第4話・なるほど、そういうことですね

 朝起きると、目の前にあったのは豊かな銀のまつ毛を伏せたまぶた、通った鼻筋、形の良い薄い唇――。


「!?!?!?!?!?」


 ソニアは一瞬にして目を覚ました。


(そっ、そうでした! き、昨日、私はシャルル様からお情けを受けて一夜の延命を受けたんでした!)


 シャルルはまだ眠りについているらしい。規則的で穏やかな寝息がわずかに聞こえる。


(シャルル様のおかげで……私はこんなにフカフカであたたかな寝床で一夜を過ごすことができました……。でも、きっとシャルル様がお目覚めになったら、すぐにでも私は牢に勾留されることでしょう……)


 起きたのにいつまで経っても彼と同じ布団に入っているのはよくないのではないか。さっさとベッドから降りて、彼が目覚めるまで地に伏せ続けているのが筋ではないか? でも、私がゴソゴソとしたせいで彼を起こしてしまったらどうしよう?


「……ん?」


 などとソニアが狼狽えているうちに彼は目を覚ましたようだった。


「ああ、起きていたのか。おはよう」

「おっ、おおおおはようございますっ」


 寝起きの彼の声は少し掠れていて色っぽかった。ドギマギしながらソニアは返事をする。あまり朝に強くないのか、シャルルは目元を何度も擦っていた。


「……昨日は寝れただろうか」

「はいっ、おかげさまで……」


 受け答えの途中でソニアはハッとしてベッドから飛び降りると、床に頭をこすりつけるように平伏した。


「昨夜はお慈悲をいただきありがとうございました! この夜のことは一生忘れません!」

「君の気持ちはわかった。なんだか変な誤解を受けそうな言い方はやめようか。……いや、夫婦なのだからまあ……だが、なんにしろ誤解を招く……」

「私は貴方様と、そしてこの国に感謝の意を抱きながら死ぬ覚悟ができました。……さあ、牢へお連れくださいませ」


 ソニアが手首をそろえて差し出した両手をシャルルは目を眇めて眺める。ソニアは沈黙が耐えきれず目をぎゅうっと瞑った。

 やがて、ベッドのスプリングがギッとなる。シャルルが立ち上がった。そして、ソニアの手を自らの手で覆った。罪人に向けるものとしては違和感を覚えるほど優しく。「ん?」と首を傾げ、思わず目を開けると、眼前には困ったように笑う美男子がいた。


「……まずは朝飯とでもいかないか?」


 ……ご飯!?


 ソニアは「えっ!?」と裏返った声をあげた。



 シャルルが使用人を呼ぶベルを鳴らしてそう時間を置かず、ワゴンに乗せて朝食が運ばれてきた。


「普段はこの部屋で食べることはないんだが。まあ、今日くらいはいいだろう。ただ明日からは兄夫婦と揃って食堂で食べることになると思うから、そのつもりではいてくれ」

「私に明日があるのですか!?」


 思わず食い入りに叫んだソニアにシャルルは片眉を下げた。困ったような表情に「あ」とソニアは赤くなった頬を抑えて俯く。

 朝食を待つ間に簡単に身支度を整えてもらっていた。夜着から動きやすい簡素な――しかし色合いがきれいでかわいらしいデザインのドレスに着替えさせてもらったソニアはその時点で困惑していたが、机に並べられた湯気を立てる食材の数々にさらに困惑を加速させた。


「……シャ、シャルル様は、その、大食漢でいらっしゃるのですね……?」

「何を言うんだ、俺一人のじゃない。君の分も一緒だよ」


 ソニアは信じられない思いでますます目を丸くする。


「……私がこんなにいただいても、よろしいのですか……!?」

「ああ、量が多かったか? 食べきれないなら無理はしないで。食べ残しても城で飼っているフェンリルにあげてしまうから、無駄にはならないよ」


 罪人の私が……? とソニアは首を傾げる。

 シャルルに罪を告白する前、花嫁として接待を受ける中で豪勢な食事を用意されてきたのはまあわかる。和平の証としてやってきた花嫁を粗末な食事でもてなすわけにはいかない。

 この国に来るまで、こんなにもたくさんの料理を眺めたことがソニアにはなかった。


 ソニアが食べるのは妹と母が「いらない」と笑いながらよこす、なんなのかあまりよくわからないおいしくない料理ときまぐれに料理長がよこす硬くなったパン切れに具のないスープ。


 出立前に慌てて太らせようと用意されるようになった食事だって、こんなに豪華じゃなかった。とにかく毎日バターがたっぷりのミートパイとビスケットばかりを食べさせられていたのに。

 おかげで胃がもたれて、結婚式の日までに用意された食事はほとんど口にできずにいた。


(……これは、罠では……?)


 湯気を立てる品々を見下ろしてソニアはまたも首を傾げた。


(実は、この料理……私の分にだけは毒が入っているのでは……。罪人の腹を満たし、美食に舌鼓を打つ絶頂の中幸福に死に至れるようにご配慮いただいている……?!)


