第3話・生贄は選ばれた

「そうだ、お前が行けばいい」


 ソニアはアルノーツ王家に産まれておきながら、『聖女』の力を持たない女だった。


 ソニアが祈れば草木は枯れ、人の傷を腐らせる。本来であれば聖女が祈れば花は咲き乱れ、木々は豊かな実を実らせ、傷ついた人を癒し救えるはずなのに。

 アルノーツ王家はソニアの存在を認めなかった。ソニアよりふたつ下の妹、アイラは『聖女』と呼ばれるにふさわしい乙女だったので、父も母も、仕える従者たちでさえ皆、ソニアを蔑ろにして聖女アイラをかわいがった。


 聖女の存在のおかげで富と平和のあったアルノーツは北に位置する貧しい雪国ティエラリアに攻め入った。ティエラリアは一年のほとんどを雪と共に過ごす痩せた土地の王国だ。しかし、領土は広かった。また、世界でも有数の魔石の生産地でもあった。アルノーツはそれを欲しがった。アルノーツの持つ聖女の加護さえあればこの痩せ切った土地すらも豊かにできる、いや、してやろうではないかという慢心で侵略しに行き、そして敗北した。

 ティエラリアには魔物が多く出没し、兵は戦い慣れていた。ティエラリアの大地にのみ生息する『フェンリル』という家畜化した大型の魔物も駆使し、ティエラリアは終始圧倒的な優勢を保ち続けていた。


 さて、敗戦国アルノーツは降伏を求められた。ティエラリアが示した和睦の条件はアルノーツ王家にのみ生まれるという『聖女』をティエラリア王家に嫁がせること。聞き入られなければ、今度はティエラリアがアルノーツに攻め込むと言われ、アルノーツは苦渋の末、この要求を受け入れることとなった。


「あたし、いやよ! 絶対! あんな雪しかない貧相な国になんて行きたくない!」

「おお、かわいそうなアイラ! 神の愛し子アイラが、あんな魔物と共に住む野蛮な国に行くだなんて……」


 聖女アイラとその母マルガレータは抱き合っておいおいと泣いた。アイラはひとしきり泣いて鼻を啜ると、「そうだわ」と今度は鈴を転がしたような愛らしい声で言ったのだった。


「……アルノーツの姫はもう一人いるじゃない! 姉様! 姉様がティエラリアに行けばいいのよ!」


 家族の集まる居間で、従者を含めたみなの視線がソニアに集まった。ソニアはポカンと青色の瞳をぱちくりとさせるが、周りの人はみなアイラの言葉に「そうだそうだ」と頷き高揚し始めた。


「――そうだ、お前が行けばいい」

「お、お父様。しかし。かの国が求めたのは『聖女』でしょう? 私には聖女の力は……」

「『聖女』の力はないが、お前にも一応奇跡の力はあるじゃないか。『厄災』の奇跡の力がな! ハハッ、お前がアルノーツ王家の娘であることは嘘じゃないんだ、特別な力だって持っている。……では、お前を花嫁として送り出すことに不足はあるまい?」

「そうよ、あなたは長女ですもの。次女よりも長女を差し出す方が誠意を見せられるというものよ」


 一度たりとも長女としてアイラよりも優先して教育を受けたことなどないソニアは母の言い分に困惑する。ただアイラよりも早く生まれてきたというだけで、ソニアには王女としての教養もなければ自覚も、自信も、品性もない。何も教えられてきていないし、何も与えられてきていなかったのだから。


「よし、決まりだ。おい、マルコ。話は聞いていたな。早速ティエラリアに返事を出せ。こちらからはアルノーツの第一王女を差し出すとな!」

「かしこまりました」


 ソニアは息を呑む。かの国に嘘をつこうとしている――私を偽りの聖女として送り込もうとしている。国を略奪せんと侵攻してきた敗戦国に対して譲歩しようとしてくれているのに、こんな不義理をすることはあってはならない。

 止めなければ。しかし、ソニアにはどうしたら彼らを止められるのかがわからなかった。ソニアには知恵がなかった。与えられるべき教養を与えられてきていないからだ。


「……お前さえ黙っていればいい。どうせ本当に『聖女』かどうかなんてわかりっこないんだ。力を見せろと言われたらお前の『厄災』の力をこれが聖女の奇跡だと言い張ればいい。ははっ、痩せ切った大地のあの国にはお似合いだな! 元々朽ちている大地だ、お前が力を使ったところでわからんかもな!」

