父はYoutuber

決定

父はYouTuber


 

 私の一番古い父の記憶は深夜に壁の薄いアパートなのにそれを気にもせず母を怒鳴っている姿だった。

「パスポートどこだよ!」

「知らないよ。そこにあるんじゃない?」

 何の話か分からず混乱しながら、私は母の背中に隠れて怯えていたのを覚えている。

 

 小学校に入学した頃、父は「会社から長い休みを貰った。」といい、家に引きこもって昼夜逆転の生活をしてしまったので父とは顔を合わせなくなった。

 後々知った話だが、父は私を育てる金を稼ぐため重労働を朝早くから夜遅くまで身を粉にして働いていたそうだ。その際、腰と足に当時の医療では治す事が不可能に近い怪我を負ってしまった。今で言う、モヤモヤ血管だ。職場のパワハラもあって体も心もボロボロになり会社を辞めたそうだ。


 私が小学五年生の頃、学校が終わって家に帰ると父が起きており、リビングでテレビを観ていた。なんで起きているのだろうと不思議に思いながら自分の部屋に行こうとすると、父がテレビを消して真剣な顔で私の方を見つめて、話しかけてきた。

「パパ、YouTuberになろうと思う。」

 その言葉に思わず

「は?マジで言ってんの?本気?」

 と言ってしまった。すると父は

「本気だよ。交通事故とか、そういう動画で稼ぐんだ。もう、チャンネルも作ってる。」

 父がスマホを見せてきた。そこには『ZS』というチャンネルがあった。

「本当に、やるんだ。まぁ良いんじゃない頑張って。」

「そう言ってもらえてよかったよ。」

 私は父の話を肯定した。

 そして父はYouTube をはじめた。


 私が中学三年生の頃、父と母が離婚した。原因は父のYouTubeだ。父は登録者数四万人のYouTuberにはなっていたが、ある時、登録者数十五万人のYouTuberの動画を「飲酒運転をしている。」と批判する動画を投稿した。登録者数十数万人のYouTuberになると信者と言われてる熱狂的なファンがいる。その人達の反感を買ってSNSなどで誹謗中傷されるようになった。

 具体的にはTwitterやインターネット掲示板などにデブやハゲなどの罵詈雑言や父を殺しているイラストを投稿していたり、何時間にも及ぶ父を批判する動画があったりもした。それがエスカレートしていった。

 ある時、父を誹謗中傷をする人達の筆頭格がある投稿をした。そのことが離婚のきっかけとなった。

 その人がした投稿は『スーパーに行った』というものだった。そこは自宅の近所にあるところだったのだ。一見すると普通の投稿だが、普段の投稿をみる限り、自分の行った場所なんて投稿しないのだ。それに、そのスーパーはチェーン店でなにか特別なことは何もない。この投稿が表すこと、それは私たちの家が特定されたという事だ。

 父は「自分が悪い。」といい、離婚の財産分与は父が生活できる最低限の財産を持っていった。あとは母と私に使ってほしいと言うことだった。

 そもそも離婚なんてしなくても良かった。父はYouTubeを続けて離婚する道か、YouTubeを辞めて家族と暮らす道のどちらかを選べた。父は迷わずYouTubeの道を選んだのだ。

 

 家を出て行く時。

「ママを助けてあげてね。それと、ご飯をちゃんと食べて、いじめられたらパパに言うんだよ。」

「うん。分かった。」

あ、やっぱりご飯といじめの心配はするのか。

 父は私の教育を母に丸投げしていたと言って良いほど何もしていなかった。だが、何回か勉強の事を口うるさく言ってきて、スマホを没収してきたり、テレビを禁止したり、遊びを禁止してきた。そんな父もご飯と対人関係に関しては心配をよくしていた。母が仕事や用事があって家にいない事がよくあり、その際、父は必ずといっていいほど私の昼ご飯や夜ご飯の事を気にかけて、ご飯を作ってくれることもあった。それに、「いじめられてないか。」と聞かれる事も多かった。

「じゃあパパ行くね。」

「いってらっしゃい。」

 父は笑ってそう言っていたが、名残惜しいとでも言いたそうな顔をしていた。父は自分の口から母と離婚したこと、家から出て行くことを話すことなく出て行った。

 家から父が出て行っても、特にこれといって悲しさがあるわけでもなかった。だからといって嬉しい気持ちや清々した気持ちにもなれなかった。母は父のことが嫌いと言っていたが、さよならとなると、涙を流して父の車が遠のくのをしばらく眺めていた。