 確信に迫ってハッとするソニアにシャルルは怪訝な声を投げかける。


「どうした。君も食べるといい。昨日の式の最中に出た食事はほとんど食べられなかったろう?」

「は、はい、そう……ですねっ」


 正直、今もあまり腹は空いていない。式の最中も緊張が極まりすぎてお腹が空く余裕もなかった。

 だが、食べねばならぬだろう。こうして罪人のソニアに温情がかけられ、幸福の最中さなかに死に至れるよう配慮がされているのだから。


 ソニアは一番食べるのが楽そうだからという理由でスープに手を伸ばした。スプーンで掬い、そして口に運び――瞬間、ソニアはガタッと椅子を揺らした。


「……あつっ――」


 熱い。不作法だとわかっていても、つい慌ててスプーンをガチャンと置いてしまった。


「大丈夫か? すまない、うちの国で出す料理は全部熱々なんだ。寒い国だから、熱すぎるくらい熱くした料理を出すというのが思いやりという文化になっていて……君には配慮すべきだったな」


 シャルルの言葉をどこか遠くで聞きながらソニアは一人、ああと小さく震えた。


「……そうか、スープは、本来は熱いものでしたね……」

「……うん?」

「すみません、熱いスープに慣れていなくて……。そうでした、スープは熱いものでした……」

「あ、ああ。特にうちのスープは熱かったろう? ほら、水を飲んで。ゆっくり食べたらいい」

「はい、ありがとうございます……」


 シャルルの促しを受けてソニアは水を飲んだ。おいしい。ヒリヒリとした舌の感触が少しずつ和らいでいく。


「……ありがとうございます。シャルル様……」

「いや、構わない。何も説明せず、悪かった」

「いえ、スープは熱くて当然ですから……」


 無教養な姫のソニア。スープすらまともに飲めないところを晒してしまい、ソニアは羞恥でいっぱいになった。火照る頬を抑えて目を伏せる。


「君が食べやすいものを君のペースで食べればいい」

「はい、ありがとうございます……」


 そうだ、食べねば。シャルル様のお優しさに報いなければ。


 そう思って以降は丹念に冷ましてからスープを飲み、豆と干し肉の煮込みをパンにつけて食べたのだが、しかし。


(……あれ? 私、死んでない)


 首を捻り続けるソニアにシャルルが声をかけた。


「ソニア。俺は職務があるから出ていくが、君はゆっくりとここで休んでいてくれ。君の侍女を紹介しよう。さっき着替えの時も会ったはずだな?」

「はっ、はいっ」


 シャルルが手で指し示した栗色の髪をきっちりと編み込んだアップスタイルの女性にソニアは目をやる。彼女が頭を下げると編み込んだ黒いリボンが見えた。


「改めまして、わたくし、リリアンと申します。ソニア様の専属侍女として任命されました。何かありましたらどうぞお気軽にお申し付けください」

「そそそそそんな私になどに頭は下げずにどうか」

「ありがとうございます。奥様がお優しそうな方で、安心いたしました」


 ニコ、と髪と同じ深い栗色の瞳をリリアンは細めた。ソニアよりも背は低いし顔立ちは幼げであるように見えるのだが、その微笑み方がどうにも大人っぽく見えてソニアは動転した。


(か、かわいい……きれいな美少女という感じの人だ……! かわいい……!)


「夕刻には戻ってくる。夕飯も一緒に食べよう。では、行ってくる」

「旦那様、行ってらっしゃいませ」

「い、いってらっしゃいませ!」


 リリアンにつられてシャルルを見送る一言を投げかけてしまってからソニアは「あ」と口を噤んだ。


(――偽りの花嫁の私が! こうも馴れ馴れしく『いってらっしゃいませ』などと!?)


 ソニアは平伏する構えをとった。


「……ありがとう。行ってくるよ」

「????!?!?!?」


 サッと前屈姿勢になった瞬間、ソニアの頭にシャルルの手がポンと置かれた。そのままなでなでされてソニアはフリーズする。


「あっ、すまない、つい。対等な立場にある女性にする振る舞いじゃないな……」

「いいいいいいえっ!?」

「すまない。今後気をつける。つい……なんというか、職業病かな……」


 ――つい人を撫でたくなる職業病とは? 頭の中にさらなる疑問符が浮かぶ。


 苦笑しながら部屋を出ていったシャルル。ソニアはポカンともうすでに閉まっている扉を眺めていた。

 そんなソニアに、リリアンがすかさず耳に囁く。


「……奥様。シャルル様はですね、フェンリルライダーでして。フェンリルを操り魔物を討伐する任があるのです」

「ふぇ、ふぇんりるらいだー」

「フェンリルの飼育、育成もフェンリルライダーの仕事です。……つまり、職業病というのは……」

「……フェンリルを、なでなでする、と……?」

「そういうことです。その、よからぬお仕事ではありませんので、どうかそこはご安心を」

「は、はい。それは、それはもう」


 なるほど――。


(私、フェンリル扱い……。――……いや!! 罪人扱いよりは相当マシでは……!? 厚遇! むしろ、そんな厚遇!! よいのですか!?)


 ソニアの困惑はシャルルの寛大さに感謝するところで落ち着いた。


 その後、昼飯を摂ったあともソニアが死を迎えることはなかった。

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