【4-15】天花のリートよ、彼女を救え

 それは真心あふれる愛の歌。想う人のためにつむがれた、心優しき素朴な呪い。

 その願うところは献身。他人のために身を惜しまぬ、貴賤きせんなき清らかな祈り。

 ゆえ連なる言葉は種々しゅしゅ薬帳やくちょうつづられ、あまねく難をしりぞける。


「――君がため 春の野に出でて 若菜摘む」


 この呪歌リートの呪いがもたらすところ、それは災禍さいか災厄さいやく魔除まよけ。

 古来、『人日じんじつ』と呼ばれる日には人の殺生を禁じたように、春の若菜を七草ななくさ食せば邪気を払えると言われたように、この呪歌リートには『想う相手を災いから切り離す』力がある。


「わが衣手に 雪はふりつつ」


 天花てんかとは、すなわち天上界に咲く花。また雪のことを、天から降る花として呼ぶ。

 果たして私が唱えるのに呼応したように、夜の空中庭園に雪が降り始めた。


天花てんかのリートが種々薬帳しゅしゅやくちょうしゅ七難九厄しちなんきゅうやくしりぞく歌」


 これは破魔はま解呪かいじゅの歌。そとつ国に伝わる『九つの薬草の呪文』と同じ性質の呪い。

 災を避け病が無くなりますよう――そう古来の人々が願い伝えた想いの結晶。

 だから私の呪いは、皇帝の呪いにも打ちつ力がある。


典薬てんやくてん――病無やみなし草子ぞうしっ!」


 私がリートを呼び起こす言葉を唱え終えたのと同時に、雪が嵐となった。

 突然の暴風が空中庭園の草花を散らせ、舞い狂う雪と共に揺動ようどうする。


「むうっ!」


 バルドー帝が予想外の異変に足を止め、風雪に耐える仕草を見せた。

 その一方で金網に身を預ける瑞原かなでからは、強風でイカや鳥獣が引き剥がされる。


「やった!」


 私は成功を確信したが、引き剥がされたのは変異した鳥獣だけではなかった。

 外縁部にいた瑞原かなで本人までも、軽い体重のせいか空に巻き上げられてしまう。木の葉のように彼女が建物から墜落する姿を見て私は一瞬青ざめたが、自分の呪歌リートの力を信じて言い聞かせる。


「――大丈夫、私の呪歌リートの結果で、人は決して死んだりしない!」


 リート・プログラムの効果は、物理法則すら理不尽に覆す強制力がある――。

 それだけの力があると、私は『逆理のリート』のときに知っている。

 だから大丈夫。あの子はきっと無事――と信じようとするが、不安は尽きない。

 思わず透歌とうかの顔を見ると、私は顔色で暗に「大丈夫だよね?」と聞いてしまった。


「…………」


 察してくれた透歌とうかがうなずいてくれたので、ようやく私は安心する。

 だとしたら、もう瑞原かなでのことは心配しなくて良さそうだ。

 しかし、安心したのも束の間のこと。


「まさかマハ、ヌシが横槍を入れてくるとはな――!!」


 バルドー帝の怒声と同時に、二つの文字鎖が私めがけて飛んできた。

 油断していた私には避けることなどできず、あっという間に鎖は私の首に巻き付くと、私の身体を軽々と宙に持ち上げてしまう。


「うっ……くっ……」


 苦しくて振りほどこうと抵抗するけど、まったく鎖は解けそうにない。

 それどころか皇帝の怒りを示すように、逆にぎりぎりと首を締め上げてくる。


「マハよ、『天花てんかのリート』と言ったな。ヌシは役に立ちそうゆえリート集めを見逃していたが、ワシのジャマをするとなれば話は別だ。皇帝に逆らった罪、その身であがなってもらおうか!」


 苦しい。息が出来ない。首が痛い。

 足をバタつかせても鎖は緩まず、意識が遠のいていく。

 このままだと、本当に死んじゃう。何とかしなきゃ――と思ったときだ。


 パァン!!


 突然の銃声がして、私を締め付ける文字鎖の力が、不意に無くなった。

 どうやら拘束そのものが解けたらしく、支えを失った私の身体は、今度は地面に墜落してしまう。


「いたっ! げほっ、げほっ……」


 落下の痛みと気道の確保で忙しい私は、落ち着いたところで状況を確認する。

 バルドー帝と透歌が相対して、じっと睨み合っていた。

 透歌とうかの手には、いつ拾ったのか一丁の拳銃が握られ、銃口を皇帝に向けている。


「むうう……どういうつもりだ透歌とうか


 バルドー帝が剣を向けて透歌とうかを咎めるが、透歌とうかは動揺を顔に出さない。

 それどころか正面から皇帝の怒気を受け止めながら、堂々と答えた。


透歌とうかがマハに頼んだのです。かなでを助け、逃がすように――と」

「ワシの邪魔立てをする気か? それこそがヌシの本心か」


 透歌とうかの目を見る。いつもと同じ透徹とうてつした瞳が、真っ向から皇帝を見据える。

 やがて透歌の口から、その答えが紡がれた。


「はい。それが私の本心です」


 その答えを聞かされた皇帝が、とても複雑な表情をした。

 腹立たしげで、悲しげで、寂しげで、つらそうな、そんな表情。

 どうしてそんな顔になるのか、私には分からなかった。


「………………分かった。もうよい」


 しばらく黙っていた皇帝が、やがて失望したように言った。

 目を一度閉じた皇帝は大きく息を吐くと、透歌とうかをにらみつけて。


「……帝都斎王、瑞原透歌とうかよ。皇帝への反逆罪で、貴様を捕らえる」


 そう、銃を構えた透歌とうかに剣を突きつけながら、宣告した。

 その言葉を聞いた透歌とうかは、ゆっくりと銃を下ろすと足下に投げ捨てて。


「御意」


 従容しょうようと、短くそう答えた。

 次いで皇帝は、地面に座り込んでいる私に剣を向ける。


「マハ・ベクター、貴様もだ。大人しくワシに従えば良し、さもなくば」


 さもなくば瑞原かなでと同じように、暴虐のリートの餌食えじきとする――。

 とは、言われなくても分かりきっていた。

 剣を突きつけられた私に、透歌とうかが短く声を掛ける。


「ごめん。でも、マハは必ず助けるから」

 

 つまり「今は逆らうな」という意味だろう。

 私も『天花てんかのリート』で皇帝に勝てる気はしないので、従うしかなかった。

 皇帝が剣の切っ先を動かし、透歌とうかと共に昇降機へ向かうよう指示を出す。

 素直に従う私たちの背中に、悄然しょうぜんとした皇帝の声が聞こえてきた。


透歌とうかよ。ワシが真に欲しかったものは、ヌシの本心だけだったのに……」


 その言葉を聞いた隣の透歌とうかが、はっと表情を変えた。

 しかし、すぐ平素のように表情を封じ込めてしまうと。


「……透歌とうかには、かような生き方しか出来ませんゆえ」


 ――と短く答えて、昇降機へと歩んでいった。


 また夜空に湖を渡る風が吹き、庭園に真紅しんく花弁かべんが舞い上がる。

 真実とも幻覚ともつかない夜は、こうして幕を引いた。

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