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 のちに知った。

 戦争の原因は、平均4度上昇した地球温暖化のせいで人類が住める土地が減ってしまったことによる土地の奪い合いだったようだ。

 新名潤にいなじゅんは、昔の夢ともフラッシュバックともつかない朦朧とした意識の中で朝日に目を細め寝床から立ち上がると左手に埋め込んでいる携帯端末を起動させて、この4月に新しく相棒になった黄一囲ホアン・イーウェイからの呼び出しの着信に応じた。

「・・・・・・ふぁい」

『新名さん、事件です。』

 他に用事はないだろう。

 携帯端末から聞こえる黄一囲の声をスピーカーにして耳から左手を離すと部屋の中心から発せるようにする。

 新名は、あの施設から生還した後近くの漁村に潜伏して静かに暮らしていた。

 このまま最期までいけるかと思ったが戦争が終わり漁村の生活に慣れていた新名のもとに時の政府の防衛省の人間が来た。黒塗りの車から出てきた男は眼鏡のデブで暑くもないのに大汗をかいて、あの施設で行われていた実験で造られた人間を探してると言われた。

 正直、逃げるか迷った。

 しがらみがない三十年間は本当に楽だった。便宜上の名前は、潤だったが、しばらくして名字も必要になり、新名潤と自分自身に付けた。

 順調に暮らせていたのだが問題だったのは自分自身の老いなさだった。最初の頃は若い世代を奪われている漁村にとって良い働き手だったが二十代の見た目が全然変わらない。五、六年を目処に移動していった。

 年月が経ち一つのところにいることが困難になっていた新名は、もうその土地に引っ越せるところがなくなっていた。あとは海の向こうに逃れるしか方法がなく、正直、もう疲れてしまったのだ。

 なので、大汗っかきのデブについて行った。そのあとは、自由と言われて家を与えられて給料が支払われた。プライベートが保証されているが家の周りから職場までは監視カメラに追われての生活になった。

 当たり前だが、新名以外にも特殊能力を持った人間はいた。

 軍に入った時に居合わせた老若男女を見て、あの施設で見た顔は一人もいなかった。

 能力の差異はあれど総じて普通の人間よりも丈夫にできていて、能力は彼らのもとになる人間が太古から存在しており彼らからの細胞や遺伝子が利用され近しいものになっている。

 太古の存在を知ったのは新名が軍から解放され警察庁刑事部第6課に移されるとその頃の上司から言い渡された日だった。彼らには戸籍がない。苗字も、いちからじゅうの数字で、番号で呼ばれていた新名にとって親近感を持った。

 第6課に移動した少し前には新名みたいな人間たちが散り散りに広がった土地とちで混ざり合い強弱あれど特殊能力を獲得した『666スリーシックス』という新人類が登場し、彼らが関わったものだろう事件を第6課が担当するようになった。

 担当する事案に合わせて特殊能力を持っている二世や三世を起用した。666以外の事件の方が未だに多いので、ほとんど一般には広まっていない。この新人類が薄まっていく予定の政府は、いずれ解体する気なので少ない少数精鋭での配置だ。

 新名が支度を終えてアパートの階段を降りていき駐輪場にある中古のバイクのゴリラに跨り制御システムを起動させメーターにホログラムが浮き上がりエンジンをかける。

 ヘルメットに付けている角型ゴーグルに携帯端末の機能を移してイヤーカバーから黄一囲の声が聞こえる。

『東京都新宿区高田馬場のマンション。被害者はジョン・ギャラガー、46。発見者は子供の迎えに学校に行った母親、キャサリン・リー。』

 角型ゴーグルにナビゲーションが表示され現場までの最短距離に乗る。

「コーヒーをテイクアウトしたい。」

 新名の要求に反応してナビゲーションが変更される。

『ダメです。コーヒーなんて匂いの強いものを現場に持って来ないでください。』

 眉を顰めるが渋々従い現場に向かう。

『あと十分で郷田さんが到着します。』

「了解」



 現場に到着するとパトカーと救急車が到着していた。

 規制線の黄色と黒のテープの前にゴリラを止めると顔面に人の顔を貼り付けたヒューマノイドに見ていてもらえるように求めて「何階だ?」と聞いた。

「3階です。」

「ありがとう。」

ホアン警部補がお待ちです。」

「ありがとう。」

 黄一囲ホアン・イーウェイは、純粋に人間だ。それでも優秀な方だ。警察庁刑事部第6課は、少ない666の人員を補うために普通の人間も配置している。

 マンションの階段を登っていくと、だんだんと捜査員が増えていく。AIが発達してロボットがより人に近しくなり呼び方もヒューマノイドに変わりはしたのものの人を殺すのも捕まえるのも人だ。

