【4-14】逆理のリートvs暴虐のリート

 瑞原かなでが唱えた言葉を聞いて、私は驚きで目を見開いた。

 その文言は先ほど陛下が文字鎖を呼び出した言葉と、まったく同じだったから。

 私だけではなく透歌とうかも意外だったらしく、驚いたように口にした。


呪歌リートを――……あの子も持っていた?」


 戸惑っている私たちの目の前で、瑞原かなでの周りに二重螺旋らせんの文字鎖が現れる。

 それだけでも驚きだったが、現れた文字鎖の呪文に、私は見覚えがあった。


『宇可利計留 人遠者川世能 山於呂之』『波遣之可礼登波 以乃良奴物遠』


 繰り返される文字列の言葉は、『逆理のリート』の文言と同じ。

 私の想像が正しければ、今は七城かなでが持っているはずの呪文だった。


(えっ、どういうこと?)


 どうして七城かなでが持っているはずのリートを、瑞原かなでが呼び出せるのだろう。

 そう私が考えていると、その内心を読み取ったように瑞原かなでが口にした。


呪歌リートなら、私も持っている。旅の道化師から奪った、この『逆理のリート』が」


 旅の道化師――きっとかなでのことだ。

 じゃあ彼女は、かなでが持っていたリートを奪い取った?

 だとすれば、かなで奥嵯峨おくさがの温泉宿で言っていたことにも辻褄つじつまが合う。


 ――『気味が悪いので手放した。今ごろは誰かが新たな持ち主だろう』――


(その『新たな持ち主』が、瑞原かなで……?)


 つまり七城かなでは何らかの事情でリートを失って、今は瑞原かなでが持っている。

 そうなると目の前の瑞原かなでは、やはり幽霊や幻覚じゃなく、実在の人間なのだ。

 

 混迷する思考を見透かしたように、瑞原かなでは私を一瞥すると、ふっと苦笑した。

 そのまま彼女は文字鎖をぐるりと巡らせると、余裕の口ぶりで陛下に相対する。


「皇帝よ。呪歌リートを宿した者が、あなただけと思っているなら、それは間違いと知れ」


 しかし陛下は動じる気配を表さない。

 それどころか一層面白くなったと言いたげに、こちらも泰然として笑い出した。


「くっくっくっ、呪歌リートを持つ幽霊とな。ますます面白い女だ」

「……陛下は生涯76度の一騎打ちで常勝不敗を誇ると聞く。それゆえ自らの実力を過信されておられるようだが――そこに私のような呪歌リートの使い手はいましたか?」

「おらぬ。ワシが戦うたのはすべて戦士であり、ヌシのような詭道きどうやからは初めてよ」

「ではならば、今宵こよいが陛下の生涯初めての敗北となりますな」

「ふん、言いおるわ」


 陛下が鼻を鳴らすと、さっと手を振った。

 すると動きに合わせて陛下を守る二重の文字鎖が、鎌首をもたげる。

 さらに陛下は畳みかけるようにあざ笑いながら、瑞原かなでに向かって歩み出した。


「ヌシはワシの術を真似たつもりだろうが、致命的な過ちを犯している。上辺を飾ろうと悪狗あっく悪狗あっくという好例だ。そんな虚飾きょしょく詐術さじゅつが通じるのは虚業きょぎょうの世界のみ。いくさ場においては、立ち所に馬脚ばきゃくを露わす愚策ぐさくと知れ」


