【5-06】マハの力と皇帝の死

 宿主の号令一下、マハの文字鎖がむちのようにしなり、怪物に襲いかかる。

 怪物もまた文字鎖を舞わせると、攻撃を迎え撃とうとした。


 ――ギィン!!


 二重奏めいた重たい金属音が響き渡り、両者の文字鎖を弾き飛ばす。

 その迎撃を見たマハが、珍しく俺に向けて指示を出した。


かなで! 悪いけど皇帝の文字鎖の注意を引きつけて!」


 今の一撃が防御されたから、今度は二人がかりで攻撃をねじ込む気か?

 マハの意図に気付いた俺は、すぐに彼女に答える。


「あんな怪物相手じゃ、攻撃を通したところで大して効果は出ないぞ?」


 せめて人体のように、分かりやすい急所があるなら狙う手もあるだろう。

 しかし、こんな混成怪獣が相手では、どこが頭でどこが心臓かも分からない。

 単に部位を破壊したところで、痛みを感じるかも怪しい。

 そう考えて文字鎖の攻撃は無意味と教えたのだが、マハは首を振った。


「いいから私に任せて!」


 なにか勝算があるのか。それとも「やってみなければ分からない」の精神か。

 ともあれマハが強く主張するので、俺はいったん従うことにした。

 再びマハが攻撃を仕掛けるのに合わせ、俺も文字鎖を駆動させる。


「「いけっ!」」


 怪物の文字鎖が、目立つ俺の攻撃を優先して防戦する。

 その間にマハの文字鎖は正面を大きく迂回し、怪物の背後から奇襲を仕掛けた。


「オオオオオオオオオオオオッッッッッッ!!」


 マハの文字鎖が怪物の巨体に突き立った瞬間、怪物が悲鳴を上げた。

 だが10メートルはある肉塊にくかいの中では、文字鎖が与える傷口など小さなもので。

 さらに『暴虐のリート』で変成を重ねていく肉体の中では、その小さな傷など瞬く間に上書きされてしまう――はず、だった。


 しかし。

 怪物の全身に起きた異変を見て、俺は驚いた。


「怪物の姿が――小さくなって、いく? いやこれは、元に戻っているのか?」


 マハの攻撃を受けた怪物の巨大な身体が、急激に小さく縮退しゅくたいしていく。

 それだけではない。異形の姿だった全身像も、人間の姿へと戻っていく。

 身体から生えた機械や生物や奇妙な物体も、その形を消失させていく。


 怪物が変異するのを見届けたマハが、息を整えながら明かしてくれた。


「『天花てんかのリート』は、人の身に降りかかる災いを退ける。種々薬帳しゅしゅやくちょうしゅ七難しちなん九厄きゅうやくはらい、その身を健常へと導く。『暴虐のリート』で変成した肉体も戻せる」