 鑑識の人間が証拠を持っていく。

「随分、多いな。」

 鑑識、制服を着た警察官が新名の左右を通り過ぎていく。

 角部屋に近づくと制服組の所轄の若い女性警官がドアの前に立っている。警察手帳を見せて中に入ると郷田がギャラガーの遺体に向かっている。遺体の損傷は激しく、腕と首の部分がひしゃげている。

「おはようございます。」

「ああ」

 黄一囲に嫌味が含まれた挨拶をされて生返事を返すと怪訝な顔をされ、その日の朝のルーティーンであるカフェでのコーヒータイムを蹴っている新名は多少の不機嫌さに眼を瞑って欲しいと思った。

「寝不足なんだ…勘弁してくれ。」

 新名が囁くように言うと黄一囲の視線が下に降りて彼の表情を伺うようにしてから再度鑑識の話に耳を傾けた。

「被害者は見ての通りだ。通常の人の力でこんなふうにはならない。これは、十中八九、『666スリーシックス』だな。」

「重症ですかね。」

 黄一囲の問いかけに鑑識の郷田は軽く首を振り、「さぁな」と短く答えた。

「何か痕跡が残っていれば検査に回せる。追って連絡するよ。」

「よろしくお願いします。」

 郷田が片手を少し振りながら作業に戻っていった。

 666は遺伝ではあるが程度がある。戦後九十年経ち、よく混ざったことにより能力が濃く出る者と全くない者とが登場している。能力は薄い人間はそのまま人生をまっとうできるが、濃く出た人間はその能力を買われて政府に属するか裏の世界に属してしまう。悲しいことではあるがそういうものである。

 郷田が重症かを問うたのは能力を薄く受け継いだ場合、あるきっかけで発露する場合がある。その場合、とても強烈な出来事を経験することや、能力によってはふとした瞬間に能力を獲得できる。

 新名の右の視界には被害者の女が寝室で女性捜査員に事情を聞かれている。

「そういえば、旦那は仕事してなかったのか?」

「いえ、仕事の合間にヤられたみたいです。この場での犯行の割には血痕が部屋の床にないので。」

「わざわざ、ここに持ってきたってか。」

 新名の視線が部屋の中をまわる。

 犯行に使われたであろう凶器も見当たらない。

 ギャラガーの脇腹のところに正方形の白い紙が落ちている。

 靴は履いたまま。靴底には土が付着している。

 手の指の先は、抵抗したのか爪が割れている。

「指紋は取れそうなのか?」

「いえ、力が強過ぎて潰れてしまっています。」

「そうだよなぁ。」

 やはり頭の回転が悪い。

「近くでコーヒーでも買ってくるが、お前いるか?」

「新名さん、鑑識の話を聞いてからでも遅くはないと思いますが?」

 年下の黄一囲の言う通りなので新名は小さく舌打ちをして彼らから離れて家の中を探索しだした。

 女性の捜査員から事情聴取をされている女性は、キャサリン・リーという名でジョン・ギャラガーとは夫婦で5人の里子を貰って家族7人で暮らしている。名字が全員一致していないところを見るに養子縁組をするわけでもなく成人したら家を出ていく感じなのだろう。つまり、養育にかかる費用を国から賄ってもらって生活しているのだろう。

