を撫でた。


「そんなの、大した問題じゃないよ。俺たちはもうとっくに立派な夫婦なのだから、そんなのはいつだっていいだろう」

「そ、そうなのですか?」


「まあ、周りはそろそろ世継ぎだのなんだの気にする時期ではあるよな」


 シャルルは形の良い眉を片方だけ歪めた。

 シャルルもソニアのように周りから「そろそろ……」と言われる機会は増えているのだろうか。


「……俺は君が好きだよ。俺は君のことが好きだから、君に触れていると幸せな気持ちになる」


 優しく頭を撫でていたシャルルの手が、ソニアの後頭部にまわる。

 シャルルはやんわりとソニアを自分の身に引き寄せて抱きしめた。


「……とても幸せなんだ。だから、君にも同じように感じてほしい。まだ……君は俺のことをそういう意味で好きじゃないのに、それをしてしまうのはもったいない」


 え、とソニアは思ったが、それは声に出ないまま、シャルルの甘い声が続いた。


「俺がこうして触れただけで、君が幸せな気持ちでいっぱいになってくれるようになったら……」


 含みを持たせたシャルルの囁きに、ソニアはドキドキとしながら言葉の続きを待ったが、しかし、それは続いてこなかった。


 シャルルはソニアの赤い顔を見ながら、ニコと微笑んだ。


「いつか君に、俺のことが好きで好きでしょうがないと言わせてみせる」

「ええっ!?」

「そういうことになるのなら、それからだ」


 そう言うシャルルは、なぜだか楽しげだった。

 ソニアは言葉を無くした。


(もうすでに、好きで好きでしょうがないんですが……?)


 もうとっくにソニアはシャルルのことが大好きだ。

 シャルルもとっくにわかっているものだと思っていたのに、まさか。


(わ……私、あの時好きなところ聞かれて『顔』って言っちゃったから……!?)


 いままでのやりとりを思い返したり、今からでも「大好きです』と言おうか、ソニアが悩んでいるうちに、シャルルはソニアを抱きしめたまま眠りについてしまったようだった。


「…………」


 シャルルの厚い胸板におでこをくっつけながらソニアは小さな声でシャルルの好きなところをぽつぽつと挙げていき、そして最後に「大好きです」と呟いた。


 眠りの深いシャルルにそれが届いたかはわからないが、二人はこの地で末長く幸せに暮らした。




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一章はこれで完結です。最後までありがとうございました!

たくさんフォローや星をいただいてとても嬉しかったです。今は二章を書き溜めしているので、執筆の励みになりました。


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