「落ちこぼれ聖女の姉様には痩せっぽちの王国の方がお似合いだわ!」


 父とアイラがアハハハ! と高笑いする。


「そ、そんなことをして、かの国のお怒りを買ったら……!」

「フン。そうだな……お前が罰を受ければいいんだ。それだけの話だ」

「お、お父様が、責任を問われたらどうなさるんですか」


「……この国を出たから加護を失い、聖女としての本来の力も失ったのだとでも言えばいいんじゃないかしら? そうしたら姉様を送り出した国の責任はなくなるわ!」

「おお、なんて賢い子なんだアイラ! そうだ、これでなんの憂いもない! おい、ヒルダ! この薄汚れた娘を連れてけ、輿入れまでにせいぜい見れる見た目になるよう飯を食わせて肌を磨いてやれ!」

「はい。では、ソニア王女。こちらへ」

「……ッ!」


 ガッシリとした体躯の侍女に肩を掴まれて否応なしにソニアは居間から退去させられた。――そしてソニアはティエラリアに嫁ぐその日を迎えるまで、自室から出ることは叶わなかった。


 出立の朝、慌ただしく支度をし、馬車に放り込まれて数日。アルノーツの送りの馬車は国境に到着してソニアをティエラリア王家の遣いに引き渡すと、さっさと愛想なく帰っていった。ティエラリアの従者はそれを不思議そうにしていたが、ソニアに優しく笑いかけ、柔らかい座面の馬車に乗せてくれた。ここは寒い国だからと毛布もくれた。

 温かな毛布に包まり、一週間ほどの馬車の旅を経てソニアはティエラリアの王都に到着する。


「これがアルノーツの姫か。よくぞ来てくれた」


 国王陛下に拝謁し、道中の労を労われ、ソニアは豪勢な食事と温かい湯と寝床でもてなされた。あれよあれよと接待を受けるので、圧倒されてしまったソニアはこの期間のうちに、「本当は『聖女』の力がない」とは言うことは叶わなかった。


 あっという間に迎えた王弟殿下との婚姻の日――。


(うえぇぇ、ど、ど、ど、どちゃどちゃのイケメン~!)


 ソニアは旦那となるその人、ティエラリア王国王弟殿下シャルルの容姿に度肝を抜かれていた。

 濃い銀の髪の美青年。澄んだオリーブグリーンの瞳を縁取るまつ毛などは自分よりも豊かなのではないかと思う。ティエラリアは雪が深い国だから、だろうか。まつ毛は眼球の保護の役割を果たしている。寒い国、雪が降る土地だからこそ、降りしきる雪から眼球を守るために、もしかしたら彼だけでなく、この国の人たちはみなまつ毛が発達しているのかもしれない。どうだろう。


 ソニアの思考は脇道に逸れた。

 ともかくとして、ソニアの夫となるその人、ティエラリア王国王弟シャルルはとてつもなく顔の整った男だった。


 ソニアは恐ろしくなった。

 自分のような役立たずの落ちこぼれが、いくら『生贄の政略婚』だからといって、こんな美丈夫と夫婦になっていいのか? と。


(私、死ぬのでは? いえ、殺されるのでは? 少なくともアイラには殺されそう)


 アイラは一国の王女でありながら大層な男好きだ。特に美形は大好物である。もしも婚姻相手のこのシャルルという男がここまでの美男子だとあらかじめ知っていれば妹は喜んでこのティエラリア王国に嫁いでいったかもしれない。


 ソニアはなるべくシャルルの顔を見ないように努めた。前だけ、前だけ見ていようと、視線のターゲットにしておくのにちょうどいいなと、教会の女神像を真剣に見つめた。高い位置に設置してある女神像を見上げていると自然と背筋も伸びていい感じだ。

 そうこうしているうちに、式は終わった。


 パレードも、凄まじい観衆にものすごい熱気で祝福の雨をもらい、情報量の多さに頭をパンクさせているうちに終わっていた。


 おそらく、さすがの父も国同士の結婚、それも和睦のためのものであるから、この日に合わせてティエラリアに向けて出立し、式にだけは参列していたはずだが、父がどこにいるのか探そうとする余裕もなかった。


 ソニアの意識が覚醒したのは、身体を磨き上げられ夫婦の寝室に送り込まれたその時ようやくだったのだった。

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