 殺されているジョン・ギャラガーのことには関心を示しているようには感じない子供たちが別の部屋に詰めている。数えてみるが、子供たちは4人だ。

「もう一人は?」

 新名の質問に泣いているキャサリン・リーが頭を上げた。

「三年前、ここを出て行ったわ。」

「今年の申請は5人のはずだ。黄一囲、すぐに該当するところに通報しろ。」

 新名のその言葉にリーの顔に絶望の色が指した。それを無視し子供たちのところに足を向けると4人の中の年長者が新名を睨んできた。

「お前たちは、これから施設に逆戻りだ。悪く思うなよ。」

「むしろ、感謝してるよ、チビのおっさん。」

「チビでもおっさんでもないっ」

「チビのおっさんでしょう」

 新名が子供たちに威嚇し始めそうになったところにタイミング良く黄一囲がやってきた。

「5人目は、中嶋瑠果なかじまるかというようです。」

「ふーん」

 中島瑠果は、七歳にして孤児になった。理由は突然の強盗だ。彼と彼の妹を押し入れに隠した両親は強盗に殺された。それからは、児童相談所に行き、孤児院に行き、里親のところに引き取られた。

「四回か。多いのかどうなのか…」

「少ないとは言い難いとは思います。ここが五回目になるようです。そして、行方をくらました。」

 順調に生き残っていれば、十七、もしくは、十八。

 ガキ一人で生き残れるのだろうか。自分の境遇がフラッシュバックする。

「悪い大人に捕まっていなきゃいいが、な。」

「そうですね。」

「少し歩いてくる。」

「え。新名さん、捜査会議。」

「出ておいてくれ」

「会議、出ないんですか?」

「うん、よろしく頼んだぁ。ジジイは腹が減って思考できん。」

 被害者のマンションから出ると薄雲がかかってる空の向こうに雨が近付いてきている。

 しばらく廊下のから外の景色を見ていると黄一囲が出てきて規制線が再び張られる。

「あ、そこの被害者の下にある白い紙、あとで教えてくれ。」

 部屋に入ろうとしている捜査員に言うと「はい。」と言ってきたので黄一囲を置いて歩きだす。

「新名さん、近くにいてくださいよ。」

「へーい。」

 なにか嫌な感じがする。

 なにかがしっくりこない。

 階段を降りてヒューマノイドに預けていたゴリラを受け取って自宅に自動で向かうように設定して発進させる。

 繁華街に向かって歩き出すと夜の仕事に向かう人が足早に歩いている。

「…腹、減ったな。」

 少し歩いていると牛丼屋を見つけて中に入り席に着くと並を頼みしばらく考えた。

 自身が不老不死を獲得する前に少しの母親の記憶を手繰り寄せる。

「全然、思い出せんな。」

 施設から出て軍に入り監視されることには変わりなかったが街中を歩いていいのは良かった。あの灰色の壁を見つめる日々に比べれば良い。

 料理が運ばれてきて食事に取り掛かるために、まず、味噌汁に口をつける。椀から口を少し離して記憶と折り合いをつけながら水面を見る。

「……うん。」

 ふと、左手の携帯端末が控えめに光り画面を確認すると黄一囲からのようだ。味噌汁を置いて確認すると中嶋瑠果の今の住所のようだ。

 里親のところを飛び出した割には割り出しが早い。そこが日本警察の底力だと言われてしまえばその通りなのだろうが管理社会が浮き彫りになっているように感じる。

 住所が神田川の近くの下宿が多い地区にあるようだ。

 全てが近い。

 元々は郊外に住んでいた彼は人が多い新宿区と言う街に連れてこられて見知らぬ人々と一つ屋根の下に住んでどこの誰とも馴染めず逃げ出して一人で未だに生きられているのは奇跡だろう。

 新名は、左手の携帯端末からホログラムを表示させて経路を確認し食べ終わると中島瑠果の住所に向かって歩き出す。

 繁華街とは逆の方向だ。

 学生たちが下に顔を向けて向かいから歩いてくる。

 手に持っているのはスティック状の携帯端末だ。手に埋め込むタイプは成人してから出ないと埋め込めない。もっと言うと埋め込むのは警察や軍や運び屋などの絶対に連絡手段を手放してはいけない一般市民ではない人々が多い。

 右側にひしゃげたガードレールが現れる頃には空が橙から紫に変わっていく。

 朝番と夜番で分けている関係で新名は今月夜番を担当している。彼にとってのシフトはこれからだ。

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