 合成獣の身体が人の姿に還り、やがて皇帝はほぼ元どおりの姿で倒れ込んだ。

 ヤツにつけた胸の傷も塞がっていたが、それでも起き上がろうとしない。

 ひどく消耗した様子で倒れたまま、皇帝は帝都の夜空を虚ろに見上げている。

 その様子を見たマハが、複雑そうな表情で言った。


「……だけど。戻せるのは身体の状態だけ。体力や出血が戻るわけじゃない」


 つまり身体から失われたモノまで戻るわけでは無い。

 マハの言葉は、暗にバルドー帝の命を救うことは「手遅れ」だと示していた。

 俺にとってはその方が都合が良いが、マハは違う想いがあるのか、どこか切なげな眼差しで皇帝を見つめた。


「皇帝陛下……」


 そうマハは呟くと、倒れた皇帝の側にすっと座り込む。

 するとバルドー帝もマハに気付いたのか、弱々しく伸ばした手が宙を掻いた。

 皇帝の震えた指先が、届かないマハの頬を撫でるように、ゆっくりと弧を描く。


「むすめ、よ……ワシは、つよい……皇帝と、認めて……くれ……」


 バルドー帝は視点も定まらないまま、か細く言葉を紡ぎだす。

 その姿を座ったマハはじっと見つめたまま、ためらう素振りを見せた。

 一方の皇帝はマハのためらいも分からないように、ゆっくり言葉を連ねていく。


「父母も、兄弟も、息子ですら……ワシを嫌う……認めぬ……」


 もう皇帝は目が見えていないのか、視線は夜の月の方を向いていた。

 皇帝の命が風前の灯火にあることは、もはや誰の目にも明らかで。

 畿内きないに台頭した帝制国家『朱泉国しゅぜんこく』、その皇帝の最期の言葉が空しく響く。


「お前だけは、ワシを……尊敬して……くれ……ワシが頑張ったと……認めて……」


 ずっと無言で聞き入っていたマハが、いったん目をつぶった。

 彼女は目をつぶったまま、自分の本心を探るように考えを巡らせていたが。

 やがて思い切ったように目を開けると、優しげな笑顔を皇帝に向けて言った。


「はい、ちちうえ。私は父上のことを、認めています。父上はとても強い皇帝だと、いつも――いつも尊敬しています」


 それは明らかに造られた笑顔だったが、死にひんした皇帝は気付いたのだろうか。

 マハの返事を聞いたバルドー帝の顔が、安らかな表情へと変わると。

 虚空こくうを掻いていた手が力を失うのと同時に、ゆっくりと皇帝の目が閉じられた。


(…………あっけない、ものだな)


 バルドー帝の死を目の当たりにしても、俺は何の所感しょかんいてこない。

 高揚も興奮も達成感も無く、かと言って空しさや喪失感も湧いてこない。

 ただ――ひとつの節目を迎え、新たな世界が始まることだけが、実感できた。

 皇帝の死を看取みとったマハが立ち上がったので、彼女に声を掛ける。


「……皇帝を父上と呼んでいたが、娘だったの?」


 『瑞原かなで』として声を掛けながら、瑞原の里で聞いた話を思い出す。


 ――マハ・ベクターは10年前に死んだ皇女が、反魂のリートでよみがえった姿では?


 今の皇帝とのやり取りだけを聞くと、あの仮説は正しかったように思えた。

 本当にマハが皇帝の娘であるなら、俺としては見過ごせない事実。


(だとすれば、この女は皇族――瑞原を滅ぼした帝国の一族、ということだ)


 ならばバルドー帝が死んだ今となっては、皇位継承者の一人ともなりえる。

 それはすなわち、俺からすれば帝国側の人物でもあるということで。

 答えの次第によっては、この場で殺さねば俺の身が危うくなる。


 腰に帯びたヤスリに密かに手を伸ばしながら、俺はマハの答えを待ち受ける。

 すると立ち上がったマハは俺の顔を見ながら、ぽつりと寂しげに答えた。


「…………まさか。人違いだよ。私はそんなんじゃない」


 その答えが先ほどの会話を否定するものだったので、俺は拍子抜けしてしまった。


「だけど、さっきは皇帝のことを『父上』って」

「話を合わせただけ。私は『嘘つき耳』だからね。死に際くらい人に合わせるの」


 マハはさりげない仕草でスカートのすそを払いながら、そう言って苦笑する。

 すぐにはその言葉が信じられず、俺は険しい顔のまま、さらに問いかけた。


「嘘をついたの」

「そうだよ。だいたい私にセクハラしてくるような男が、父親のハズないじゃない」

 

 マハに堂々と嘘をついたと宣言されると、俺としては追及ついきゅうすべが無い。

 結局のところ、真実はやぶの中――というワケだ。

 真相を諦めた俺が息をつくと、今度はマハがたずねてきた。


「それで、この後はどうするの? さっきは逃げ切る方法があるって言ってたけど」 


 牢屋敷から姉上を逃がすとき、俺が言い切った件か。

 確かに後宮から脱出する方法ならあるし、皇帝を暗殺した今なら更に確実だ。

 俺は自信ありげにうなずくと、持っていた一丁の拳銃を見せつけた。


「ああ、これさ」

「銃……一丁」


 銃を見せつけられたマハが、そんなものでどうするのか怪しむ顔をした。

 きっと頼りなく思ったのだろう。

 苦笑した俺は銃を皇帝の亡骸なきがらとなりに投げ捨てると、マハに呼びかける。


「事前に仕込みは済ませてある。後はコレで良し――さあ、姉上と脱出しようか」

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