第28話・眠りをもたらすのは
「あ、あの」
ウロボスの丸い背にソニアは声をかける。
ウロボスの反応はない。
ソニアは胸の前で拳を固め、一歩近寄り、口を開いた。
「長老様。あなたがどれほどこの土地を愛していらっしゃるか、私には想像してもし尽くせぬほどかと存じます。あなたが亡くなれば、この土地に宿る神も悲しまれるでしょう。大地の民の伝統と意志を後に伝えるためにも、見えている脅威からは逃げるべきだと……」
「……アンタ、このへんじゃ見かけない髪色だな。……アルノーツの生まれか」
「は、はい」
ウロボスは振り向かないまま低い声で言った。
「王弟がアルノーツから花嫁を迎えたそうだな。……ってことは、つまり、アンタ。『聖女』か」
「あっ、いえ、それは、その、色々とありまして」
「……ソニア。君が『うん』と言いにくい気持ちはわかるが、ここはとりあえず『はい』と言っておけ」
「は、はい」
慌てて首を振るソニアだったが、シャルルに促され、据わりが悪いと思いつつも、『聖女』ということを肯定した。
「『聖女』様らしくご立派なこと言うじゃねえか。さっきも言ったろ、オレはこの集落が雪崩で潰れるのは運命だと思ってる。こんな小さな集落で生きていくなんてジリ貧だ、終わらせるのにいい機会なんだよ」
「……終わらせる……」
「だが、オレは終わった後に生まれ変わったこの集落の姿を見たくねえんだ。この集落と共に死にたい。そう言ってんだよ」
「……ティエラリアに属してほしいとは考えていない。まずは自分の生命を優先して欲しい。大地の民としてこの土地が続いていくことを我々は応援する」
シャルルは落ち着いた声音でそう伝えるが、しかし、ウロボスはハッ、と嘲笑う。
「アンタがどう思ってようが、もう無理なんだよ。もうこの集落のままではいられねえ」
しわがれた声でウロボスは吐き捨てる。
(……集落の限界。それは雪崩で潰されるから、ではなくて……もう時代的に独立した集落ではいられないという意味……。でも、その先の姿を、この人は見たくない。……それくらいなら、自然のなりゆきに任せて、集落と共に死にたい。そういうことだわ)
シャルルとソニアは二人揃って口を噤む。
この人にかけてやる言葉はこれ以上は浮かんでこなかった。
しかし、この時、静まり返る部屋の中に似つかわしくないバン! という音が響いた。勢いよく横開きの扉が開かれる。
あのウロボスすらも思わず扉を振り返っていた。
そこには、ウロボスの幼い孫息子がいた。
「――じいちゃんのバカ!」
目には大粒の涙を浮かべ、真っ赤な顔で唇を噛み締めている。
ずっと近くにいてやりとりを聞いていたのだろうか。
「バカ、じいちゃんのバカ! いいじゃねえか、伝統だの信仰だの、なんか、よくわかんねえの、そんなの! おれたちはずっとティエラリア王国から支援受けてただろ! おれが今着ている服だって、ティエラリア王国から送られてきた服だぞ!」
「……フン」
「今よりいい暮らしになることの何がわるいんだよ……! ちゃんと逃げて、もっと長生きしようよ……」
「お前らにまでオレの矜持を押し付ける気はない。お前たちは好きにしろ、オレが死んだあとに、この集落もティエラリア王国の一部になって、いい暮らしをすればいい」
「ちげーよ、そういうこと言いたいんじゃねえよ、逃げればいいのになんで逃げないんだよ。生きてまた帰って来ればいいじゃねえか、そこのえらいひとだって、別にティエラリアにならなくてもいいって言ってんのに、なんで……」
「……」
ウロボスは答えず、深いため息をついた。
「……おい、コイツら、今日王都に連れてくんだろ。とっとと連れてってくれ」
「! じいちゃん……」
シャルルとソニアはなんとも言い難い気持ちを抱えながら、ウロボスの言葉に従い、孫息子を宥めながら長老の家を出た。
◆
家を出て、フェンリル騎士団が待機している場所まで長老の家族を連れ立って戻ってきたソニアとシャルルは項垂れた。
ぽつりと、ソニアは俯きながらつぶやいてしまう。
「……なにも、響きませんでしたね」
「そうだな。……彼がここに残りたがる理由は……雪崩よりも、もっと根深い。もう少し、俺たちが彼らといい交流ができていれば……」
「……無駄だよ、あんなこと言ってるの、じいちゃんだけだもん。他のみんなは、ティエラリア王国のこと、好きだよ……」
「……そうか」
シャルルは村長の孫の頭を撫でた。
ともすれば、ティエラリア王国に信頼を寄せる集落の住人たちを見ていたことで、彼は先ほど話していたような思いを抱えるようになったのかもしれない。
シャルルはつい眉間にしわが寄った。
「おれ、わかんないよ。なんで国がどうとか、集落がどうとかこだわるの? おれたちの生活ってそんなにかわる? おれ、集落のことは好きだけど、みんなが生きてるなら別に集落の名前が変わったってなんだっていいよ」
「そうだな……。俺も君と同じようなことを思うけど、おじいさんが大切にしているものはちょっと違うのかもな」
「……わかんないよ、みんなで生きてたら、それでいいのに……」
少年はそう言うと、膝を抱えて座り込んでしまった。
「……シャルル様。いつ出発いたしましょう」
「……そうだな、荷物の確認をしたら、もう、出ようか」
シャルルの指示を仰ぎにきたフェンリル騎士団員は「ハッ」と威勢のいい声と共に敬礼すると、周囲の団員と協力し動き始めた。
もう行ってしまうのか、と物悲しさを感じつつ、ソニアは集落を眺める。
もう長老以外の人間はいない集落。
風がいつもよりも冷たく感じられた。
(最近は、暖かい日も増えてきたのに……)
近くにいたフェンリル達も、ソニアの気持ちに呼応するかのようにウゥーと遠吠えをしていた。
――いや、違う。
一度や二度ではない。明らかにおかしい頻度でフェンリル達は鳴いていた。
そのうちのラァラとシリウスはシャルルに向かって、「バウ!」と険しい声で大きく吠えた。
「ラァラ、シリウス、これは……」
「……――シャルル様! 大変です!」
「! どうした!?」
ラァラたちに問いただす前に、騎士団員が走ってやってきた。
「あちらの方角の雪山から……魔物の群れが!」
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