 父を見送った後、一つの疑問が湧いてきた。私は父と母のことを『パパとママ』と呼んでいたが思春期なこともあり億劫であった。しかし、父は頑なにそれ以外の呼び方を拒んでいた。なぜだろうか。

 父は自分の両親と折り合いが悪かった。父の実父は父が2歳の時に離婚してそのまま一度も会うことは無く、父が12歳の時に新しい父親ができたそうだ。父の母親は看護師で、父との時間が余り取れていなかった。だから、親子親しい仲ではなかった。そんな訳で、父は両親の事を『お父さんとお母さん』と呼んでいた。しかも、『お父さん』とは敬語で会話をしていた。父は自分の両親のことを一度も、『パパとママ』と呼んだことがなかったのだ。

『パパとママ』と呼んでいた私にはその言葉で呼べなかった感情や苦悩は分からない。そんなこともあって自分の子には『パパとママ』と呼んで欲しかったのだろうか。

 もしかしたら理由なんて、ないのかも知れない、祖父母が『じぃじ、ばぁば』と呼んで欲しいようなものだろうか。

「パパ。」

 ひとりで何となく呟いた。


 高校二年生になった。

 私達は、父が出て行った後もあのアパートに住み続けたが、父を批判している人達からの嫌がらせなどは起きていなかった。それに、私は学校も含めて生活が充実していた。

 そんな中、父が自宅で首を吊っているのが発見された。父が死んだと伝えられたとき、著名人が亡くなったことを知った時のようだった。

 父は、なぜ自殺をしてしまったのだろうか。父の人生は何だったのだろうか。

 父は母や私に暴力を振るうわけでも無ければ、酒やタバコ、ギャンブルなどに溺れる訳でもなかった。それでいて、優しそうな顔で細身、身長も高くてイケメンであった。都会を歩いていたら、モデルやジャニーズの事務所から勧誘を受けたという伝説をよく話していた。だから、父は女性にモテていた。高校3年間、彼女がいなかったことがなかったそうだ。だが、交際は長くは続かなかった。父は人間関係が上手くできなかったのだ。それに協調性を持つことが難しそうでもあった。そんなことも相まって学校や職場では酷いイジメにあっていたとの事だった。

「そんな感じでパパは精神的に弱く脆い人ではなかったけど、そこはかとなく死んでしまいそうな雰囲気があったのよね。」

 そんな事を母と話していた。

「それで、結局パパに言わなかったことがあるのだけど。」

「うん。何?」

 母が真面目な顔をするものだから、私は気を引き締めた。

 母が話し始めた内容は、父が住所を特定されたと騒ぎ立てる数日前のことだった。平日休みがとれて家事をしている時に、玄関の掃除をしようと家のドアを開けた。すると目の前の階段から、このアパートの住人ではないカメラを持った小汚い格好の小デブの男が階段から降りてきた。そして、母の方を見てビクッとしたそうだ。なんだろうと思いつつ、そのまま母は玄関の掃き掃除をしていると、その男は私たちの家から五メートルくらい離れた電柱から、隠れて母の姿を含め私たちの家にカメラを向けていたという。それから何度か外に出て確認すると、まだ電柱の影にいてカメラを向けていたとの事だった。

 それを聞き、私は言葉を失ってしまった。

「そんな思いしてまでパパと暮らしたくないでしょ。」

 こうして、この会話を終わらせた。

 

 先程の話を聞いて父と離れられて良かったと思ったのだ。

あぁ、私は父のことが嫌いだったのかこのことだけではない。深夜に怒鳴っていた姿やYouTubeを始めたことなどの全てが嫌で嫌で仕方のなかったのだ。父が死んだ時に何も思わないと言っておきながら心のどこか、奥深い場所で嬉しかったのだと思う。しかし、その事実や父が嫌いだということに気が付きたくなかった。そんな思いから父に抱いてた全てをずっと触れないようにしていただけだ。それに触れてしまったら、ある真実に辿り着いてしまうからだ。

 それは——私は父を家族や父親だと思ったことは一度もないという真実だ。このことは何があっても断じて変わらない。そう言い切ることができる。





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