第27話・大地の民、ウロボス

 大地の民。


 ティエラリア王国は国としての歴史はまだ浅い王国だ。

 魔物の数が多く、雪が降り積もる大地は人が生きるには厳しい環境で、かつて、今のティエラリア王国の領土の各地に散らばる形でいくつかの小さな集落があり、人々はそこで細々と暮らしていた。


 人々の共通項はみな、人の暮らしに寄り添ってくれた魔物・フェンリル、その神を信仰していたこと。


 ある時、ある一つの集落の民が各地の集落に呼びかけ、協力して生活し合うようになり、それがティエラリア王国の母体となった。


 だが、ティエラリア王国の設立をよしとしない民たちがいた。

 それが『大地の民』だ。

 大地の民の集落はティエラリア王国の領地内にありながら、王国政権から完全に独立している存在だった。




「その大地の民が暮らす集落が、もしかしたら雪崩で完全に潰されてしまうかもしれないんだ」

「そ、そんな……」

「フェンリルたちは不思議と山で何が起こるかを予期することができる。フェンリルたちは雪崩を予期した、具体的な時期こそハッキリしないが、一ヶ月もしないうちに必ず雪崩は起きてしまう」


 シャルルは浅く首を横に振る。


「今、避難を促していて……。すでに集落に住まう民のほとんどは王都に招くことができた。だが、集落の長老だけはどうしても集落を離れたがらなくて。……ティエラリア王国への反発心も強いんだろう」


 ソニアはまだティエラリア王国の歴史に明るくはない。

 だが、設立当時から自分達の文化を大事にし、王国に属することを拒んだ民たちの誇りは想像することはできた。


「彼らはティエラリア王国の国民というわけではない。その土地の民としての意志は尊重してやりたい気持ちはあるんだが……わかっている危機をそのまま見過ごすのも、心苦しいものがある。今日もフェンリル騎士団のみんなで話し合ったんだが……」


 これだという策はついぞ出なかった、とシャルルはため息をついた。


「そうなのですね……」

「次の交渉が最後だな。……それでも拒否されたのなら、俺たちも、これは自然のなりゆきと見守るほかない」


 ソニアはシャルルの切なげな表情を見て、胸がずきりと痛んだ。


 彼には自分の生命以上に大事なものがあるのだろう。

 ソニアには想像もつかないほど、己の生まれ育った文化と大地に大きな愛着がある彼の胸中を思い、ソニアもシャルルと同じように切ない気持ちになった。


「最後の交渉はどなたが……」

「俺が行くつもりだ」


 では、とソニアはしっかりとシャルルを目を見ながら切り出す。


「シャルル様。私も……最後の交渉に一緒に行ってもいいですか?」

「ソニア」

「私が何かできるわけではないですが……。もしも私の一言がきっかけとなるならそれ以上のことはありませんし、もし何も変わらなくても、大地の民として生き抜いた彼の最期を見た一人となりたいです」

「……そうか。君のその考え方、俺は好きだよ」


 シャルルは表情を和らげ、ソニアを見つめた。

 そして、ソニアの頭を優しく撫でる。


「ど、どうして撫でられているんでしょう」

「すまん、なんだか無性に愛おしくなって」

「……なぜ……?」


「君は元々優しい人だと思うけど、君の口から『提案』が聞けたのが俺は嬉しいよ」


 傍らにいたフェンリルたちはウゥーと甲高い細い鳴き声をあげた。

 


 ◆


 大地の民の集落は王都からは離れていて、フェンリルの足で四日ほどの距離があった。

 ティエラリアの王都よりも、むしろアルノーツ国の国境のほうが近い。


 シャルルはこの辺りはアルノーツ国の加護の恩恵があるのか、国内でも魔物が少ない地域だとソニアに語った。


「……大地の民には独自の『聖女信仰』があると聞く。だから、もしかしたら君の言葉なら響くものがあるかもしれない」

「せ、せいじょしんこう!?」

「山の向こう……つまりはアルノーツだが、山の向こうの乙女が自分たちを守ってくれているのだ、という言い伝えがあるとか。はるか昔には君の国と彼らの間に良い交流があったのかもな」


「そ、そうなのでしょうか……。……とはいえ、私は聖女ではなくてむしろ偽物として送り込まれた女ですので、かえって神経を逆撫でしてしまうかもしれませんが……」


 あくまでシャルルに付き従っていた一般女性であるという体でいこうとソニアは心に決めた。


 シャルルとソニアはフェンリルのシリウスとラァラに乗り、集落を目指した。二人の他、数名のフェンリル騎士団員も同行している。


 数日間の行程を経て、たどり着いた集落。

 すでにほとんどの住民は避難を終えて、今は避難を拒否している長老の一家がまだ残っているのみだ。


「……今日、長老がよい返事をしなければ家族だけでも連れて行く予定だ」

「……はい」


 重々しいシャルルの声に、ソニアも静かに頷いた。


 集落はさほど大きな規模ではない。長老の家は集落の中心に建てられていた。

 シャルルたちを迎えたのは長老家族の息子夫妻とその孫だった。


「父はこちらに。……我々家族が訴えても、父は……」

「……ありがとうございます。あとは、われわれが……」


 長老の息子は首を振り、悔しげに顔を歪ませていた。


 シャルルは彼の案内で、長老が控える部屋に入った。


 大地の民、その長・ウロボスは齢八十を越える男だった。


 ウロボスの顔じゅうには深いしわが刻まれ、瞼は重く垂れ下がっていたが、その眼光は鋭く、シャルルとソニアへの警戒心をあらわにしていた。


「……ここは雪崩で潰されてしまうかもしれない。今この時だけでいいんだ、王都に避難していただきたい。その後の復興作業はもちろん手伝う」

「……避難? 手伝う? 何を言う。オレはこの大地で生まれ育ってきた。自然に抗ってまで生きながらえていたい生命ではない。雪崩で集落と共に死ぬのならオレはそれが本望だ」


 シャルルの説得をウロボスはハナから聞く気がないという様子だった。


「あなた以外の大地の民は、みな避難することを選んだ。あなただけなんだ、みんなも、あなたがこのまま生命の危機に晒されていることを心配している」

「ここが雪崩で潰れるというのなら、それはこれがこの集落の運命だ。再興する? ……ハッ、笑わせる。みな、貴様らが作った国ティエラリアに憧れている。もう一度同じように家を建てたところでもうそれは大地の民の集落ではない。次に家が建ち、避難した民がここに住んだら、ここはティエラリア王国になっているんだろう?」


「我々はあなたたちの意思を尊重する。あなたたちの集落をティエラリア王国として再建しようとは思っていない。ティエラリア王国での保護を拒むのならば、なにも避難先は王都でなくてもいいんだ、とにかくここではないどこかへ逃げて生命を繋いでほしい」

「……オレはここで大地の民として死にたいんだ。放っておいてくれ、ほら、わかったならさっさとオレの家族たちを連れて国に帰りな」


 ウロボスは頑なで、一度もシャルルの顔をろくに見ないまま背を向けてしまった。


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