【5-03】救出のとき、透歌の本音

◆◇◆◇◆◇


 「秋の日はつるべ落とし」と人は言うが、秋の夜の訪れは早かった。

 俺は日が落ちたところで女性薬師に変装すると、昨夜のように宮殿に侵入した。

 しかし今回は目的地が違うので、後宮を目指す。


「――さすがに昨日の今日だけあって、警備が厳しくなってるな。照明も増えた」


 地上を進むと昨日より手間が増えそうなので、今回は別ルートを使う。

 リートの力を使い屋根に飛び乗り、そこから屋根伝いに後宮へ。

 もし地上の者に見つかれば、鬼か夜叉かと騒がれるだろう光景だ。


「だがあかりが増えたことで、逆に屋根伝いに進めるようになったのは助かる」


 照明が増えたおかげで、屋根上まで光が届き、転落の心配が減った。

 少女の姿をした俺は、スルスルと忍者のように目的地を目指す。

 ほどなく後宮区画に着くと、適当なところで地上に飛び降りる。


「さてと。ここからは女官風に振る舞わないとな」


 人に出会わないのが一番だが、万一のために女官になりすます。

 俺は楚々そそとした仕草で女官のフリをしながら、後宮区画へと入り込んだ。


(何もかも洋風なのは、御所とは違うな。さすが渡来人の建てた帝国だ)


 朱泉国しゅぜんこくは渡来人が建国しただけあって、宮殿の建築様式も独特だ。

 道中の柱は気品のある木造なのに、床は柔らかい絨毯じゅうたんが敷かれている。

 照明も和風と洋風が混在していて、和洋折衷という言葉が似合いそうだ。


「姉上が囚われている場所は、ここか」


 しかしアーテイ氏に教えられた離れの屋敷だけは、完全に木造の和式だった。

 他はぜいを尽くした品格のある建物なのに、この区域だけは異様な雰囲気が漂う。

 それぞれの部屋は木の格子こうしふさがれ、廊下は板張いたばりで敷かれ、照明も少ない。


(これは牢屋敷か)


 部屋の開き戸が、外から施錠せじょうする仕組みになっている。

 その仕組みを見れば、ここが牢屋だというのは一目瞭然だった。

 しかし、どの牢屋を見ても中には人がおらず、施錠せじょうもされていない。

 こんな宮中奥深くに罪人を収監しゅうかんするはずもなく、当然と言えば当然だった。


(城とは裏返しにされた牢獄で、牢獄の裏返しは城とも言うが、なぜここに?)


 中の様子が見えない部屋があった。

 なぜかかぎ鍵束かぎたばが差し込まれたままなので、扉を開けて中を覗くと。


「――――…………うっ!!」


 中の光景を見た瞬間、俺は吐き気を催した。

 不快な感覚をかろうじて抑え込み、中の光景を見回す。

 部屋には単なる牢獄という枠に収まらない、多種多彩な拷問器具がそろっていた。

 すぐに目撃したことすら後悔し、俺は部屋の外へと出る。


「……くっ、なるほどな。とんだサディストの皇帝だったと言うことか」


 つまりここは単なる牢ではなく、後宮の女人を虐待するための部屋。

 あるいはバルドーの代より前からあったのかもしれないが、それはどうでもいい。

 大事なのは、姉上たちがここに囚われているという現実だ。


「アーテイ氏、マハと透歌とうかはどこだ」

「場所、変わったっぽい? あてぃしが偵察したときは、ここに居たのになあ」

「ち。ならば二手に分かれて探すぞ。お前はあっちだ」


 アーテイ氏と手分けして、それぞれ逆方向に牢屋敷を調べていくことになった。

 すると二手に分かれてほどなく、俺の耳に「ひっ」という怯えた声が届く。

 しかし俺にとっては貴重な手がかりなので、すぐに声のした方向へ向かう。


「マハ!?」


 見つけた。声の主は、すぐ近くの座敷牢の中に居た。

 見覚えのある宮廷薬師が、座敷牢の中でちょこんと座って俺を見上げている。


「あなたは、瑞原……かなで? どうして、ここに?」


 座敷牢の中で、マハ・ベクターが驚いたように声を上げた。

 俺は今の自分が『瑞原かなで』の姿だと気づき、とっさに少女の口調に切り替える。


「姉上を救いに来たの。それに、あなたもね。少し待ってて」


 俺が先ほど手にした鍵束かぎたばを試しながら答えると、マハが不思議そうな顔をした。


「私を助けに? でもあなたはベクターがキライだって」

「ベクターはキライだけど、あなたは別。姉上の友人だし、私を助けてくれた」


 試しながら答えていると、ほどなく合うカギがあったので、扉を開ける。

 座敷牢から出てきたマハが、何とも気まずそうな顔で言った。


「その……瑞原では、ごめんなさい。私とかなでは、たまたま縁があっただけで、あなたから彼を奪おうとか、そんなつもりはないの」


 出てくるなりマハが謝ってきたので、俺は何のことか考える。

 瑞原、彼を奪う……それらのキーワードから、すぐに答えは出た。


(そういうことか。俺の身体を乗っ取った奏が、マハに嫉妬しっとしたんだな)


