【5-08】透歌の真実と帰還

 解き放った言葉に俺自身が怯えながら、姉上の答えを待つ。

 じっ――と。

 姉上の透徹した視線が、真摯に真っ直ぐに、俺の眼を見つめてきた。

 俺はその眼差しに思わず目を逸らしたくなるのを、かろうじて堪え見つめ返す。


 ややあって。

 姉上の瞳から、すぅっと力が抜けたかと思うと。


「――――ええ」


 と、短く冷徹な声で、しかし――どことなく切なげな声で、答えた。


(…………そう、なのか)


 違うと言って欲しかった。例え稚拙な嘘でも、それなら安堵できただろうに。

 姉上は里を裏切ってない、悪いのは黒主と帝国だ――と、一途に信じられたのに。

 そんな儚く朧で歪な夢想は、次の姉上の一言で砕かれてしまった。


「瑞原の里が、帝国の命令に背いてリートを隠している――そう伝えたのは、私」


 ハッキリと言い切ると、姉上は俺をじっと見据えた。

 俺は無意識のうちに肩に力を込めると、姉上を問い詰める。


「なぜ! どうして、里のみんなを裏切るようなマネを!」


 しかし姉上の口から転がり出たのは、またしても聞きたくない言の葉ひとたば。


「不正があれば、それを糾弾する。たとえ身内でも。そうすべき、でしょう?」

「それが! それが故郷の人々を皆殺しにすると、家族を殺すとしてもですか!」

「一得一失。譲れない何かを得るためには、ときに譲れない何かを失う。それだけ」


 肩を怒らせて迫る俺に対し、姉上が言い放つ。

 俺はギリッと歯を噛み鳴らすと立ち上がり、さらに姉上に迫った。


「譲れない何かって、何ですか!」

「…………それは、言えない」


 つかの間、姉上は悲しげに顔を曇らせると、そう答える。

 納得できない俺は、再び畳みかけた。


「なぜ!」

「私が言えば、その『譲れないもの』は、立ちどころに消え去ってしまう。私が口に出した瞬間、なくなってしまう。私が有する『神薙のリート』は、秘密を口外しない限り、世界の認識を錯覚させる。この世に無いものを有るかのように、嘘事を真実であるかのように――死者が生者であるかのように。口にすれば条件が崩れる。だから、言えない」


 姉上が淡々と教えてくれる。教えてくれるが、それは核心から外れたことばかり。

 いったい姉上が何を守るために真相を隠しているのか、それは分からない。

 ただ分かるのは、姉上はこれ以上は話すつもりがない――ということだけ。


「だったら、姉上は――!」


 それでも諦めきれない俺が、何とか糸口を掴もうとした、そのときだった。

 それまで俺たちの問答を見守っていたマハが、ハッとした顔で声を上げた。


「待って、奏! 透歌の足下に……!」


 注意された俺は我に返ると、姉上の足下に目を転じる。

 姉上が腰掛ける椅子の、ちょうどその下にある床板に、奇妙な模様が現れていた。

 18×18の格子模様で区切られた、ちょうど正方形の模様。

 その中では無数の数字が輝きながら、配列のように互いに結び合っている。


「これは――百竜一咒数理曼荼羅(ドラケントゥリア/Dracenturia)!」


 現れた模様を見たマハが、驚いたように叫ぶ。

 その言葉を聞いた俺も、この模様が何を意味するものかを悟った。


(奥嵯峨から瑞原への瞬間転移で俺たちが使った、あの曼荼羅か!)


 数理曼荼羅を使えば、人間や物資を、瞬時にして遠方に送ることが出来る。

 その曼荼羅が今ここで、姉上の足下に現れたということは――?


「まさか、姉上! 逃げてください!」


 姉上が、すっと立ち上がった。

 しかし姉上が足下の曼荼羅から逃げようとすることはなく。

 代わりに俺に正対すると、姉上は仄かに表情を緩めて語りかけてきた。


「奏。私の大事な奏。私はあなたを守るって、母上に約束した。絶対に奏は死なせない、不幸にはさせないと。10年前に生き別れてからも、あなただけを想って私は生きてきた。今日、こうして再び逢えて言葉を交わせて、とても嬉しい」


 その落ち着き払った言葉と態度は、まるで全てを達観し見通したかのようで。

 今から自分がどうなるか、運命を悟っているかのようだった。


 だが、その冷静さは、却って俺の心中の不吉な予感を掻き立てるばかりで。

 俺は腕尽くで姉上を動かそうと、その手を掴んで引っ張りだそうとした。

 しかし姉上は俺の手を軽く振り払うと。


「反逆者である瑞原の一族を帝都の斎王に就けるにあたり、帝国は彼女に一つの呪いをかけた」


 今度は毅然とした物言いで、姉上が告げていく。


「彼女が帝都の守護者であり続け、裏切れぬよう、帝都を離れられないように」


 綴られていく言葉は、俺の感じた不吉さと悲しいほど同じ内容。


「もし彼女が裏切って帝都を離れても、その呪いが、いずれ彼女を帝都に連れ戻す」


 まさか帝国が、こんな呪いを姉上にかけていたとは。

 帝都から逃げても、呪いで引き戻される。

 だから姉上は、あんなに全てを諦めきったように振る舞っていたのか。


「奏、元気でね――――」


 姉上がそう言った直後、足下の曼荼羅が輝きを増したかと思うと。

 閃光がはじけ、次の瞬間には姉上の姿は忽然と消え失せていた。


「あね、うえ…………」


 残されたのは彼女が手にしていた、ユズの果実がひとつだけ。

 テーブルの上にあった果実が今の出来事で、床の上に転がり落ちる。

 俺はユズを拾い上げると両手で握り、目を閉じて顔に押し当てる。

 思い出すのは、帝都の牢にいたときの、姉上の言葉。


     ……………………たす、けて…………


 長いためらいの果てに、ようやく姉上が奏で伝えた本心を、叶えられなかった。

 あのとき既に姉上は、自分が連れ戻される運命を悟っていたはずなのに。

 それでも俺たちに打ち明けてくれた、本心だったというのに。


(くそっ!!)


 湧き出るのは悔いと無念、そして自分に対する怒りの情。

 惨めすぎる無力さを晴らすように、俺は残されたユズに齧り付いた。

 口の中いっぱいに広がる強烈な酸味を味わいながら、俺は叫ぶ。


「必ず解放してやる! 絶対にだ!」


 しみ入るような酸味と共に決意を新たにすると、俺はマハに向かって叫んだ。


「マハ! 帝都に戻ろう!」

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