 近づいてくる陛下を見て、瑞原かなでも臨戦態勢に入った。

 銃を捨てて素手の彼女は、今度は足下の土に突き立てていたサーベルを構える。

 しかし非力さのせいか両手で構えていて、どうしても力不足に映った。


透歌とうか


 まずい。二人の様子を見た私は直感して、透歌とうかを見た。

 このままでは、瑞原かなでは陛下に敗れる。

 実の姉が見ている前で捕らえられるか、下手をすれば殺される。

 そんな光景を透歌とうかに見せてしまう。


「……大丈夫。かなでは死なない」


 しかし心配した私をよそに、透歌とうかは顔色ひとつ変えない。

 何かしらの確信があるかのように、動じる気配が無い。

 その不思議な態度に私が戸惑っているすきに、ついに戦端せんたんが開かれた。


「――正体を隠したがるは弱者の悪癖あくへきしゅを唱えぬのがヌシの失策ぞ!」


 そう陛下が大喝を下すと、手にしたサーベルで瑞原かなでに切りつけた。

 瑞原かなでも即座に反応し、バックステップを踏みながらリートに命じる。


「防げ!」


 瑞原かなでを取り巻いていた文字鎖が渦巻いて、宿主を守る盾のように応戦した。

 ギィンと響く、耳障りな金属音。

 同時に陛下のサーベルが大きく弾かれて、攻撃したはずの陛下がよろめいた。


「……どうやら私の勝ちのようですな、陛下!」


 その隙を逃さず、瑞原かなでが反攻を仕掛ける。

 彼女は温存していたサーベルを両手で振りかぶると、逆に攻勢に打って出た。


悪狗あっくめが、ヌシに防げてワシに出来ぬはずが――」


 態勢を崩している陛下は、同じように文字鎖で防ごうとする。

 大の男の剣撃を跳ね返す文字鎖が、少女の一撃を防げないはずはなかった。

 しかし瑞原かなでは不気味に笑むと。


「防ぐと? だが――その願いは叶わないッ!」


 思惑おもわくまったとばかりに叫びながら、陛下の頭に真っ向から切りつけた。


 その瞬間、陛下を守っていた文字鎖に異変が起きた。

 瑞原かなでのときと同じように、宿主を襲う刃を弾く盾になろうとしていた呪文が、またたく間に四散し、防衛行動をやめたのだ。


「なんだと?」


 予想外の異変に陛下が狼狽ろうばいし、とっさにサーベルで防戦しようとする。

 しかし今度はそのサーベルすら、一瞬にして砕け散ってしまった。


「もらった!」


 瑞原かなでの剣が振り下ろされる。

 文字鎖も武器も失った陛下には、もはや立ち向かう術などなく――。


「――――っ!!」


 人が殺される瞬間を予感した私は、思わず目をつぶった。

 空中庭園の美しい草花たちが、皆々みなみなすべてあけす。


 ――――そう、思っていた。


 しかし。

 次に聞こえてきたのは、討たれたはずの陛下の咆哮。


「だから! ヌシは! 愚かなのだアッッッッ!!」


 目を開く。

 そこに広がっていたのは、予想とまるで違う光景。

 いや、予想どころか――空中庭園では絶対にあり得ない光景だった。


「なん、だ……これは……!」


 瑞原かなでが、初めて恐慌の声をあげる。

 なんと彼女が手にしていたサーベルが、巨大なイカに変わっていたのだ。

 しかも異変はそれだけではない。

 そのイカの耳から胴体から十の足から、色んな生物が次々と生えてきていた。

 ニワトリの頭が、イヌの頭が、ヘビの尻尾が、ワシの翼が。

 ハチが飛び回り、クモが這いずりだし、バッタが飛び跳ねる。


「ガハハハハ、なかなかの壮観であるな、のう透歌とうか!」


 痛快そうに異変を眺めていた陛下が、こちらを振り向いて笑った。

 透歌は妹の身に起きた変事を見ても、ただ淡々と答える。


「御意」


 しかし側にいる私には、透歌とうかの顔が微かに強ばっているのが分かった。

 それだけの惨事が、瑞原かなでの身には起きていた。


「おのれ、皇帝……何をしたッ!!」


 サーベルだったイカの巨体は瑞原奏に絡みつき、その足と触腕しょくわんで彼女の全身を包み込むように拘束していた。そのせいで彼女は身動きすらロクにとれず、イカの身体から生えてくる、おぞましい生物のオンパレードに全身を埋もれさせている。


 ニワトリに腕をついばまれ、イヌに足を噛まれ、肌をハチに刺され。

 他にも大小無数の動物昆虫たちが、身動きとれない少女の全身を襲っていた。

 そんな少女を前にして、陛下は愉快そうに答える。


「ヌシの剣をワシの拳で殴っただけだ。ワシの『暴虐ぼうぎゃくのリート』は、触れたモノみな変質させる撲殺明理ぼくさつめいり。すなわち人を殴れば人が変わり、剣を殴れば剣が変わる」

「ふざけるな……ッ! なぜだ、なぜ俺のリートが効いたのに、こうなる!」


 畜生に、むしに、たかとりに肉体を蝕まれながら、瑞原かなでが激高する。

 一方で、その様を皇帝は眺めながら鼻を鳴らした。


「ふん。何も知らず模写した詠唱に、自分の判断を混ぜるからだ。ヌシが『詠唱』の際に己のリート名を隠したのは、正体を知られ戦術を読まれたくなかったからであろう。しかし呪文を省けば、呪いの効果はそれだけ下がる。余人ならいざ知らず、リートのに呪いをかけるなら、そんな生半可では通じぬ」