 ならば辻褄つじつまは合うし、病院でマハが俺の面会を拒否したことも、説明がつく。

 嫉妬しっとしたかなでがマハに縁を切るよう迫り、コイツは律儀に応じようとしたワケだ。

 状況さえ分かれば何のことは無いな――と俺は苦笑すると。


「ううん、私の方こそ誤解してた。マハは私を助けてくれたし、今は感謝してる」


 気まずそうにするマハに笑顔で話しかけ、何のわだかまりもないと強調した。

 それを聞いたマハが、分かりやすいほど表情を明るくする。

 俺には理解できないが、どうやら投獄の事実より気にんでいたようだ。


「ありがとう、ええと……何て呼べばいいのかな」

かなででいいよ。少しまぎらわしいかもしれないけどね」

「じゃあかなで透歌とうかも助けに行こうよ。たぶん透歌とうかは反対側だと思う」

 

 牢から出てきたマハが、アーテイ氏に偵察に行かせた方向を指さす。

 どうやら姉上とは正反対の方角に、マハは投獄されていたようだ。


「分かった、行こう」


 今度は反対側に向かうと、果たしてアーテイ氏が戻ってきた。

 俺は隣にマハが居る手前、会話はせずにうなずいて了解の意を示す。

 やがて着いた牢には、求めていた姿があった。


「姉上!」


 姉上のいる牢には、なぜかユズの実が一つだけ置かれていて。

 そして姉上はたたみの上で、折り目正しく正座していた。

 俺は一安心したが、同時に脳裏に黒主の言葉がよぎる。


『瑞原の反逆を密告したのは、里長さとおさの娘……瑞原、透歌とうか


 まさか。姉上に限って、そんなことをするはずがない。

 俺は頭を振って神祇官じんぎかんの言葉を払いのけると、姉上に微笑みかけた。


「良かった。心配していたのです、姉上」


 牢の中で座っている姉上が、俺の顔を見て意外そうに言った。


「……かなで? どうして、ここに」

「姉上を助けに来ました。すぐここを出ましょう、こんなところ」


 手早くかぎを開ける作業を始めながら、姉上に話しかける。

 俺の登場に姉上は一瞬おどろいた顔をしたが、すぐ落ち着きを取り戻すと。


「無理。ここを出ても、帝都からは逃げ切れない」


 そう淡々と言って、うつむいてしまった。

 俺は解錠かいじょうする手を止めないまま、さらに話しかける。


「いいえ、逃がします。逃げ切る方法なら、ある」


 実際、逃げ切れる目算もくさんを立てた上で、俺はこの救出に挑んでいる。

 しかし成功させるためには、肝心かんじんの姉上にあきらめてもらっては困る。

 何としても、ここは説得しないといけない。


「無理」

「私を信じて、姉上。必ずや、姉上を――あなたを、ここから自由にします!」


 開いた。

 俺はすぐさま扉を開けると、中で正座している姉上に手を差しのばす。

 俺の姿を見上げた姉上が、じぃっと俺を正面から見据みすえた。


「無理。透歌とうかは、逃げられない。この帝都からは、離れられない」

「出来ます! 俺が――――私が、絶対に助けて見せます! だから早く!」


 一向に逃げようとしない姉上を、必死に説得する。

 逃げ切れる方策は立てているが、その成功は時間との勝負でもあった。

 ここで姉上にしぶられては、それだけ可能性が下がってしまう。なのに――。


「無理。透歌とうかは逃げられない」


 姉上は、かたくなに応じようとしない。

 俺は歯噛みしたくなるのをこらえながら、救いを求めるようにマハを見た。

 すると俺の視線の意味に気づいたマハも、姉上の説得を始めてくれた。


「あなたは逃げたくないの?」


 真っ直ぐな眼差しが姉上を捉え、姉上もまたマハを真っ直ぐ見つめ返す。

 少し間を置いて、姉上が口を開いた。


「――透歌とうかに、逃げるつもりはありません」


 しかし、そう答えられてもマハは怯まなかった。

 むしろ姉上の返事を予想していたかのように、次の矢を放つ。

 

「聞いてるのは、『斎王・瑞原透歌とうか』の意志じゃない。『あなた』はどうしたいの?」


 俺からすると同じように思える問いを、マハは重ねる。

 じっとマハを見つめていた姉上の瞳が、ほのかに揺らめいた。


透歌とうかは……」


 言いかけた姉上の言葉を、マハがさえぎった。


「聞きたいのは『透歌とうか』のおもいではなく、『あなた』の想い」


 マハに短く言い切られ、つむがれかけた言葉が止まった。

 封じられた返事を追いかけるように、姉上の視線が宙を舞う。

 俺にはマハの言いたいことが感じ取れたので、脇から優しく言い添えた。


「姉上。どんなおもいもことも、かなでねば伝わらない」


 それまで強く真っ直ぐだった視線が、急に切なくはかなもろさをさらけ出す。

 それからしばらくして、ようやく出た次の言葉は、ひどく弱々しい口調だった。


「『私』、は…………」


 マハも俺も、今度は姉上の言葉を妨げない。

 むしろ親が子の本音を見守るような穏やかな眼差しで、続きを待っている。

 姉上の唇が、瞳が、ためらいと迷いでれにれた、その末に。


「……………………たす、けて…………」


 長い、本当に長い間をおいて、か細い声で助けを求めた。

 その言葉を聞いた瞬間、俺とマハは声を合わせ、笑顔で姉上に手を差し伸べる。


「「行こう!!」」


 俺たち二人の手に力強く引き起こされ、姉上が牢を出た。

 俺は姉上の隣に転がっていたユズを拾い上げると、決意を新たにする。


(よし――最後の障害は乗り越えた。後は二人を無事に逃がすだけだ!)

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