【5-05】皇帝、捨て身の逆襲
◆◇◆◇◆◇
――『俺』は皇帝に相対すると、再び文字鎖で攻撃を仕掛けた。
二重の鎖の一方が直線的に皇帝を狙い、もう一方は
それを迎え撃つように皇帝の二本の文字鎖が、
(奇襲は成功したが、皇帝のリートが機能しなくなるほどでは、なかったか)
刃を鳴り散らすような音が、またたく間に何度も響いて。
互いの文字鎖が激しくぶつかった末に、互いの手元に舞い戻った。
(手強い。俺が文字鎖の操作に不慣れなせいもあるだろうが、
俺とバルドー帝の間合いは、およそ20メートル。
その20メートルの距離の間で、文字の鎖が、
それは周りが見れば、人が二本の触手を高速で操っているように映る光景だ。
(長引けば不利だ。ここは敵地だぞ、兵が集まれば姉上たちを逃がせない)
皇帝と互いに並走し、文字鎖の応酬を繰り返しながら考える。
このまま
かと言って俺のリートは皇帝には使用済みで、決め手にはなり得ない。
それでも短期決戦を望む俺は、意図的に
「アーテイ氏、俺の目になって教えろ!」
これまで並走していた相手が、いきなり距離を詰めてきたのだ。
皇帝の視点で見れば、線の動きで広がっていた俺が、迫り来る点に変わる。
肥満体の皇帝が
「
言うや否や皇帝の文字鎖が、
しかし今までの動きに慣れきった皇帝の眼では、狙いが正確に定まらない。
「――狙いが甘いぞ、皇帝!」
俺は叫ぶと二重の文字鎖を短く
しかし俺の動きを見た皇帝は怪しく笑むと、拳を固めて――。
「ヌシこそ読みが甘いぞ! 我がリートの力を忘れたか!」
そう叫ぶと俺の
途端に文字鎖が変容し、奇妙奇怪な物体がボコボコと湧き出でる。
柱時計が鳴り響き、片翼の怪鳥が高く鳴き、無数の書籍が
(――今だ!)
丸ごと変質した
しかしそれは皇帝にとっても同じ事。ヤツから俺の姿は今は見えない。
俺は即座に腰のヤスリを抜くと、アーテイ氏に向けて叫んだ。
「アーテイ氏! 皇帝はどこだ!」
俺の問いかけに、すぐさま
「柱時計の針の中心、そのちょうど裏側!」
「そこか!」
俺は柱時計に狙いをつけると、左の肘を時計に打ち付ける。
俺の姿が見えていなかった皇帝は、こちらの奇襲に防御態勢を取っていない。
ヤツの拳も
「もらった!」
全身で体当たりした俺はヤツを押し倒すと、ヤスリを分厚い胸に突き立てる。
自分の胸に突き立った物体を眺めた皇帝が、驚愕で目を見開いた。
「まさか、文字鎖ではない……だと」
手応えはあった。皇帝の口からは血が溢れ、苦しげに身体を痙攣させていた。
反撃の拳を警戒した俺は距離を置くと、残った文字鎖を回収して様子を見る。
耳元にやってきたアーテイ氏が、嬉しそうに
「やったね! あの感じだと致命傷だよ!」
ヤツが肥え太った肉体を
その血の染み出し方を見れば、かなりの出血を起こしているのは確実だった。
「そのようだな」
俺はヤスリをベルトに戻しながら、大きく息を吐いた。
あとは死に
すっかり身動きの鈍った皇帝を見下ろしながら、問いかける。
「皇帝陛下、死ぬ前に私の問いに答えていただきたい。10年前、瑞原に反逆の企てありと密告した者が、姉上――瑞原
しかし俺にたずねられた皇帝は、怒りの形相を俺に向けると、不気味に笑った。
「まさか……これしきでワシに勝ったと、思い上がるなぁぁぁぁ!!」
憎悪と敵意を眼にみなぎらせて叫ぶと、皇帝が再び拳を構える。
まさか、この状態から攻撃するのか――と俺が身構えると。
「ワシは常勝不敗の皇帝! 最強なのだ、負けてはならぬのだ、ワシを認めよ!」
なんと皇帝はその拳で、出血おびただしい自らの胸を殴りつけた。
みるみるうちに変質していく皇帝の姿を見て、俺は思わず歯ぎしりする。
「バカな、自分を怪物に変えてまで俺に勝とうだと?」
皇帝の『
まるで『合成獣(キメラ)』のような、異形の怪物の姿へと。
いや、時計や車輪や椅子やらが生えてくる姿は、もうキメラすら超越していた。
「まさか、こんなことになるとは」
身の
後宮どころか、宮殿全体に響き渡りそうな大音声。
その叫喚と前後して、モンスターの頭上から文字鎖の
「……そんな姿になっても、俺への敵意は忘れんか!」
懸命に避けようとしたが、頭上からの攻撃は回避には不利すぎた。
避けきれない
すかさず身体を起こした俺は、考える。
(……さて、どうやって打開したものか)
もはやヤスリで、どうこうなる相手ではない。
ならば文字鎖――攻撃は効くだろうが、首も
ならば倒すのは諦めて、逃げ切るか?
考えがまとまる前に、またしても皇帝が攻撃を仕掛けてきた。
文字鎖の強襲から逃げ、叩きつけられる車輪をよけ、肉の拳をかわす。
これは進退窮まったか――そんな考えが、頭をよぎった瞬間だった。
「
俺を――いや、"瑞原
振り返るとそこには、隠れているよう指示しておいたはずの、マハの姿。
彼女の姿を見た俺は、何という場面で出てきたのかと舌打ちする。
「バカ、なんで出てきた!」
俺が声を上げると同時に、マハもキメラを目撃したのか、顔を青ざめる。
俺の後ろで暴れる怪物の姿を見上げたマハは、身体をビクリと止めると。
「えっ、
――と、恐怖を
(姉上が、俺を心配してマハを送ったのか。しかし、何のために?)
アーテイ氏の情報が正しいなら、今のマハは
だから文字鎖もその気になれば使えるはずだし、戦力にはなり得るが。
(しかし、この図体の相手に文字鎖では、みじん切りにでもしないと……)
すでに皇帝の姿は形容しがたいほどの、肉と機械と生物の塊になっている。
さながら肉造りのゴーレムか、ゴミ
なのに、そんな姿になっても俺に攻撃を仕掛けてくるから厄介だった。
「これは皇帝の変異した姿だ! 手に負えないから、お前は姉上と一緒に逃げろ!」
「逃げろって、あなたはどうするのよ!」
「何とか逃げ切る! いいから先に逃げろ!」
もはや口調を取り
本当は逃げ切る算段などないし、逃げ切るには猫の手でも借りたい気分だった。
しかし、ここで俺が姉上たちと一緒に逃げると、危険が二人にも及ぶ。
そうなると二人を救出するという当初の目的が、本末転倒になってしまう。
「そんなこと言われても、あなた負けそうじゃない!」
――が、マハもなかなかに
それどころか彼女は文字鎖を召喚しすると、戦いに加わろうとした。
「現れよ
マハの呼びかけに応じて、少女の周囲に二重の文字鎖が現れる。
二匹の竜か蛇のように出現した文字鎖に対し、マハはすぐさま命令した。
「いけ! 狙いは皇帝バルドー・バルバロイ・シュゼン!」
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