 陛下の言葉を、果たしてもう瑞原かなでは聴いているのだろうか。すでに彼女は表情すら見えないほど有象無象の生物に蝕まれ、苦しげな呻き声をあげるだけだ。

 そんな瑞原かなでの苦悶をよそに、陛下は冷然と言い放つ。


「もはや決着は付いた――が、ヌシは透歌とうかの妹だけあって、どこか姉に似ておるな。ならば姉の目の前で犯し殺すのも一興……透歌とうかよ、それで良いな?」


 最後に陛下は振り向くと、ことさら透歌とうかが嫌がるようなことを、本人にたずねた。

 それは透歌とうかの感情と本心を剥き出しにしようと、煽っているようにも聞こえる。

 しかし当の透歌とうか本人は相変わらずの無表情で。


「……ご随意ずいいに。透歌とうかに異存はございません」


 ――と、妹の身をまるで案じないように淡々と答えた。


 その返事を聞いた陛下が、不快そうに眉をひそめる。

 おそらく望んだものとは違う返事だったのだろう。


「つまらぬ。いつもヌシはそうだ。表の自分を献じても、本心は決して差し出さぬ」


 その言葉に、なぜか失望したような、落胆したような響きを感じてしまう。

 この皇帝陛下は、この世の栄耀栄華えいようえいがを極めた宝飾と地位、武芸の名声と実力を兼ね揃えているというのに、なぜか物寂ものさびしい表情のように思えた。


 ――しかし、それも束の間のこと。

 陛下は再び瑞原奏に向き直ると、ゆっくりと彼女に近づいていく。


「しらけたわ。やはりヌシは殺すか。瑞原の亡霊よ、この庭園の露と散れ」


 瑞原かなでは苦しみにあえぎながら、庭園のふちへと後ずさっていた。

 高層部にある庭園の周囲には、転落しないよう頑丈な金網が張り巡らされている。

 彼女はその金網に身体を預けながら、自分をさいな鳥獣ちょうじゅうたちの責め苦に耐えている。


 ――と、追っていく陛下の後ろ姿を見つめていた透歌が、私に言葉をかけた。


「マハ。かなでに、リートをかけて」


 はっとした私は、透歌とうかの顔を見る。

 透歌とうかは相変わらずの無表情で陛下と瑞原かなでを見ていたが、それが上辺だけの虚像にすぎないことは、彼女の声音の真摯しんしさで、すぐに分かった。


「マハの天花てんかのリートなら、かなでを救える。陛下のリートは、攻撃した存在の本質を『変えて』しまう。そうなれば、あの子は助からない。その前に」


 透歌とうかの頼みを聞かない理由は、私にはない。

 私だってバルドー帝は嫌いだし、それに透歌の友だちとしては、どうしても瑞原奏に肩入れしたい想いがある。たとえ彼女が幻や亡霊だろうと、それは同じだ。


(あの、ふざけた道化師がいれば、きっと同じようにしたんだろうな)


 七城かなで

 瑞原かなでと結婚していたという彼なら、この場で皇帝の願いが逆しまに叶うよう、あの逆理のリートを使っただろう。彼も透歌とうかのことは気に掛けていたし、ここにいれば力になっただろう。


 すぐに私は心を決めたけれど、一つだけ透歌とうかに確かめたいことがあった。


「それは、斎王の――『瑞原透歌とうか』の願い?」


 短い問いに、短い答えが返る。


「……『私』の、願いです」


 それを聞いて、私も大きくうなずく。


「よし」


 そこからは、早かった。

 瑞原かなでがリートのだと、事前に分かったのは幸運だった。

 バルドー帝の言うように、リートの呪いは詠み手に対しては通用しにくい。

 その身に宿した呪いが護符となり、宿主を他の呪いの影響から遠ざけるせいだ。


(ならバルドー帝がしたように、私もリートの力を出来るだけ引き出さないと)


 よく呪文の『詠唱』という概念があるが、なぜ詠唱という行為が必要なのか。

 それは言葉に発すること、そのものに意味があるからだ。

 より強く呪うには強い言葉が必要で、おろそかにすれば呪いもまたおろそかになる。

 プログラムとは正しく表さなければ、正しく発動しないものなのだ。


 私はこの場の誰よりも自分の呪いに力を持たせるため、リートの詠唱を始めた。


竜咒りゅうじゅ共界きょうかい――――!」

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